何気なくBSのTV番組を見ていた。
老人が出ていたので、
そのまま見たら、
なんと、
その主演はバート・レイノルズだった。
かつての大スターだった、その現在の変わりように、
初め私は誰だか分らなかった。
分かって、へーっと少し驚いた。
その映画は2017年に作成されたそうである。
今から4年前ということになる。
そして、
主演のバート・レイノルズは、
その翌年の2018年に亡くなったそうである。
その主演映画を撮ってから、翌年に亡くなったわけだ。
それを知って、
亡くなったんだなあと、感慨にふけった。
その映画の内容はうまく言えないが、
かつて大スターだった老人が、
その功労賞にと招待された映画祭で、
かつてのヒット作品を上映するんだが、
その招待のされ方が気に食わないという理由で、
その席を蹴って、
自らの生い立ちをたどっていく旅に出る。
(間違いないかな?)
そして、
自分が育った家を訪れたりするわけだ。
彼の言動はとても老人に相応しくない捨て鉢なものだった。
彼は五度結婚して五度とも失敗した男なのだ。
そして、
彼は愛した女性は最初の人だけだと言うのだ。
そして、初めて愛した人に再会することで、
お互いの愛を確かめ合うことができた。
そこで、彼はやっと人生に対して前向きになることができた。
死を目前にした老人が、
老い先短いその思いだけに囚われていた人生。
それから彼は希望を見出しいった。
そんなことを説明しながら、
私は余計なことを説明しているような想いに囚われるのです。
だから、
内容については映画作品を見ていただきたいのです。
とにかく言いたいことは、
老い先短い老人が、
人生これからだという感想で終わっているわけです。
それはそれで立派な素晴らしいことです。
ですが、
人生というのは今世だけではない。
人生はこの世の一回限りではないんです。
そこなんですね、一番の問題は。
人はこの世はすべて今回限りだと思っているけれど、
そうじゃないんだ。
実はその続きがあるんですね。
それが来世なんです。
人の生命状態は、これで終わりじゃない。
次が有るんだ。
それが来世。
このムービースターは、
次の人生において覚醒するのでしょう。
それが大事なんです。
それを暗示するのがラストシーンなんですが。
長々と話すのももどかしいです。
とにかく、
バートレイノルズの最後主演作品だという。
その生い先短い老人が、人生を回想する映画なんですね。
でも、
私は身につまされながら見ました。
老いの辛さを身につまされながら見ました。
本当に、
生・老・病・死の四苦を痛感させる映画作品でした。
でも、私が思うのは、
なんというか、人生にはそれぞれの場面があるんだと。
その場面場面を味わえるような心の状態が必要なのかなと。
生⇒老⇒病⇒死、
このパターンに囚われる必要はないんじゃないかと。
私たちの魂は、
永遠なのだと。
そこに思い至った時、
どんな悲しい出来事に出会っても、
私たちは空しさに負ける必要はないんだということに至るわけです。
魂は永遠に輪廻してく存在であるということ。
そして、
今その輪廻の輪から脱出することができるのだということ。
それに私たち出くわしているんだということ。
それを私はあなたに伝えたいんです。
そして、
輪廻の輪を終わらせる法に私たちが巡り合っていることに、
それに私たちは知ること。
物凄く大事というか、
それって、決定的なこと。
それを伝えたいがために、
私はこのブログを公開しているのです。