受精卵が細胞分裂をしはじめ、やがて人の姿になるまでに、鰓があったり水掻きがあったりすることで、胎児が人の進化の過程をなぞって成長しているという考え方がある。
この考えのみで人の進化を判断すべきではないが、人の成り立ちを端的に示している非常に興味深い話だ。
そこで思ったのが、人の進化をなぞっているのは胎児の段階だけでなく、出産後の子供の成長も人が類人猿から進化した過程そのものなのでは、ということだ。
そこのところを文化史論的に表すと以下のようになる。
人類が猿から分かれたのが500万年前といわれているが、そこから二足歩行を始め、手先を器用にし、脳が肥大するという進化をたどったとされるが、あわせて言葉の進化、社会の進化もあったであろうことも考慮すべきだろう。
最も重要なのが言葉で、片言の言葉、未完成の言葉だけでつくられる社会があったことが予想される。
①言葉の芽生え:~1歳。見聞きし感じることが頭の中で整理されての行動や発声。目的的で再現性のある個体がつくる社会。
②一語文~:1歳。表現としての言葉。共感がつくる社会。
③SOV文:2歳半。物事を正確に認識・表現できるだけの言葉。規範が形づくられていく社会。
④ストーリー:5歳。社会形成のための言葉。人間性にもとづいた社会。
⑤言葉の創造性:10歳。自我の芽生え。自律し、社会での役割を担おうとする。
このあと第二次性徴というのがあり、性欲を動機にした自我で、真の意味での能動性を発揮するようになる(それまでは自発的で能動的に見えても、擦り込みと区別できない)。
現在の人間は遺伝的に数万年前とほとんど変わりがないという。つまり、人間は数万年前までの進化で獲得したものが、成長して10歳になるまでに具わるということになる。
ここで一つの疑問が生じてくる。言葉の進化の後にどの動物にもある性徴が現われるのは順序がおかしいということだ。
これを解決する一つの方法は、“性”というものがもっと大きな枠組みで存在する、生命の根元にある仕組みだと考えることだ。
生まれ、育ち、生み、死ぬというのはどういうことか?
まずは受精卵から胎児の間に起こることを片付けておく。
言葉を使うようになる前の人も集団で生活していたはず。集団というのは個体にとっては環境の一つであり、それは様々な環境に適応する術をもった脊椎動物が行き着いた形といえる。
環境に適応する能力というのは、進化という尺度においては、脳が重要な役割を果たしたと思われる。
①脳を持った脊椎動物。
②水棲・陸棲など広範な環境での適応への試み。
③環境への関わり。巣作り。
④哺乳を経た集団という環境。
⑤集団のための手を介した個体間の環境作り。仮に知が環境操作能力ならば、この時が生命が知を得た始まりということになる。
高性能の単機能では適応できる環境が限定される。それよりも、並立しうる性能で複数の機能をうまく使いこなすほうが、生存には有利なはず。より適応的な形態はあとからついてくるのではないか。
まだ受精卵にたどり着いていないのでさらに遡る。
様々な遺伝的特徴をもった細胞は、分化し役割分担することで、その能力を十分に発揮できるようになる。これを神経でつなげば連動して働き、中枢で管理すれば複雑な動きもできる。さらに一時記憶装置付きの脳があれば、状況に合わせた適応力の高い活動が可能になる。
①多細胞化
②組織分化
③制御
④中枢
⑤情報処理装置
受精卵から脳ができるまでの成長は、神経系の進化を示しているといえるかもしれない。神経かそれに類する機能をもったあらゆる生物、後の昆虫や種々の生物の元になった生き物、カンブリア紀の様々な生き物が、この時代まで遡って発生を同じくしていたと思われる。
これで残る問題は、遺伝子ができて細胞ができるまでと、生殖することと、あとは死ぬことか。
性は進化のあらゆる側面で重要な役割を果たしている。これは性が生命の原始的な段階で発生したからだと考えられないだろうか。
○?
○複製
③自己増殖
④性の獲得
⑤高機能細胞体
なぜ進化のあとで性徴が現れるのかという疑問に対する答えは、細胞が性を獲得することによって受精卵としての器質を具えたから、ということになるだろうか。細胞の状態で個体を増やすのに変わりはないが、成長して生存能力を試しておいて繁殖するのが性。昆虫が繁殖のためだけに成虫になるといわれたりするように、人間も、受精卵が人遺伝子の完全体であって、単に繁殖のために人の姿になる、という見方だってできる。
一方で、性が分化の一種だという見方もできるので、この場合、細胞分裂を始めて性別が決まった後も成長が続くのだから、進化はもっと複雑な仕組みになることが考えられる。
これら二つの性の形があることによって、生命に多様な性の営みが見られるようになったのではないだろうか。
とりあえず、人の成長からわかる生命の成り立ちは、こんなところか。
文化史論では、物事が発生するには、過去のものほど長い歳月が必要とされると考えている。
地球の誕生が46億年前で、そこから有機物ができて遺伝子ができるまで…ここにどれだけの飛躍があるかは知らないが、順序立てて考えていくと、もしかするとあと50億年から100億年ほど不足しているような気がしている。安易かもしれないが、地球が生まれる前から、遺伝子の素材ぐらいはあったと考えるのが妥当ではないか。
だとすると、生命の存在理由を解き明かすには、地球の中あるいは周辺を調べるだけでは無理だということになる。