銀河は宇宙に均一に散らばっているわけではなく、密集しているところとそうでないところがあり、その様子は泡構造をなしているといわれている。
泡ならば、石鹸水の表面張力と拮抗した全外方向への均等な圧力、つまり中に何かが入っていると考えられそうだが…銀河が四次元粒子だとすれば、五次元粒子の存在も予測される。それは銀河よりも大きな構造をしているはずで、もしも、泡構造の中心にあるのが五次元粒子だとしたら…
五次元粒子は、
・中心に五次元重力域と、五次元領域をもった影響域が4つある。
・五次元粒子は今も四次元粒子を生成している。
と考えられる。 五次元粒子と生まれたばかりの四次元粒子つまり銀河の元となるものは、三次元以下の粒子がまだないので、当然光を発しておらず、占めている空域のわりには強い重力と、透過する光の複数の影響域による性質の変化が観測できるはず。
ちょうどこの辺りにはダークマターというのがあるらしいから、見えない巨大な質量をもつ五次元と四次元の粒子を想定するにはもってこいの場所だ。
宇宙の始まりは知らないが、宇宙の構造や各粒子の所在を見ると上位粒子から下位粒子が生成されると考えるのが自然だ。しかし、各粒子の生成のされやすさや量にはバラつきがあるようだし、粒子自体の性質もそれぞれ違う。中でも三次元粒子は量も多いし、二次元粒子と結合して各種原子を構成し、重力で引き合って星にもなる。まるで宇宙が三次元粒子のためにあるかのような多様な振る舞いを見せてくれる。
五次元粒子は巨大なまま宇宙に充満し、その間を縫うように四次元粒子が散在する。三次元粒子が銀河に溢れ返り、二次元粒子が物質を結合して、最終的に一次元粒子が生成されると、粒子間を行き交いながら、やがて宇宙へ広がっていく。私はこの様子が、大地があって、種が芽を出し、葉を広げ、花を咲かせ、散ってしおれて、枯れて土へ還ってゆくのに似ていると思い、これを「種宇宙」と名づけてみた。
またトポロジーの話だが、前出でドーナツ型を平面に集約することで二次元粒子の説明に代えたが、ドーナツも穴の空け方によっては平面にできない場合がある。
たとえ平面に集約したとしても、立体構造であることに変わりはない。これを粒子の性質から考えるなら、二次元粒子自体に立体的に結合する能力はなく、三次元粒子だけで穴のある構造物をつくる理由がないことから、三次元粒子が二次元粒子を介して結合したと見るのが妥当ということになるだろう。いうなれば三次元の性質と二次元の性質が合わさった構造だ。
トポロジーでこれをどう扱っているかは知らないが、構造を三次元とするか二次元とするかの問題で焦点となるのが“表面”だ。宇宙にもその成り立ちの中で表面ができる場所がある。そこは命を育む神秘的な場所でもある。星の表面だ。
では、星はどうしてできるのだろうか? まず三次元粒子が原子核結合すると、原子同士が重力で引き合いやすくなり、重い原子が星の核となって、重いほうから軽いほうへと物質が堆積していくということがある。その際、回転することで混ぜと分離の力がはたらき、効率よく均一化と堆積が進行する。この回転は四次元粒子の干渉によって大きな流れが生まれると思われる。つまり星は、三次元の重力と二次元の結合力と四次元の影響力の産物ともといえる。
その最大の構造体が恒星で、そこは自然の重力炉となり、より重い原子を合成し、粒子の最後の役目ともいえる光を放出する場所となる。恒星でつくられた重い原子は、造星時に回転と質量のバランスを崩しやすくして惑星の元になる。惑星の表面では、恒星からそそがれる光を浴びて、絶えず状態を変化させながら、いくつもの化学反応が繰り返され、やがてその中から生命のもととなる分子が合成される。
宇宙の姿をこう考えるメリットが一つある。これまで、生命がなぜ種や卵から生まれるのかという疑問に対する決定的な答えはなかったが、宇宙が五次元から発生したと考えるなら、今度からはこう答えればいい、「宇宙がそうなっているからだ」と。
種宇宙は宇宙の始まりを説明していないし、光がどこへ行くのかも説明していない。宇宙の果ても想定しておらず、ただ空間があるだけ。強いて言えば、いくつもの五次元粒子がひしめき合っている状態が始まり。それ以前のことは、ビックバン宇宙論と同じように考えればいい、という程度のことでしかない。それでも種があるだけで宇宙の有様がより自然にイメージできるようになるはずだ。
一つの爆発ですべてが生まれ、ムラが星になって銀河になってが、ニュートン物理はおろか相対性理論さえも通用しないと言われては、理解しろというほうが無理な話だと思うのだが、どうだろうか?
実は、私は、ビックバン宇宙論があまり好きではなかった。
何もないところで生まれ、それが世界の全てだというものは自然の中にはあまりない。唯一そういうものがあるとすれば、それは自意識だ。自意識はそれが生まれるまでは存在しないし(少なくともそれが何かから生まれたと自覚するまでは)、他人を尊重できるまで精神が成熟するまでは自意識=世界でありつづける。だからビックバンだけで宇宙ができるという考えは、非常に身勝手な印象があって、あまり好きではなかった。
だから、それとは別の考え方を自力で思いつけたのは、我ながら幸運なことだと思っている。