そこで問題なのが、
第二のある「想い」が浮かんでくる場合。
そのある想いというのが、
実は重要なんですね。
その想いの基は、
一体なんだろうかと、以前考えることがあった。
そして、
その想いの根拠が、
前世にあることが自分の中に確信として出てきた。
人の運命を見るようになり、
現世とのつながりを見るようになって、
それが分かった。
例えば、
ある人が、失恋の歌をよく歌うとする。
なぜ、こんなにも繰り返し繰り返し、
ある特定の人を慕う歌を作るのだろうか?
そう考えるとする。
その答えは、その人の前世にある。
前世に繰り返した異性との悲恋の人生。
その悲恋の人生は、
一度だけではない、何度も繰り返してきた過去の人生。
つまり、
その悲恋の想いは、
深層意識にとどめられた前世の記憶なのだ。
その記憶は、抑圧意識となって、
何度も何度も、その人の表面意識に浮かび上がってくる。
因みに、
チベット仏教では、心相続といって、心は過去世から現世に引き継がれて、今に至るという。
それが歌となるのだ。
その人の抑圧意識に残る前世の記憶。
果たされなかった想いが、
その人をして歌わせる。
本人としては、
もういい加減に、そういう歌を歌うのは止めにしたい。
だが、
そうはいかない。
運命の強制力が、
その人をして、何度も何度も歌にして歌えと強いるのだ。
それを「運命の反復」といって、否応なしに不幸な運命を引きずり、繰り返してゆく。
そういう抑圧意識となった、不幸な運命を、私たちは歌にして、その人生を再現させている。というわけなんですね。