今朝も快晴なので外へ飛び出したいのをガマンしてこれを書き始めた。
さっきゴミ出しをしてきたけど昨日のような風がないので徘徊、俳諧日和^^。
4月号角川俳句は昨日書いたように予想通り、見事3句とも没。
そらそうだ、こんな句だもの。
○ 軽トラもベンツも雪に覆はれし
○ 湯気の立つ冬至南瓜を供へけり
○ おでん種揃へて父を訪ねけり
ここに書くのも恥ずかしいくらいの何のインパクトもなしだわ、とほほ。
他に出す句がなかったんかいなと今一度観てみたら
あるじゃないの、何でこんな句を投句したのかと・・・
ま、5月号にはもう少しましな句を投句してあるので5月号に期待しましょと、負け惜しみ^^v
で、ついでに4月号の記事の中で目に留まった記事を一部ここで紹介。
人間国宝、渋芸家、「小森邦衛」さんについて。
渋芸家の中では初めての人間国宝の方、容易ではない道のりだったのは想像がつく。
その方が俳句も楽しんでいらっしゃらるのですが
「一番めげている時に始めたのが」「俳句」だったそうです。
恐れ多くも「私も同じ」と言ったら大いに失礼極まりないことですが^^;
ともあれ、「めげている」ことから脱出出来る環境にあったことに感謝したいとも思う。
しかも、働きながら、日記代わりに作句していた自分を今となっては褒めてあげたいと思う。
過去の入選句でこんな句があった。
子供のころのに観た景、栗田やすし先生に1席で採っていただいた句。
しかも、後に、「年間賞」もいただいた句でもある。
「野焼き」は春の季語。
畦や野を焼き払い農作業の準備を始めることである。
風の無い日に行うのであるが、野焼きを始めたことによって風が生まれたとを詠んだもの。
しかも村全体に広がったと、観たままに、感じたままに。
私にしてはスケールの大きい景となったと自負している。
子供の頃に観た景であっても鮮明に私の記憶にある。
「ええか、近寄るでないぞ」と父に言われた記憶。
野山を駆け回って遊んでいた私にとってはうかうか寄るんじゃないぞ
そんな風に言われた記憶。
ちょっとだけ小高い所に我が家があったので熱い風が生まれているのが感じとれた。
父は家の外に立って、心配そうに我が家を見つめていた。
何故なら我が家の屋根は「茅葺」ううん、「藁葺」だったのである。
日本昔話の中に出てくるような藁屋根の家が山間のスッポコ谷の中に
ポツンと建っている景を想像していただけるでしょうか^^?
その屋根に飛び火でもしたらたちまち燃え上ってしまうからだった。
父の心情はいかばかりだったか、大人になってこの句を作った時に始めて気が付いた。
最近の野焼きは消防車も待機しているのを見かけた。
また、野焼きを一軒の家だけでちょっとだけの積りで始めたところ
線路の枕木までに広がっておお騒動になったとか。
また、大いなる炎が上がったのか、電線を燃やしてしまったとか
そんなことにもなるらしい。
藁葺の農小屋のような家に住んでいた父の気の揉みようが今になって判るのである。
私は村を覆い尽くすかのような野焼きは異次元の世界にいるような心地だった。
PS
今は弟が真っ白な家を建ててしまって・・・しまって ^^v
多分、そんな景は憶えていないだろうと思う^^。