WIND BENEATH MY WINGS

震災後、私たちの暮らしの「あるべき姿」を考え中。持続可能で幸せな暮らしを一緒に考えていきませんか?

「坂の上の雲」のせつなさと希望と

2011-10-22 03:39:15 | 読書感想文
いよいよ、秋山兄弟の活躍場面となるNHKのドラマ放送を前に、再び坂の上の雲をひもといてみました。(地図があるから、予習によいのですよね~)

もう何回読んだかわからないけど、それでも読み返してしまう本のひとつが、「坂の上の雲」あらためてこの作品の普遍的な人気を感じました。

そういえば、ボランティアでご一緒した学生さんたちも、司馬遼太郎作品を読んで、大志を抱いていました。

男の子なら(女の子でも)一度は読みたい司馬遼太郎作品。「坂の上の雲」とは、小さく幼かった日本国家が、上り坂を下から眺めて、ここを登れば、雲=近代国家に手が届くんだ、と思っていたのを、坂の上にたなびく一筋の雲に例えた、本当に切なくなるような題名。

そして、そこを登り続けることで、日本という国は大きな負の遺産を負う事になっったのもまぎれもない事実です。それでも、登り始めたときの日本は、日本人は、カッコよかったと思います。

日露戦争のあと、日本が犯した過ち、その悲惨を知り、悲しみながらも、この作品を書いた司馬遼太郎さん。

太閤記でも、司馬さんは、秀吉の悲惨な晩年を書いてませんよね。

司馬遼太郎さんは、ぜんぶわかった上で、日本人を勇気づけ、カッコよく美しい日本人を描きつづけてきました。
そんなことを考えていたら、もし司馬さんがご存命だったら、今日の日本をどう描くのだろうかと思いました。

秋山兄弟のかっこいい活躍ぶりを楽しみながら、この小説、そしてドラマの根底に流れる奥深いメッセージを深く刻みつけたいです。


*************

坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)
司馬 遼太郎
文藝春秋

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年を重ねる愉しみ

2011-10-22 03:32:55 | 嬉しい!楽しい!面白い!ワクワク!
女性に例えると、「秋の美しさは成熟した美しさ」「冬は思慮深い銀髪の女性の美しさ」・・・。というたとえを聴いて、素敵だと思いました。

DVD‐BOOK ベニシアの手づくり暮らし 猫のしっぽ カエルの手 秋冬編
ベニシア・スタンリー・スミス
世界文化社


若さにしがみつくよりも、好奇心や向学心はそのままに、気持ちよく年を重ねることの方が素敵だと思います。

秋の紅葉はアラフォーの美しさよ、なーんて言ったら怒られるかしら?






そして、年を重ねて、↓こんな表情が浮かべられるようになったら良いのだけど。






築100年の古民家で自然と寄り添うベニシアさんの暮らし

2011-10-22 03:25:16 | 嬉しい!楽しい!面白い!ワクワク!
昨年、NHKのアサイチでとりあげられて初めて知ったベニシア・スタンリー・スミスさん。

約30年前にイギリスの貴族社会を飛び出してきたベニシアさんは、京都・大原の豊かな自然の中にある築100年の古民家に暮らしています。
家のまわりには、幼い頃から憧れていたコテージガーデンを造り、200種類以上のハーブを育て、手作りライフを楽しんでいます。

自ら育てたハーブを使って作るのは、料理からスキンケア、石けん、防虫剤、風邪薬など、生活に必要なありとあらゆるもの。

そして、その著書では、ハーブのレシピや、大原での暮らしと四季折々の美しい風景写真を紹介し、田舎暮らしの楽しみや、イギリスの屋敷で暮らしていた日々の想い出をエッセイに綴っています。

コテージ・ガーデンを作りながら暮らす中で、少しずつ見えてきた、植物の力、環境問題や食の安全、これからの教育や職業の選択などについて語ります。

「地球というこの美しい星に今、こうやって自分が生きていることが奇跡」と語るベニシアさんの言葉の力に私は惹きつけられました。
ただ、素敵、お洒落ということ以上に、「幸せとは何か」「どう生きるか」を考えさせてくれます。




●ベニシアさんのブログ

http://www.venetia-international.com/m51_blog.php?p=11111

ベニシアの京都里山暮らし ―大原に安住の地を求めて Venetia's Kyoto Country Living
ベニシア・スタンリー・スミス Venetia Stanley-Smith
世界文化社

わたしたちが住んでいる世界のよろこびや神秘などをいっしょに再発見し、感動を分かち合うこと

2011-10-10 18:36:32 | 私らしく生きる。気づきと学び
今週も懲りずに東京港野鳥公園に行きました。



今日も、人間の1000倍くらいの鳥と遭遇

美味しそうな、鴨



美味しそうな、カワウ




こんな観察小屋が所々にあります。



小窓から観察(のぞき部屋みたいですね)



今日の、のぞき部屋は踊り子さんいませんでした。



でも綺麗。

秋ですね。



「トマトだ!」
大きさが違うだろーーっ!




「行けーーー!」



「あっ!」



「エビだ!」



ザリガニが怒っています。汗


何かしてやろう・・・。
(殴ろうとしているようにみえますが)



嬉しそう。棒もって・・(^0^;)



それにしても綺麗。

幻滅も倦怠もふっとびました。






一日、うきゃうきゃとおちゃらけながら、幻滅と倦怠から、レイチェル・カーソンのことをふと、思い出しました。

彼女の願いは、すべての子どもが生まれながらに持っている「センス・オブ・ワンダー」、つまり「神秘さや不思議さに目を見はる感性」を、いつまでも失わないでほしいというものでした。
そのために「わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる」ことが必要だと言っています。

私は、そのひとりになれるかしら?

センス・オブ・ワンダー
レイチェル・L. カーソン
新潮社










「とらわれて役に立たぬことを考えず前に進め!」

2011-10-08 18:47:02 | 私らしく生きる。気づきと学び
1月2日に鶴見の潮田神社でひいたおみくじと3日に大井の鹿嶋神社でひいたおみくじが一字一句違わず驚いた2011年のはじめ。おそらく1%以下の確率で私のもとに、神様から届いたメッセージは、
「とらわれて役に立たぬことを考えず前に進め」
でした。
そして、3.11が起こり、日本が変わり、社会も変わり、想定外ばかりの一年間、そのメッセージを胸に「前に進んで」きたように思います。

まず、非常に頼りにしていた、しかも災害や福祉など支援専門の優秀な先輩が突然職場を去りました。とても残念だったし、責任を感じました。なぜだろうかと自問自答し、家ではずっと泣いていたり、眠れない日々が続きました。特に東日本大震災に関しては、専門外の私には無理だ、手におえない、できないと思いました。周囲には「なんとかなります」と言いながら、実は「できない」といちばん思っていたのは私だったと思います。

しかし、震災の緊急募金の管理、毎週の会議であがる様々な課題のクリア、各種調整、制作発表、その後はイベントと番組の裏方稼業に追われ、悲しんだり、できないなどと言っている閑など、ありませんでした。

春が過ぎ、7月被災地での打ち合わせにいきました。




震災から4ヶ月たってこの状況。見渡す限りの廃墟を石巻でみました。この光景をみて涙が止まらなくなりました。それまでも、休日に震災のニュースをみるとよく涙が出ていましたが、生でみて、生できいた衝撃は大きかったです。

このとき「前に進むしかない」と思いました。このあと、迷いは、消えました。その後、専門外だろうと、不十分だろうと、「前に進んできた」人たちに大勢出会い、勇気をいただきました。


怒涛のイベントや番組の準備、本番が過ぎ、集計をし・監査を終えた金曜日、上司や先輩とへろへろになりながら、

「奇跡になんとかなっているな、いまのところは・・」と笑いました。

(あくまでも「いまのところ」であり、あくまでも「自分たちでおそれていたよりは良い」の意味です・笑。それくらい危機でした。)

その後、ふりかえり、少し分析をしました。

1,言いたいことを言い合う関係

→ 本音と建て前を使い分けたり、
遠慮をしていると仕事に支障をきたすことに気づき、まず、現場レベルでタブーをなくしました。
とりあえず、現場から上がった声と自分の考えで「すぐ手を打たないと」ということは即上に上げました。上司と衝突したことは、数知れず。
その後、激論が「普通」になり今に至ります。

2.情報共有

→こちらも、打ち合わせしている閑がないから、スケジュール、進行状況、その他情報共有がいつのまにか徹底しました。

必要な情報を下におろさないと私が上司に厳しく苦情を言うので、後輩もその私をみて、私が必要な情報を伝えていないと苦情が(^0^;)。
でもこれは大切なことです。「ひとりしかわかっていない」をなくしたことも、チームとしてのしなやかさに繋がったと思います。

3.若手の裁量権を増やした

→これは、部長と副部長の英断。慣れた人がいなくなり、若い人たちに任せる決断を上がしてくれたことが本当に助かりました。
私自身は、とにかく後輩を「考える力のある一人前の人間」として扱いました。結果として、後輩たちは、私が考えていた以上に優秀だったのだけれど。

4.個人の手柄より全体のパフォーマンス主義

みんなが「個人の手柄」ではなく、常に「どうやったら全体がうまくいくか」を考えて動いてくれたし、上司や先輩もチームワークをとても大切にしてくれました。「抱え込まない」を合い言葉に、難しいこと、大変なことは、知恵を出し合い、分担しました。これもまた、危機だったからできたことかもしれません。

そして、最後に・・・。
5・「前に進む意思」を自分自身が持ち「前に進もう」と呼びかけてきたことが良かったのかもしれません。
前に進めない人を進ませるために、怒鳴ったこともあります。私より上ですから恨んでいるかもしれない。では、もう一度同じことが起きたらどうするか?ごめんなさい、私は同じことをするつもりです。

そんなわけで、我が零細セクションは「やるしかない」を合い言葉に夏を乗り越え、前に進んできました。「絶対できない」「私たちには無理だ」と思っていたことも、とりあえずは乗り越えました。しかも、当初の予想よりも順調に。これを自分の手柄とは絶対に思いません。では、何か良かったのか?おそらく「危機に直面した」ことにより上記ができたからなのではないかと思います。

私自身は7月に被災地をみてから、全く迷いはなかったし、今でも「前に進むこと」への迷い、ためらいはありません。部内でのタブーや激論はあたりまえになり、週が明けたらまた激論が待っているでしょう。激論して前に進む、これが我が零細セクションのパターンとして定着したように思います。

おそらく、想定外の連続が私たちを鍛えたのだと思います。まだまだ弱いけれど、零細セクションなりに本当に強くなったのだと思います。震災前にはなかった強さです。

いっしょに力強く前に進んでくれた上司、先輩、後輩たちに心からの感謝と敬意をこめて、今日はこのブログを書いています。

また、やめた先輩の活躍と健康と幸せと、これまで育ててくれたことへの御礼も忘れずに。

それでも、すべてはまだはじまったばかりなんですよね。
「とらわれて役に立たぬことを考えず前に進め」
はこれからも続きます。

本当に、まだ、はじまったばかりなのですよね。




あたりまえの幸せ

2011-10-03 22:36:45 | このブログについて・お知らせ


あまり詳しい事情は書けませんが、10年前の9月11日、妊娠9ヶ月で行き倒れた私は病院のベッドで目覚め、同時多発テロでWTCが崩壊する様子をひとりみつめていました。

私的事情で途方にくれ、祖母に電話して泣き出す。すると祖母は、「あんたマスコミの人間でしょ。しっかりしなさい。歴史的な悲劇が起こっているのよ。テレビを観なさい。新聞を読みなさい。そして考えなさい。」と一喝され、いきなりしゃきっと気合が入りました。これも祖母の優しさだと思いました。

そして産休までの残り一週間を病院から会社に通いました。私が毎日同じ服で出社していることには妊婦ゆえ、誰も気付かなかったようです。
9.11の情報が交錯し、あわただしい雰囲気の中、引継ぎを終え、誰もいないフロアから紙袋を5個持って、転院する病院に「チェックイン」しました。

そして、そこに入院中に、もうひとつの悲劇、育児中だった同期(仲のいい友達だった)の突然の死を知りました。素晴らしい女性でした。彼女が残したお子さんは、いまどこで何をしているのでしょうか。幸せであることを祈ります。

前年、予定日に第一子を喪った私は、妊娠6ヶ月頃から、お腹の中にいる子供が死ぬ夢を毎日のようにみていました。(おそらく、離婚した前の夫も同じように苦しんでいたと思います。)
喪った子供への責任を感じ、亡くなった友人の力になれなかったことを悔やみ、生まれてくる子供の父親がいなくなる現実を嘆き、毎日夢を見て発作を起こし、最後には喋れなくなりました。

それでも、9.11について新聞を読みつづけることだけはなぜか止めませんでした。新聞を三紙購読しながら2ヶ月入院していた、旦那さんのいない?妊婦はさぞかし不思議な存在だったことでしょう。自分の身に起こったことよりも、もっともっとおそろしい事が起こった。
それを知らなければならない、という気持ちが私に正気を保たせたのだと思います。

そして2ヶ月の入院ののち長男が誕生しました。長男が「生きて」産まれたときは神様に感謝しました。そして5年間ふたりで寄り添って生き、5年前に再婚し、今の夫との間に次男が生まれました。

今は毎日、ふたりの子供たちの寝顔が待っています。毎日感じることですが、彼らの顔をみるとき「あたりまえの幸せのありがたさ」をかみ締めます。



我が家は、四歳の次男を除き、「家族とはあたりまえにあるもの」という意識はありません。

長男は5年間、ときには22時まで保育園にいたし、忙しいときは区の施設で週末を過ごしました。私は当時も今と同じ仕事をしていましたので、今の私がたったひとりで乳児から幼児にかけての子供を育てて、私が働いている間、子供はずっと預けられているとイメージしていただければわかりやすいと思います。当時の状況では、生きていくにはそうするしかなかったのです。

ですから、私たち家族は、「家族が普通に一緒にいられることが、いかに幸せなことか」をよくわかっていると思います。

重ねて言いますが、あたりまえの、ありきたりな幸せが、いま本当に有難い。

9.11だけでなく、3.11以降もさまざまな理由で理不尽に破壊される無数の家族のことを思うと言葉もありません。そうした方たちへ心よりの追悼と、残された人にいつか心の平安が訪れることを願ってやみません。

暗示の効用

2011-10-02 17:08:31 | 嬉しい!楽しい!面白い!ワクワク!
10月1日は4歳の次男の運動会でした。

事前の情報によると、スタートに難があり、
いつもビリということ。

楽観的の前に「超」がつく次男。
「がはは~ビリじゃ~」
と笑い飛ばしていたものの、
彼女(がいるんですよ、保育園に)
の手前かっこわるいと思ったのか、
一週間前になって「ママやばいよ~」
と焦りはじめました。

その頃私は月末ぎりぎりになって
仕事が終わらず、アクシデントもあり、
かなりスリリングな月末を迎えることに。
おまけに風邪までひいてしまい、
かけっこについては完全に無策のまま、
9月30日を迎えました。

9月30日の夜やっとなんとかしなきゃと
思って、考え出したのが「イメトレ」。
「要はイメージの問題だ」。
保育園児のかけっこなんて、
30メートルくらいのもんだから、
スタートさえ成功すればなんとかなる、
ということで、そこに焦点を絞ることに。

10月1日当日の朝起きたときから、
「昨日、ひろぴんがかけっこでスタートが
スッゴクうまくいく夢をみた」
「夢の中で笛と同時に風のように走っていた」
「なんか勝てるような気がする」
「ママの予感はあたる」
「ひろぴんって、本番に強いしね」

と暗示をかけまくりました。

インチキ占い師のような母ちゃんだ。

「スタートする前に上手くいく姿を考えること」
(イメトレをしろということ)

しかし、ひろぴんは
インチキ占い師の言葉をちゃんと真面目に
実行したのです。

●イメトレ中
(ひろぴん、偉い!)




●スタート前の集中
笛を吹くセンセイを凝視
(ちゃんと集中できて偉い!)



いけーーーーーーー!





ママは、ムービーだったので、
予想より早い動きについていけず、
動画は見切れてしまいました。
スチール担当のパパの話では
1か2番ということ。

やったーーーーーーー!

インチキ占い師作戦、大成功。

とどめに
「ほーら、ひろぴんは本番に強いでしょ!」
と10回くらい言っておきました。


彼女(4歳)にぎゅーっと抱きしめられて、
(写真は非公開)
家族みんなに褒められて、
ひろぴんは再び、超楽観的オヤジにもどり、
「ガハハハ、ヒロピンはいちばんじゃ~」
と高笑い。

でも、夜寝る前に、小さな声で、
「実はホッとした」
と打ち明けてくれました。

良かったね、ヒロピン。!(^^)!