真の自分と仮の自分。
果たして、
私たちはどちらの自分を自分自身だと認識しているのでしょうか?
実は、通常、自分自身だと思っている自己の意識は、仮の自分から生じているんです。
それが仮の自分だとはわからないんてす。
深い深層レベルにあるところの抑圧意識であるタンハーが無くなると分かります。
ああ、変われた自分がいることに。
そして、
自己に執着しない、拘らない自分がそこにいる。
そして、客観的に観ている自分がそこにいる。
そういう体験が出てくる。
例えば、
『月輪観』というのがありますね。
清浄なる満月輪を思い描きます。
初めは、満月輪を思い描こうとするのですが、
雲に覆われていて、
なかなか清浄なる満月を想像できない。
それがやがて、
少しずつ覆われていた雲が取れてきて、
やがて、
その雲が取れて、
最後に、煌々と輝く満月が現れる。
そんな瞑想をしたことがあるでしょう?
その満月は、
あなたの晴れ晴れとした心の状態ですよ。
そして、
雲はあなたの煩悩です。
煩悩があなたの晴れ晴れとした心、
清浄なる心を妨害しているわけです。
そして、その煩悩がなくなったとき、
あなたの満月が煌々と輝きわたり、
きれいなあなたの心が静かに姿を現している。
そんな様子を、私は今感じています。
そして、仮の自我とは、因縁によって形成された仮の自分です。
因縁によって条件付けられた自我が、そこにいるわけです。
因縁が取れた自分は、なかなか想像できない。
しかし、因縁が取れて、初めて分かる自己存在があるのです。
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それが仮の自分だとはわからないんてす。
深い深層レベルにあるところの抑圧意識であるタンハーが無くなると分かります。
ああ、変われた自分がいることに。
そして、
自己に執着しない、拘らない自分がそこにいる。
そして、客観的に観ている自分がそこにいる。
そういう体験が出てくる。
例えば、
『月輪観』というのがありますね。
清浄なる満月輪を思い描きます。
初めは、満月輪を思い描こうとするのですが、
雲に覆われていて、
なかなか清浄なる満月を想像できない。
それがやがて、
少しずつ覆われていた雲が取れてきて、
やがて、
その雲が取れて、
最後に、煌々と輝く満月が現れる。
そんな瞑想をしたことがあるでしょう?
その満月は、
あなたの晴れ晴れとした心の状態ですよ。
そして、
雲はあなたの煩悩です。
煩悩があなたの晴れ晴れとした心、
清浄なる心を妨害しているわけです。
そして、その煩悩がなくなったとき、
あなたの満月が煌々と輝きわたり、
きれいなあなたの心が静かに姿を現している。
そんな様子を、私は今感じています。
そして、仮の自我とは、因縁によって形成された仮の自分です。
因縁によって条件付けられた自我が、そこにいるわけです。
因縁が取れた自分は、なかなか想像できない。
しかし、因縁が取れて、初めて分かる自己存在があるのです。
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