町田・多摩センターの司法書士ミヤの開業ブログ~生き生きと生きる~

『司法書士法人まちたま』の代表です。多摩センターと町田の2拠点で活動。備忘録として書きます。

誰から見ても

2020年11月30日 18時57分09秒 | 雑感
町田・相模原の司法書士・行政書士の宮下です。





人間は100点満点。

どの人間も100点になるようになっている。




足は遅いけど歌がうまい。

顔は整っているけど性格クセあり。

嗅覚が悪いけど聴力はいい。

まつ毛短いけど胃は強い。




どこかがマイナスであれば、その分どこかがプラスになる。

それは外見に現れるかもしれないし、内臓や血液に現れるかもしれないし、何かの能力に現れるかもしれない。


味覚に10点

爪の形に5点

毛量に10点

血液に6点

肝臓に7点

・・・・・




それは人それぞれ違う。

人よりも劣っている部分があれば、”その分”人よりも優れている部分がある。

昔は、そう考えたら人間も面白いなぁと思考を巡らせていました。
実際にそういう考えが当てはまることも多くあると思います。

しかし、不平等で残酷な現実を痛感するたびにその考えは打ち砕かれる。

この考えは万人に共通するものではない



人間はみなが100点ではない



この世は不平等であり残酷です。
何を持っての点数なのか難しいところもありますが、120点の者もいれば0点の者もいるでしょう。

そもそも優れている・劣っているとは何だろう。

自分の長所が他人の短所に、そして、自分の短所が他人の長所になることもある。

それは今いる環境によっても左右されるものだろう。




今の就職面接では「あなたの長所はなんですか?」なんてベタなことは聞いてくるのでしょうか?

もし聞かれたらどう答えよう。

僕ならまず一般的にはマイナスと考えられているであろうことを長所だと答える。

すると面接官は「なぜそれを長所と考えているのか聞いてみたいな」と思う。

その時に面接官を納得させるようなストーリーでも一発ぶち込めば採用間違いなしです。(面接はそんな簡単ではない。)





話が逸れた。





例えば、視力で考えてみよう。

視力が悪いことはマイナスだろうか。

メガネやコンタクトを買う費用もかかるし、眼科に行く時間もかかる。
まぁその点ではマイナスだ。
というかモノが見えなくなるという時点でマイナスだ。

しかし、視力が悪いことで気づくこともある。
考え方も変わる。
視野も変わる。

なんなら眼鏡を選ぶ楽しさを味わえるかもしれない。

眼科でキレイな女医さんに会えるかもしれない。

コンタクトを買いにいく道中で久しい友達に会うかもしれない。

定期的に目を検査するので病気の早期発見につながるかもしれない。



これらのプラス面でその人間は100点になるのだろうか。

う~ん、、、

仮に友達に会ったとしても、それは視力が悪いことによって起こした行動の結果(外的プラス)であって、自分自身の身体もしくは内面に生じたプラスではない。
いや、行動力という面がプラスに働いているか。







さらに、目が見えないとどうだろう。

以前、「優劣ではなくお互いの差異を楽しむ 」でも書きましたが、全盲の方は視覚がないから死角がなく、視野を持たないゆえに視野は無限に広がる 。

これは明らかにプラスでしょう。
健常者では到底及ばない思考を持っているはず。

じゃあこれで100点なのだろうか。
(無論、視力だけに焦点を当てた点数であり総合的な点数ではない。)

この場合、「思考」にプラスとして加算されたわけだが、同じような境遇の人が同じ思考を有するかどうかは不確実だ。

もしかしたら別の”箇所”(例えば聴力や嗅覚)にプラスとして加算されているかもしれない。



逆に、視力がめちゃめちゃ良いアフリカの原住民や海上で生活するモーケン族などは、視力が良い分、どこか劣るのか。
視力に点数を多く配分しているので、その分どこかがマイナスになっているのか。

視力が良いということは環境的要因も大きく作用する。
モーケン族が東京で暮らせば視力は瞬く間に落ちていくだろう。

視力が良いということは森や海で生活をしている場合が多く、近代都市に暮らす者からすれば、マイナス面を見つけることも容易いかもしれない。
それはその”環境”に対して見つけることができるかもしれない。。

そのプラスマイナスの概念も国や地域によって全く異なるだろう。

そう考えるとプラスもマイナスも人それぞれになる。

身体に現れる優れた(プラス)部分の対になる劣った部分は、必ずしも身体に現れるのではなく、環境に現れることもあるのかもしれない。

なるほど、人と環境(自然)。
これはセットで考える必要があったのか。






僕は喉が弱い。

自分はこれをマイナスと考えている。

では、そのマイナス分がどこかにプラスとして加算されているか。

否、そうではない。
というかわかるわけがない。


目?腹?脳?毛?胃?骨?精神?細胞?眉毛の形?

どの部分がプラスでどの部分がマイナスなのか。

そんなのわかるわけがない。

人によって美的感覚も異なる。



この世にはいまだ解明できない身体的障がい、精神的障がいが存在する。

その障がいを持って生まれた者は、そのマイナス面(であると多くの人が思いそうなこと)がプラスになるのであろうか。
朝、牛乳一気飲みしても胃もたれしない「胃の強さ」にでも加点されているのだろうか。







ある記事で、先天性欠損症により右手首から先がない障がいを持って生まれた子を持つ親がこんなことを言っていました。


・・・『自分の子供はあれもできない、これもできない』と思っていたけど、障がいを持ちながら野球をする子どもたちの姿を見てから『これ、できるんじゃないかな?』という視点で考えるようになったんです。 



すごいなぁ。

できないことを探すのではなく、できることを探す

この思考の切り替え。
思いついたとしても簡単にできるものではないはず。

心、そして思考の柔軟性、障がいのある子を持ったことで育まれた強さ。

これは親の思考・精神にプラスに加算されたものですが、障がいを持った子供自身も同じような強さ、優しさを持って生きていくんだと思います。





また、記事の中では、「五体満足で生まれても結局は不満が出る」というないものねだりの人間の性を突いていました。


二重になりたい

背が高くなりたい

小顔になりたい


人間の欲求は尽きない。

手がないのもそれと同じことなんだと。



これでいいじゃん

今のままでいいじゃん

できないこともあるけど、できることもあるじゃん




どんな状態・状況であろうと、今の自分を認めてあげる。
これはきっと大事なことなんだろう。

自分を認めた時点で自分は100点になる。

それは今後成長も変化も一切しないということではない。






何が障がいで、何が障がいではないのか。

結局は、誰から見ても100点の人間なんかいない。

点数は自分で決める。

誰かが決めるものではない。

生まれた環境で精いっぱい生きる。
そして、その中で喜怒哀楽し一度きりの生を堪能し死んでいく。

それは誰から見ても100点だろう。






とは言いつつも、現実はそんな甘くない。

何度でも言いますが、世の中は不平等で残酷です。

ずっと苦しい人もいる。

どうして生きているのか見出せない人もいる。

どうして自分は生まれてきたのか。

「不運」の一言で終わらせるには過酷すぎる。

アンバランスで整っているようで全く整っていない。

それが現代社会だと思います。










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