[書籍紹介]
藤沢周平にしては異色の剣豪物。
創作上の人物ではなく、
歴史に名を残した剣客五人、
宮本武蔵、御子神典膳、柳生但馬守宗矩、諸岡一羽斎、愛州移香斎、
を題材に、
決闘シーンを中心に描くという意欲作。
昭和56年から昭和60年の間に書かれ、
60年7月にまとめて、刊行されたもの。
二天の窟(あなぐら)
宮本武蔵の再晩年の姿を描く。
熊本城主に招かれ、
終の住処(ついのすみか)に落ち着いていた武蔵のもとを
剣名を慕って、様々な剣客が訪れる。
その中に、鉢谷助九郎という傲岸不遜な若者がいて、
立ち合いを挑んできた。
自分の若い頃の姿に重ねて見えたため、
立ち合い、引き分けるが、実質は負けていた。
江戸への帰路、武蔵に勝ったと吹聴することを察した武蔵は、
早朝旅に出る助九郎を待ち伏せて・・・
その後、武蔵は観世音の窟にこもって、「五輪の書」を書き始める。
木剣が重いと感じられ、息を切らし、腹を下すなど、
剣豪といえども、老いに勝てない姿が容赦なく描かれる。
死闘
伊藤一刀斎は、一刀流を広めるため諸国をめぐり歩いていた。
遍歴をそろそろ終わりと思われた時、
最後までつき従っていたのは、
神子上典膳(みこがみてんぜん)と善鬼、それに小衣(こきぬ)という女。
一刀斎は、一刀流の後継を誰にするかを、
試合によって決することを宣言する。
下総小金原の荒野で、典膳と善鬼の死闘が始まる・・・
夜明けの月影
兵法指南役・柳生宗矩(やぎゅうむねのり)は息子の十兵衛を呼び、
下城の途中、小関八十郎の姿を見かけた話をする。
20年ほど前のこと。
坂崎出羽守が騒動を起こす。
大坂夏の陣の際、家康の娘・千姫を救い出した勲功に
報いていないことを理由とした反乱である。
その時、宗矩が坂崎を政略でだまし討ちにした恨みを
小関が持っているのだ。
宗矩は二度小関の攻撃を受け、退かせているが、
三度目の意趣返しの申し出を受け、
単身、果たし合いに応ずる・・・
後に島原の乱の去就について、将軍家光に進言したことも触れる。
師弟剣
一羽流の創始者、諸岡一羽斎は病の床についていた。
最後まで付き従った弟子は、根岸兎角、土子(ひじこ)泥之助、岩間小熊と
小女のおまん。
兎角は一羽斎を見捨て、去ってしまう。
一羽斎の死後、兎角が江戸で数百人の弟子を取っているという噂が伝わって来る。
師の恨みをはらすために、
泥之助と小熊は、江戸に出て、兎角を討つことを決意する。
くじ引きで先行を決めた小熊は、
兎角に勝つが、兎角の弟子たちによって惨殺される。
残された泥之助は・・・
これに小女のおまんの情がからむ。
飛ぶ猿
住吉波四郎は、
兵法者の父が、訪ねて来た愛洲太郎左衛門によって
勝負に負け、辱められたと、母の口から聞いて以来、
愛洲を仮想の敵として、一人で剣法に励んでいた。
やがて、愛洲と闘うために
波四郎は、旅に出る。
ついに愛洲の居所を突き止めた時、
彼は既に老い、愛洲移香斎と名乗っていた。
愛洲と対決した波四郎は、
愛洲の口から、父との対決の真実を聞く・・・
どれも剣豪たちの老境を描いて、
いかにも藤沢周平らしい。
勝負に勝ち続けてきた剣豪も、老いにだけは勝てない。
その悲哀が胸を突く。
そして、決闘場面の描写の素晴らしさ。
藤沢周平が剣を修練したことがないというのは間違いではないかと思わせる
精密な剣技の数々。
そして、なにより、文章の美しさに撃たれる。
市井もの、士道ものもいいが、
こういう藤沢周平も読んでみたい。
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