【ノストラダムスの大予言】
西暦には大きなズレがあった!
?人類滅亡、本当は2025年7月の真相【都市伝説】
ある友人からある動画が送られてきました。
また、眉唾ものの動画か?、
なんて思ったのですが、
よく考えた結果、
これは相当に鋭い選択の末に送られてきたものだと、
いう結果になりました。
というのも、
2025年は文明の限界点という意味で、
ロスの山火事、それもアメリカ民主党の工作疑惑、
それらを感じるとき、
これは単なる陰謀論ではすまないのではないか?
そう受け取ったのです。
そのきっかけは、
今回の『ノストラダムスの予言』でした。
開祖の著書である『1999年7の月がやってくる』
という赤本。
これは有名ですが、
それを再度ちょろっとめくってみました。
そうすると、
阿含宗の機関紙である『ダルマチャクラ68号』に、
【巻頭予言】として、
「運命の日は来るか」
と題して、
「わたしは1999年7の月の歩みが、今年からいよいよそのすがたを現わしはじめると予感している。」
そういう書き出しで始められている。
その「運命の1999年7の月」という表現に、
私は、管長猊下はご存じだったのだ、
今年が文明の限界点である、
究極の「1999年7の月」だったのだ!
そう直感した。
友人への返事で、
「私も、以前に1999年7の月の分析を 行ったことがあるんです。」
「それは1999年というのは単なる西暦の年の数字ではなく、数秘術の観点から私は分析しています。」
「それはかつてのキリスト教世界では、2000年を時代の一区切りとして考えていた。
だから、1999年は文明の究極の時と解釈することが可能である。」
「そして、7は成就とか熟するとかを意味する。」
「だから、1999年は一つの文明の究極において、カルマが熟してカルマが成就がするときに、空から恐怖の大王が降りてくる、
と解釈することができる。」
そして、「それはアンゴルモアの大王を蘇らせるために」
こう解するべきであると思いました。
そして、そう説明したのです。
結果、
一つの文明におけるカルマが熟して、人類の悪しきカルマが報いとして現れる。
そう解釈することができるのです。
それがまさに今だと、そういう動画の内容だと言える。
そう私は友人に送りました。
そうすると、
彼は、つまり、アンゴルモア大王の復活の予言ですね、と
返してきた。
はあー?と思ったのですが、
開祖の『1999年7の月が来る』を読んで、
そうだったんだと、
開祖の言葉は、これだったんだと、
改めて、
開祖の直感された予言のご著書だったんだと。
「1999年7の月」は、まさに2025年の今年かもしれない。
それも友人の送ってくれた動画を観てからなのだ。
その動画の説明を、送ってくれたお返しに書いたのだ。
それを少し述べてみたい。
もう一度言うと、
1999年7の月というのは、2025年そのものではない。
それはひとつの文明の終焉という比喩的表現であり、
数字なのである。
それが数秘術によるところの私の解釈である。
それを前提として、
このところの極限的な世界の混乱ぶりはどうだ?
いつ世界的な破滅状態が襲ってきても、少しも可笑しくはない。
第一に、コロナワクチンによるところの世界的大混乱。
そのほか、いろんなスキャンダルが世界を混乱に陥れている。
それらを前提として、
私たちは、これが世界破滅の始まりではないか?と、
誰もが思っていると思うのだが?
そこに、ノストラダムスの「1999年7の月が来る」である。
やはり、ノストラダムスの予言は本当だったのではないか?
そう思うのではないかな。
だが、
この「1999年7の月が来る」の予言は、
人類の破滅を言ったものではない。
あくまでも、アンゴルモアの大王の蘇りまたは復活させなきゃいけない!
というメッセージじゃないかと、
私は解釈している。
重要なのは、
アンゴルモアの大王とは、
何なんだ?ということではないだろうか。
ここに一番のテーマがあると思う。
アンゴルモアの大王は、恐怖の大王に対比された存在であるから、
どういう存在なのか?
それを明らかにする事が、この『1999年7の月が来る』のテーマになるんだと思う。
今年早々に起きた、
アメリカ・カリフォルニア州の山火事(?)の惨事を思うにつけ、
私は西洋キリスト教文明の終焉について、
思いを馳せるのである。
決して、人類の破滅そのものを予言したものではないと思うのだが、
キリスト教文明の犯して来た、重きカルマを思うにつけ、
人類の未来は暗いとしか思えない。
取り敢えず終わります。
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