中禅寺湖から日光市内を経て、北へ。
湯西川温泉(ゆにしがわおんせん)に向かいます。
湯西川温泉は、↓ここ。
日光市内からバスで1時間くらい。
このような川やダムを見ながら、
着きました。
温泉旅館「華と花」
ロビーで説明を受け、
部屋へ。
ベッドの部屋もありますが、
3~4名参加者は和室へ。
次の間付き。つまり、スイートルーム。
外の眺め。
カミさんも娘も虫に敏感。
すぐに見つけて大騒ぎ。
こんなお知らせがありました。
館内を探検。
大きな旅館ですね。
部屋数は、76室と意外と少ない。
でも、隅々まで配慮が行き届いており、
こんな短冊型のレビューで好評。
近所を探検。
橋がありました。
橋からの眺め。
あと2週間もすれば、紅葉の見頃に。残念。
湯西川温泉は湯西川の渓谷沿いに
旅館や民家が立ち並ぶ温泉地。
元来、近在の農民の湯治場であり、
戦前までは、自炊しながら逗留する湯治客のための
木造の長屋が建ち並んでいました。
住民の多くは観光業ではなく、
狩猟や木彫り工芸で生計を立てていました。
1956年(昭和31年)に五十里ダムが完成すると、
湯西川温泉は「鬼怒川温泉の奥座敷」として注目を浴び、
その後、道路整備が進んで大型観光バスが温泉街まで入れるようになり、
近代的なホテルが建ち並ぶ温泉街が形成されました。
住所は日光市で、
東武鬼怒川線「鬼怒川温泉駅」から日光交通ダイヤルバスで55分、
または野岩鉄道「湯西川温泉駅」から日光交通ダイヤルバスで20分。
夕食は、ここで「平家お狩場焼き」を。
この地には、平家落人伝説があります。
平忠房は紀州で捕らえられ、源氏に討たれたとされているが、
実は捕らえられたのは忠房の身代わりであった。
忠房は忠実に名を変え、紀州から中山道を抜けて
下野国の宇都宮朝綱を頼り、
朝綱は領地警護の名目で、
日光の奥地に住まわせた。
この噂を聞いた源氏は奥州合戦に向かう途上で、
鶏頂山に隠れ住んでいた平家の残党約2百人を奇襲した。
奇襲を受けたうちの約40人は鬼怒川に沿ってさらに山深くへ逃げ、
湯西川と川俣に分かれて隠れ住み、武具を隠し、
山の民を装うことで、生き延びた。
という、伝説のお狩場焼き。
囲炉裏が沢山切ってあって、
焼く材料が刺さっています。
こうして焼きます。
平家落人が火を囲み食したと言われる伝統料理。
料理は、旅館の公式サイトでは↓ですが、
まだ全部は揃っていません。
次々と出て来て、
満腹に。
これがデザート。
天井の照明もなかなか。
正面にあったこの文字は
後で庭の清水で「かしょ」と読むのだと知りました。
温泉ですから、お風呂が売り物。
↓の3つ。
大浴場
樽の湯
時間で男女が入れ替わる、岩風呂。
どこも一人だけで、貸し切り状態でした。
そして、朝御飯は、
温泉旅館の定番メニュー。
外国人が見たら、どう思うのでしょうか。
ゆったり朝9時20分出発で、再び日光に向かいます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます