その「愛」の実践を、
積極的に推進していきたい。
その実践が、准提如来に向けられる時、
私の行は「聖願」となるだろう。
そしてそれは、私の行為を三密として、質的に高めていくだろう。
師は言われた。
いくら「因縁解脱」、「因縁解脱」と言ったって、
愛の伴わない行からは、
仏様の力が功徳として返って来ることはない!
我々にとって、これほど恐ろしい言葉はない。
だが、
万が一仏様からの功徳となって、
自らの行為が返って来なくても、
その行為を仏様=准提如来に捧げるだけで、
私は本望である。
もはや私に、俗世への関心も興味もない。
私の望みは、仏に帰一することなのであるから。
師よ、私の言葉を受けれてください。
そして、
それは「我」を離れることから可能となるように思えるのだ。
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