つまり、
「〇〇の因縁」というものは、
習慣性・常習性が問題なんだということ。
気が付けば、
そういう結果を招いていたということになるのが、
「〇〇の因縁」ということなんですね。
元々、自分自身の無意識の中に、
有る決まった結果を招く「種子」を宿している=これが「因」。
そして、その因にさまざまな条件を与えて、
芽を出させ形にするのが「縁」。
その縁とは具体的には、悪弊なんです。
悪癖ですね。
習慣性を以て、常習性を以て、
ひとつの不幸な結果を実現しようとする「力」または「働き」。
だから、その習慣性はひとつの不幸な結果を招くのですね。
それが『〇〇の因縁』ということなんです。
その人を不幸な結果に招いてしまうような、習慣性のある行為。
それが不幸な結果を招くのが、「〇〇の因縁」。
反対に、
『成功の条件』なんていう題名の本があるでしょう。
それは人生において、
喜ばしいひとつの結果を得たい場合に行う
良き習慣性、常習性の行為を指すわけですね。
ですから、
その今やっている、良くない習慣性のある行為をやめることから、
不幸な人生上における結果を招かないようにすることになるんです。
これが、実は案外わからない。
人生の落とし穴なんですね。
先が見えないところからくるところの、現在の自分を見過ごす習慣性。
先が読めないところからくるところの常習性。
「因」⇒「縁」⇒「結果」⇒「報い」
そこに気づくことが大事ですねえ。
人生はあざなえる縄のごとし。
60歳を過ぎてわかることもあるんです。
いやいや、そのことの方が多いでしょう。
だから、気を許してはいけない。
人生の先を見越して、
人は人生を創造していくべきなんですね。
それが往々にして、人は分からない。
気が付かない。
気が付いた時には、後の祭り。
それが悔やまれるんですね。
俳優さんの多くに、
麻薬所持の問題で警察に捕まる人がいるでしょう。
みんなそうですよね、一時の気持ちよさに、
だらだらと不幸な結果を招くだろう、
悪い習慣を続けているんだから。
止められない習慣性。それが悪癖!
存在するものは、必ずその存在を相続し続ける。
〈生〉⇒〈成〉⇒〈盛〉⇒〈衰〉⇒〈滅〉⇒〈有〉⇒〈生〉、
これがずっと繰り返されていく、
永遠に、無限に。
そして、
人間はある条件を持って、この世に生まれて来ている。
単にオギャーと、この世に生まれてくるんじゃない。
ある決まった条件を持って、この世に堕ちてくる。
それを『運命』という。
決定された運命を背負って、この世にうまれてくる。
そして、
どういう人生を味わうことになるのか、
すでに決まっているということなんだ。
だから、それは単なる無常ではない。
単なる無常性を持っている人は空しい。
虚無感という人生に対する無常性を克服することが大事。
本当は人生は無常でもなんでもないのだ。
そのことに気が付くと、
人はもっと賢い生き方ができるだろう。
だが、
そんな大切なことを、誰も教えてはくれない。
ある意味、それは人生の秘密だ。
天の機密に属するものだから、
そう簡単には教えられないんだと思う。
現在の人々は、劣悪な環境にいる。
「愚かさ」という劣悪な環境に言いている。
「無明」という何もわからない状態の中に、
うごめきながら生きている。
それが問題だ。
そんな劣悪な環境から脱していくべきなのだ。
どうすればいい?
どうすれば、
もっと張り合いの有る人生を送ることができるのだろうか?
それが問題だ。
まず、劣悪な環境にいる自分を自覚しなよ。
そんな可哀相な自分を悲しみなさいよ。
それが『苦』の認識。
そこから、抜け出すための想いが芽生えてくる。
そして、時期が来る時、
抜け出すためのチャンスに出会えるようになる。
観音の三十三という。
観音菩薩が衆生を救うために、
三十三身に変化して、衆生を救うのだという。
どこで誰に遭うことになるか、
それは全く分からない。
誰が三十三身説法をするのか?
それは自分が救われるという「善功「善根」によるのだ。
人が人を救う時、
そのとき、
人が私を救うために、出会った人が菩薩になる。