さて、長い間お待たせ~しました。
でその前に、
「共産主義」なるものの定義が大事となりますね。
この思想は、主にドイツ人マルクスが『資本論』において、
広く展開していったものです。
それまで封建制によって独占していた土地や財産や労働力を
その土地の領主や支配階級から奪い返す目的で、
土地などの財産を、国民の共有にすることで、
平等な社会を実現しようとする考え。
というのが建前ですね。
(かなり不正確な定義だと思われますので、
辞典で確認していただけたら幸いです)
これは頭の中だけで考えている間は、
とても素晴らしい理想的な思想だと思われますが、
実際に行ってみると、まったくばかげていることが分かります。
私も若気の至りで、
マルクスを読んだことが有りますけどね。
大漢学者の安岡正篤氏などは、マルクスの日記を読んで、
マルクスの性格の悪さ、そのひねくれた考え方から、
こんなひねくれた人格の人間が考え出した思想が、
人間を幸せになるはずがないと、その著書の中で書かれています。
友人には恵まれず、
一生を相当な貧困のうちに終えたマルクスでした。
それが却って、情熱の凄さを思わせて、感心したことがあります。
参考に言うと、
『パブロフのベル』というブログがあって、
共産主義について書いておられるので、それも一読お薦めです。
実際、ソ連が崩壊した後、
社会主義と言ってもいいのですが、
中国共産党がその共産主義を標榜しています。
ですが、
実際のところは、鄧小平が市場経済の開放を唱えてから、
資本主義を導入して、今の中国が大きく発展していったのですから、
もっとシンプルな共産主義の形態を確認する場合は、
毛沢東の文化大革命時代を調べればよいかと思われます。
ですから、
実際は共産主義といっても、形骸化していて、
スローガンを標榜しているだけのように思われます。
その中国を見てみますと、
どんなにツールが素晴らしくても、
“馬鹿と刃物は使いよう”なんていう諺があるくらいで、
その道具を使う人が問題となるのは言うまでもありません。
しかも、
今の中国は成功の発展パターンを進めてきたと見えて、
かなり強硬姿勢が前面に出ていて、
人間の欲しがる金と色の賄賂で、他国の要人を垂らしこみ、
それでも、
世界の各国が自分の思い通りにならないと、
恫喝したり、経済的な報復をしたり、
武力による鎮圧を繰り返したりして、
それはもう蛮行のかぎりですよ。
結局、
これが共産主義の成れの果てということでしょうか。
そこで思うのは、話を元に戻しますが、
人間は結局、人を支配したり強制したりして、
国民・人民を自分の思うがままに操ろうと意欲する志向性から
抜け出ることはできない。
自由は人間のすべてである!
そう結論づけざるを得ません。
それを奪い取る行為は最低ですね。
誰がトップに立とうとも、
いったん権力の座に就けば、もう自分の我がままのし放題です。
それはライオンのように、ボス猿のように、
すべてを支配し、すべてを所有することを目的とします。
どうしてもそこから抜け出ることはできない。
だから、お釈迦様はそこに気が付かれた。
まず己を自己コントロールすることが大事だと。
そして、表面的な「貪り」(タンハー)、「瞋り」(ラーガ)、「愚痴」(アモーハ)
等をコントロール(心解脱)するだけでなく、
心の深層部分に巣くうところの、
さまざまな悪念を一切解消してしまうことをお説きになられた。
思うに、
お釈迦様は愛するかつての国が、高度な文明を誇っていたにも関わらず、
挙句の果てに、瞋りの炎を燃やして、
そして人類の未来をかんがえずに、争いの根本原因もわからないまま、
おごり高ぶった末に、
かつてのクル族?の連中が、核兵器をぶっぱなして、
敵国の人々を一瞬のうちに滅ぼしてしまった。
そして、それまで築いてきた文明も消えてしまった。
それがために、地球軸は8°傾いてしまったという。
そんな取り返しのつかない過ちを犯してしまった人類が、
もう二度とそんな失敗を繰り返さないためには、
最低の悪念(貪・愼・痴)を失くしてしまわないといけない。
人間の不幸は,その三大煩悩を無くすことだと理解された。
人間を動かしているところの三大根本煩悩を
人間が解脱してこそ、初めて致命的な不幸から逃れられるのだと。
それが実現しない人類に、
未来はないと見極められたのだと、
そう考えざるを得ないですね。