ミラノでは、レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐を見たいと思っていました。
出発の1月前にネットで予約をしようとアクセスしたら、希望の日はあと7人でした。
本人の登録に時間がかかって、最終的に予約をする段階になって、残り1人となってしまいました。
世界中から予約をしているので、埋まるのが早かったですね。
仕方ないので、地元の旅行業者が主催する最後の晩餐ツアーに参加しました。
英語とスペイン語のみのツアーで、案内の1人の女性ガイドが英語とスペイン語で案内してくれました。日本人は、我々2人だけでした。日本人のガイドを伴った8名ほどのツアー客が一緒でしたが、彼らは、バスは一緒でしたが、まったく別行動でした。団体ツアーで、最後の晩餐だけこのツアーに参加したようです。
最後の晩餐があるサンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会です。
写真撮影は禁止でしたので、レオナルド・ダ・ヴィンチ記念国立科学技術博物館のレオナルド・ダ・ヴィンチ展示室にあった写真をアップします。
教会の待機ホールにあった展示です。
1999年の修復後の絵です。向かって右のシモンの手やテーブルの上の静物が拡大されています。
これも待機ホールの展示で1999年の修復中の絵です。
フィリポの顔が修復前後で示されています。
次は、博物館のレオナルド・ダ・ヴィンチ展示室にあったジョバンニ・マウロ・デッラ・ロヴェレの最後の晩餐です。
ダヴィンチの128年後の作品です。キリストに後光が射しています。
次は、フィレンツィエのサンタクローチェ教会にあった最後の晩餐です。
この絵では、ユダのみテーブルの手前に座っています。
これもフィレンツィエのサンタ・マリア・デッレ・カルミネ教会の回廊に描かれていた最後の晩餐です。
最後は、バチカン博物館に展示されていた、織物で描かれた最後の晩餐です。
あと、ほかのところで2,3見たと思いますが、撮影禁止だったため、画像はありません。
出発の1月前にネットで予約をしようとアクセスしたら、希望の日はあと7人でした。
本人の登録に時間がかかって、最終的に予約をする段階になって、残り1人となってしまいました。
世界中から予約をしているので、埋まるのが早かったですね。
仕方ないので、地元の旅行業者が主催する最後の晩餐ツアーに参加しました。
英語とスペイン語のみのツアーで、案内の1人の女性ガイドが英語とスペイン語で案内してくれました。日本人は、我々2人だけでした。日本人のガイドを伴った8名ほどのツアー客が一緒でしたが、彼らは、バスは一緒でしたが、まったく別行動でした。団体ツアーで、最後の晩餐だけこのツアーに参加したようです。
最後の晩餐があるサンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会です。
写真撮影は禁止でしたので、レオナルド・ダ・ヴィンチ記念国立科学技術博物館のレオナルド・ダ・ヴィンチ展示室にあった写真をアップします。
教会の待機ホールにあった展示です。
1999年の修復後の絵です。向かって右のシモンの手やテーブルの上の静物が拡大されています。
これも待機ホールの展示で1999年の修復中の絵です。
フィリポの顔が修復前後で示されています。
次は、博物館のレオナルド・ダ・ヴィンチ展示室にあったジョバンニ・マウロ・デッラ・ロヴェレの最後の晩餐です。
ダヴィンチの128年後の作品です。キリストに後光が射しています。
次は、フィレンツィエのサンタクローチェ教会にあった最後の晩餐です。
この絵では、ユダのみテーブルの手前に座っています。
これもフィレンツィエのサンタ・マリア・デッレ・カルミネ教会の回廊に描かれていた最後の晩餐です。
最後は、バチカン博物館に展示されていた、織物で描かれた最後の晩餐です。
あと、ほかのところで2,3見たと思いますが、撮影禁止だったため、画像はありません。