makoの喜怒哀楽

俳句は自分史・転記は禁じます

秋愁ひ

2016-09-15 | 日記

ここのところ、日没が早くなり夜明けも遅くなった。

9月~11月、私にとっては「秋憂」の時でもある。

今日は養父の忌日。

そして10月は実母。

11月は実父。

翌開けて1月は養母。

私は親不孝の最たる者なのか、親の臨終にも立ちあえていない。

「秋愁」の言葉に置き換えて父母を偲ぶ程度にしないと

「秋愁」は「秋憂鬱」に陥ってしまう。

 

 

失敗して

   自分を知る。

   他人を知る。

   人生を知る。

あるブロガーさんの記事にはいつも人生の教訓が書かれている。

 

私は思い込みが激しいので失敗する。

そんな時は私って所詮はこんな程度の人間だったのだと気落ちする。

「完全な人は誰もいないのだから」と開き直りとも慰めともつかない言葉で自分を納得させる。

反省をするのは言うまでもないこと。

そんな時、私の周りを取り囲む人がどんな態度を取るかで、それぞれのその人の也 、が判ることがある。

そして、人生を知ることになる。

 

人はオギャと泣きながら生まれてくる。

自分で呼吸しなければならない、苦しいのだ。

苦しみの一歩から一生は始まる。

しかしそれでも自力で生きているのではない。

多くの人に助けられて生きている。

これからも。

   

 さてさて、 今週末(17・土)にはなばなの里のコスモス畑がオープンするらしい。

「植え付け作業」が終わったとのこと。

そうか、あそこは種蒔きからではないんだ。

 

9/17(土)~のダリア・コスモスまつりに向けて、準備をしているそうな。

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2016年は「ソナタ」「ビッキーコンパクト」「コスミックス」の3品種のコスモスが植えられているとのこと。

 

カメラ、俳句、に現を抜かす私を親はどう見ているのだろうか・・・^^;

「それも良し」と観ているものと思いたい。