小旅行2日目。
名古屋の喫茶店のモーニングは、↓この店で。
プラス料金を支払う方式。
↓これがハム玉子サンドのモーニング。
再び新幹線。
三島下車なので、こだまです。
進行方向左側をキープして、
今度はしっかり富士山を見ました。
雪のない富士山は、すっぴんみたいですね。
三島に到着。
ここで伊豆箱根鉄道駿豆線に乗り換えます。
修善寺まで13駅。
単線です。
駅では交差するため、複線に。
このあたりは農業が盛ん。
伊豆長岡駅に着きました。
ここの名所は↓。
まだSUICAは、到来していないようです。
実は、この駅前で私は誕生しました。
小学校4年までいて、
5年になる時、東京へ。
私のベルファストです。
当時は韮山村といいましたが、
今は伊豆の国市といいます。
10年前、定年退職の報告にお墓参りをして、
旅館に一泊したのですが、
定年退職10周年を機に、再訪を提案したら、
カミさんに断られました。
娘が
「あそこはパパの故郷であって、
ママの故郷じゃない」と。
我が娘はきついことを言います。
事前に調べておいた、
この案内所の後ろにある全国チェーンのレンタサイクルを借りるつもりでしたが、
ネットで調べた使用方法が出来ません。
パネルの形状も違うし、まず電源が入りません。
案内所に言うと、「こちらでやっているわけではないので」と当然の答え。
では、タクシーでお墓参りを、
と方針を変更。
しかし、タクシーが来ないし、電話しても出ない。
仕方ない、歩くか、
と思いつつ、もしやと思って、
案内所で「このあたりで自転車を貸してくれるところはありませんか」
と訊くと、
「こちらで貸し出しています」とのこと。
「予約制で、本当は前日の3時までの申し込みなのですが、
空いているので、お貸しします」。
どこかに書いてあったかなあ。
書類に署名して、説明を受けます。
「時間は4時まで。
4時を越えると超過料金が発生しますが、
お金を払えば延長できる、というものではありません。
必ず4時より少し前に返却して下さい」と。
一体、今までどんな返され方をしていたんでしょうか。
1日借りて1000円。
しかも、電動アシストだ。
この踏み切りを渡って小学校に通っていました。
ここが、その小学校。
昔は3年までの「分校」でしたが、
今では6年まであるようです。
お寺への道は、ここを登ります。
電動アシストなので、すいすい。
ここに母方の祖父と祖母、
伯父さん夫婦と、叔父が眠っています。
長寿の家系だと確認。
その後は反射炉へ。
1840年(天保11年)のアヘン戦争に危機感を覚えた
韮山代官が海防政策の一つとして、
鉄砲を鋳造するために必要な反射炉の建設を建議したもの。
10年前に訪れた時は、
「反射炉を世界遺産に」という看板を見て、
世界遺産のインフレだと、あきれましたが、
本当に世界遺産に登録されてしまった。
「明治日本の産業革命遺産」
だなんて裏技があろうとは。
以前来たことがあるので、
中には入らず、写真のみ。
その後は、畑と富士山を見ながら北上。
4年からは「本校」に通ったため、
こうした風景を見ながら通学したのです。
富士山の前にあんな山があったとは、記憶にありません。
ここは蛭が島公園。(蛭が小島とも)
ということは、狩野川はこのあたりを流れていたのか。
平治の乱で敗れた源頼朝は1160年(永暦元年)に伊豆に配流され、
のちに挙兵するまでの20年近くをこの地で過ごしたとされています。
その間に地方豪族の娘・北条政子と結婚。
しかし、歴史的には「伊豆国に配流」と記録されるのみで、
「蛭ヶ島」というのは後世の記述であり、真偽のほどは不明。
「吾妻鏡」では頼朝の流刑地について「蛭島」とのみ記し、
当地がその地であるかは不明。
まあ、いいでしょう。
頼朝は、雌伏20年後、旗揚げして、平家を滅ぼし、
鎌倉幕府を開きます。
この像は、頼朝と北条政子の像。
その後、韮山城址にある池を眺め、
江川邸へ。
ここも前に来たことがあるので、外側のみ。
江川家は韮山を本拠とした江戸幕府の世襲代官で、
江川太郎左衛門(えがわたろうざえもん)は、
代々の当主の通称。反射炉を作ったのは36代の江川英龍。
日本人ではじめて本格的にパン製造を行った人として、
「パン祖」としても知られています。
江川太郎左衛門の師に当たる高島秋帆の従者に、
長崎のオランダ屋敷に料理方として勤め、
製パン技術を覚えた作太郎という人がいたのを
江川宅に呼び寄せ、
パン焼き窯を作り、1842年4月12日、
記念すべき「兵糧パン」第1号が焼き上げられました。
そこで、4月12日は「パンの記念日」と定められています。
以前、「パネルクイズ アタック25」の
優勝者のヨーロッパ旅行をかけたクイズで、
江川太郎左衛門を当てる問題が出て、驚いたことがあります。
そんなにメジャーな人ではないのに。
優勝者は当てられませんでした。
ここがもう一つの母校。
4年生から1年間通った「本校」です。
ついに校庭に銅像が立つ人物にはなれませんでした。
韮山駅の裏手には、
時代劇場があります。
北条家ゆかりの国である「伊豆の国市」では、
NHK「鎌倉殿の13人」の放送にあたり、
大河ドラマ館が開館しました。
下田街道。
「伊豆の踊り子」の登場人物は、この街道を下りました
願成就院(がんじょうじゅいん)。
「吾妻鏡」によると、1189年(文治5年)に
北条政子の父親で鎌倉幕府初代執権であった北条時政が、
娘婿の源頼朝の奥州平泉討伐の戦勝祈願のため建立したといいます。
伊豆長岡駅の近くに戻って来ました。
駅から千歳橋までが幼い頃の私の世界でした。
狩野川にかかる千歳橋。
その土手。
ここでゴザすべりをしたり、
対岸でやる花火大会を見たりしました。
3時前に自転車を返却し、
三島行きの電車に乗ります。
三島の新幹線ホームで「事件」が。
そのことは、また今度。
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