六枚目のコイン

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因縁の洗い出し

2019年06月07日 22時07分18秒 | 未来
みなさん、おはようございます。
今日は、修行を進めていくうちに必ず出会うところの
《因縁の洗い出し》について。


私などは初っ端から、この洗い出しを体験しました。
それこそ、世界の悪と一人で対峙するような、
本当に深刻な問題でした。

それは《自分》が悪いのか問題なのか、
それとも、相手である《世界》に問題があるのか?
という究極の問題でした。


が、私は世界そのものに、自分を培った元があるのだから、
相手である《世界》を責めてはいけない。
相手に原因があると考えた時点で、すでに自分を否定することになる。

そう考えたわけです。
そこで、
私は《世界》を責めることはやめて、
《自分自身》にその原因があると結論しました。


それで、私は初心に戻ることができました。
そして、
私は田舎に戻って、一からの出発を始めたのです。

そこで、肝心なのは、
『悪因縁の洗い出し』の体験をした際の心得だと思います。
洗い出し現象の特徴は、理不尽そのものであることなんです。
自分は悪くない、悪いのは相手じゃないかと。
また、
どう考えたっておかしいじゃないか、こんなこと有り得ないよ!

そういう思いをみんな共通して抱くことなんです。

そう、有り得ないことが起きる!
それが因縁の洗い出し現象なんですね。
だから、
突発的な出来事にこだわるわけです。

何故なんだ?と。
なぜこういうことになるんだ?と
そういう思いで、頭の中は長い間、こんがらがり続ける。
心は納得のいかない思いに引き裂かれる。

ポイントは、因縁の洗い出しが起きるとき、
善悪の問題ではないんだsということです。
俺がよいのか悪いのか、それとも、相手がよいのか悪いのか?

そういう問題ではないんだということなんです。
大事なのは、
解決は善悪のその先にあるんだということなんですね。

因縁の洗い出しがほどけるのは、
もちろん、放けてきているから因縁の洗い出しが起きるわけですが、
完全解決には、まだ先がある。

それは、
起きた出来事の問題の良いことか悪いことかが、問題ではないということ!

分かりますか?
分かればあなたにとって、
それこそ問題にはならないことでしょう。

『善悪の彼岸』というタイトルの本をニーチェが書いていましたね。
その本のテーマとは、少し違うかもしれませんが、
カルマの発生は、善悪の先にあるんでえ。

だから、カルマの完全解決のためには、善悪を超えなければならないのです。
それは同時に、自分自身をも超えるということになります。
自己に執着をやめたとき、
善悪の問題にもこだわらなくなって、
その《因縁の洗い出し現象》にもこだわらなくなる。

そうすると、ひとつの悪いカルマを超えた!解消した!消えた!
ということになる。
ひとつの因縁解脱が成就したということになる。

どうですか、歓喜奉行でしょう?

私たちは、その信仰とその信仰の修行の大本に、
絶対の信が必要なのです。
私たちの因縁解脱という修行を成就するためには、
絶対の《信》が必要なのです。

そうしないと、行は進んでいかない。
というよりも、
それだけ因縁解脱の行は厳しい。

自分が納得できなければ行はできないなんていう、
一種傲慢な心を持ったままでは
自己を超えることはできないわけです。

だから、どんな理不尽なことが起きても、
自分は絶対にこの僧侶や教団を信じて、
因縁解脱の行を進めていくんだという、
固い決意?というよりも、
絶対の《信》です。

それがあって初めて、私たちの行が進んでいくのです。
どんなことがあっても、
絶対に信じることを止めないこと。
これが私たちの仏陀になる絶対条件なのです。

ここにほとんどの人がやられてしまう。
途中で行を止めてしまうポイントがあるのです。

本尊にごあいさつする真言に、
オンサラバータタギャター・・・というのがありますね。
オンという真言の意味は、帰命ということです。
命がけで帰依するということなんです。

自己の命を懸けてご本尊・指導者である僧侶、
そして、教団に帰依するということなんですね。
それを体得することが修行の大きな徳目なんです。
成仏するための大きなテーマなんです。

ここをようく理解することが大事なんです。

簡単ですが、
これで終わります。
コメント
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