永遠に続く命が不自然なものだとは思わない。それが発生する可能性は自然の中に十分ある。不老不死の人間も実現可能だろう。しかし、半永久的に生きられる人間が周囲に害悪をまきちらす存在になるであろうことは想像に難くない。人体に有害な物質が取り除かない限り自然界に永続的にあるとして、今度は地球に対して人間がそういう存在になる。
はたして、人間が半永久的な命を得たとして、人生にどんな楽しみが残るのだろうか。不死の人間にとって、最高に幸せな一日を手本にしてそれを永遠に繰り返すとしたら、これ以上の退屈はなく、永遠の意味がない。穏やかな日々を過ごすだけなら人間でなくてもいい。単に死にたくないというだけならば死んでいるのと同じこと。半永久的に生きられるからといって、人間にできることに限りがあるのに変わりはない。むしろやらなくなることのほうが増えて、生命としての可能性を閉ざすことになる。
近未来、不老不死となった人類に訪れるもの。
生命をコントロールするための技術、あらゆる技術が高度化し、ロボット技術で人間は何もしなくていい世界。人間に必要なものが必要な時に簡単に手に入れることができる。いつでも行こうと思えばどこへだって行ける。宇宙でさえも。
その人間が地球上で最も不必要な存在だとしたら? 不老長寿もはじめは半信半疑だったものが、何百年何千年と長生きをするにつれ、そのことに気づきはじめる。永遠がすべての人のうえにのしかかり、一つの疑問を投げかけてくる。半永久的に生きて何もすることがなくなった人間にとって地球は小さい。狭い世界は人の存在意義に疑問を抱かせるものでしかない。
ある人は自ら死を選択する。ある人は不必要なものを排除するため他の人間を駆逐しはじめる。その他のほとんどの人はさらに世界を狭くして悠久の時をただ生き抜いていく。
じわじわと人口を減らしていった人類であったが、自らの絶滅を危惧するようになる頃、遥かな宇宙を目指して旅をしようという者が現われる。
宇宙開発も当然進んでいて、他の惑星への渡航や移住も盛んにおこなわれていたが、人が不老長寿になってからはその意義も次第に失われていった。しかし、今度目指すのは何千何万光年も先の宇宙。永遠の命を得て距離と時間を問題にしなくなった人類が、遠くの星で生きるために、持てる技術を携えて、全銀河に旅立つ。
どうせ地球にいられないならば、どんなに遠くの星でも、自分だけの星のために生きる。何年かけてでも他の恒星系に行き着き、適当な星を見つけて生命の種を植えつける。必要ならば小惑星をぶつける。有機物を降り注ぎ、遺伝子を注入し、時には生物を投入する。ただ一つのルールは、必要以上にその星に関わらないこと。
…という意味での宇宙人なら、この地球周辺にもいるかもしれない。
俗っぽいところで、宇宙人はいるか?とかUFOを信じるか?とか聞くと、想像力のない問いかけだなと思っていた私だけど、ふとこれを思いついて、あぁ宇宙人はいるな、と。ワープとか超光速とかはいらない。永遠の命が実現されれば、現時点で想像できる近未来の科学力で人類でも宇宙人になれる。
今でもそんな宇宙人がアステロイドベルトあたりに潜んでいて、数百年ぶりに地球に飛来なんてこともあるかもしれない。