模様眺め

3DCGと模様と宇宙

自由と、自由と不自由の間と、

2008-04-18 00:50:41 | もの思い

 自由な振る舞いも、評価されることで、ある種の制約を帯びる。大小雑ざり合った小石が、ふるいにかけられて大きな小石だけが上に残るように。
 価値を認められたものだけが得をする、誰にでもわかる子供にもわかる、自由のなかにある不自由の正体。
 人の価値観や評価基準は多様だという建て前はあるが、とくに子供のそれは単純で重要だったりするもの。最も自由だと思われている子供が、その自由のために最も不自由さを感じているのかもしれない。
 では、自由を感じるためには、どうすればいいか? 自分に価値があると思い込むか、あらゆるものを等価値とみなすか、あるいはいっそ評価するのをやめるか。どれもありきたりというか、自由のためとはいえ自由という感じがしない。自由が選別を推進し、一方で均質化が促され、自由と不自由の果てに虚無が訪れる、というのは興味深い話ではあるが。あと、自由は多様性を保証していないのかもしれない、ということも。自由が確保される以前にも必ず制約があるわけだから、むしろ制約が多様性を保証しているようにも思える。
 自由とは関係ないのだが、つまらないものにこだわるというか、こういうのもアリなのではというもので、無価値なものの中に優れたものを見つけるというのはどうだろうか? 自由と不自由のなかにいては得られない楽しみもある。この問題点は、楽しいからといって価値が生まれるとは限らないということ。
 そういう意味でも、自由は、誰からも評価され認められるような、優れていて価値があるものを生み出す可能性のある、現実的ななかで最も有効な方法なのかもしれない。

 賞をとった子供の絵を褒めるテレビを見ていて思ったこと。
 私などは、自由に描けといわれても困ってしまうような子供であった。子供も子供なりに上手に描きたいと思う子も結構いるのではないか。音楽がちょうどそうで、ハーモニカを与えられ、譜面通りに正確に演奏するように要求される。私はこのプレッシャーも苦手だった。
 何にせよ自由にやれといわれて自由にできるというのは羨ましい。