WIND BENEATH MY WINGS

震災後、私たちの暮らしの「あるべき姿」を考え中。持続可能で幸せな暮らしを一緒に考えていきませんか?

おやすみなさい&有難うございます。VEフランクル氏から学んだこと。

2008-06-22 22:59:45 | 私らしく生きる。気づきと学び
本日もご来店有難うございます。
今日は私に大きな影響を与えたVEフランクル氏の「それでも人生にイエスという」の中から、引用させていただきます。

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私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは間われている存在なのです。私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、「人生の問い」に答えなければならない、答を出さなければならない存在なのです。生きること自体、問われていることにほかなりません。私たちが生きていくことは答えることにほかなりません。そしてそれは、生きていることに責任を担うことです。こう考えるとまた、おそれるものはもうなにもありません。どのような未来もこわくはありません。未来がないように思われても、こわくはありません。もう、現左がすべてであり、その現在は、人生が私たちに出すいつまでも新しい問いを含んでいるからです。すべてはもう、そのつど私たちにどんなことが期待されているかにかかっているのです。 その際、どんな末来が私たちを待ちうけているかは、知るよしもありませんし、また知る必要もないのです。 

この点について、私はいつも、何年も前に新聞の短い記事に載っていた出来事について話をします。以前、無期懲役の判決を受けたひとりの黒人が、囚人島に移送されました。その黒人が乗っていた船は「リヴァイアサン」といいましたが、その船が沖に出たとき、火事が発生しました。その非常時に、黒人は、手錠を解かれ、救助作業に加わりました。彼は、十人もの人の命を救いました。その働きに免じて、彼はのちに恩赦に浴することになったのです。

ここでお尋ねしたいのですが、もしだれかがまだ乗船前に、つまりマルセイユ港の埠頭で、この黒人に、お前がこれからも生きる意味がまだなにかあるのか、とたずねたとしたらどうだったでしょうか。たぶん、黒人は首を横に振らざるを得なかったでしょう、まだどんなことが私を待ち受けているというのか、と。けれども、どんなことがまだ自分を待ち受けているかは、だれにもわからないのです。ちょうど、十人の命を助ける仕事が「リヴァイアサン」の黒人を待ち受けていたように、どのような重大な時間が、唯一の行動をするどのような一回きりの機会が、まだ自分を待ち受けているか、だれにもわからないのです。

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いい話でしょ?

良い夢をみて下さい。

おやすみなさい!


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