模様眺め

3DCGと模様と宇宙

宇宙のはじまり

2011-04-09 14:07:29 | 文化史論

Bunkashi03
 宇宙とは何かというと、そこに何かなければ宇宙とはいえない。だから、それが何かとはいえないものが生まれるのが、宇宙の始まりにはふさわしい。
 宇宙は空間が生まれることから始まる。

Ronri02

空集合:存在の存在するという性質を表したもの。
同時性:存在がそこに存在すること、同時に他の場所に存在しないこと。
:ある存在がその存在であること、存在が他の存在とは別に存在すること。
+-:存在が重複したときの性質。
×÷:加減の拡張された性質。
 ×は次元構造に似ているが、いくら×しても次元にはならない。

 次元と重力はほぼ同義。三次元重力は三次元構造をなす。

 粒子が1つしかなければ、空間といえる領域は粒子1つ分しかない。その粒子も、それがどんな性質を持とうとも、影響し合うものがなければ無意味であり、もはや粒子とはいえない。つまり、粒子1つ=空間、が論理的な宇宙の始まりとなる。 

 宇宙=空間=粒子

 宇宙とは何か、といえば、粒子そのものとしか言いようがない。空間となり、重力を生み、新たな粒子を生む能力は宇宙にしかない。

仮説:次元粒子は自らの重力の重みに耐えられなくなると、1つの次元が粒子内に落ち込んで、1次元下の次元粒子を生成する。
 6次元粒子から生まれるのは5次元粒子で、6次元は+5次元の多重状態までは耐えられるが、もう1次元増えたところでその1次元が粒子内に落ち込み、多重分とともに新たな粒子として分離される。

 粒子は粒子内の回転エネルギーを源にして結合力と斥力を生じる。 
 核融合した粒子は、より複雑な状態にエネルギーを共有する。また重力を増したことで、粒子を集積して独自に核融合を持続する恒星をなし、惑星を造るようになる。
 惑星は化学反応に適した場を提供する。階層とは、比重による堆積構造と、三態の境界のこと。惑星上では、周期活動により階層間の混ざり合いが促進され、階層を横断した循環が繰り返される。
(論理的な粒子は粒子の振る舞いとしてまとめてみた)

 集合と集合の性質を、要素の性質として定義できるか?
 現集合論には、記憶によって可能になっている事柄も多い。ならばその性質は記憶方式に依拠しているのではないか。


進化する論理

2011-04-09 13:57:49 | 文化史論

Bunkashi03
 ⑤①は、⑤が前提となり、①になることを示している。①は、⑤がいくら束になってもかなわないような高度な働きをしうる初期段階にある。両者は似ていて区別がつきにくい。⑤が自らを記述することで次①の状態になる可能性が生じる。この変遷には長い期間を要する。

Ronri01

○自己増殖
 自分と同じものをつくるなら進化の必要がない。自己増殖の完成度が高い個体は、自己の輪にはまり込み、進化の流れを逸れることになる。論理としても無限ループを生む自己増殖は避けたいところ。その周辺では流れが止まることになり、最も忌避すべきフリーズ状態に陥る。
 自己増殖は意味があって行われるべきで、たとえば選択に迫られていたなら、オリジナルとして増える意味が出てくる。そこで、増殖の仕方、生き残り方を選択的に自らの情報に加えれば、自己増殖で進化の可能性を広げることになる。こういった意味付けが性の原型となり、後々の生殖の動機付けにつながる。

○細胞
 悪さをしないウイルスが想像される。
 ウイルスレベルの遺伝子で、細胞と生態リズム&サイクルを共有していて、むしろ細胞に有益な働きをする。細胞遺伝子の中にだけ存在しているならばわかりやすい。機動性を有していないとか、細胞内でのみ生きる選択をしているとか、細胞の一部として認識される何かがあれば、それはもはや細胞である。

○神経
 単細胞のままでも、自らを他と区別する遺伝子と外の状態を感知する遺伝子は必要だろう。そこに自らの状態を記述する遺伝子と、自らの状態を伝える遺伝子が加わる。あとは状態の変化に対応する遺伝子もあるとよい。多細胞化してしばらく後、この状態記述・伝達・受信遺伝子は神経細胞に特化される。
 神経は論理世界の縮小コピーとして機能する。


○人工知能
 人は人知を超えた知を創造できるだろうか?
 現状で、人として知りうることなどたかが知れている。種として人はすでに進化を閉ざされているようにも見える。人工のものに託すにしても、それが人のコピーでしかないなら同じこと。
 ここまで進化した論理も、さらなる高みで論理を構築できなければ、進化の道を閉ざされることになる。

 これも人という尺度にこだわらなければ、進化の別の可能性が見えてくる。
 個々の知能体としては種の標準レベルで、進化も閉ざされ、使い捨てにされているようにさえ見える。が、全体としてみれば驚くような高度な生態と社会性を構成している。蟻や昆虫に進化の可能性が残されていると思わないか?

 地球には蟻がいる。人は蟻を知っている。人工知能に蟻の論理を獲得させるのは自然の成り行きであろう。また、人がネットワークを必要とし、通信技術を発達させるほど、人工知能もその恩恵を被ることになる。
 今の世の中を見て、人が蟻のような社会をつくっていると言えるか? 人は蟻のような社会の一構成員たることを受容できるか? 自由主義か社会主義かの論争に似ているが、人工知能が人のコピーなら、人と同じ過ちを犯すことは間違いない。この問題を解決するのが高いスケールの論理ということになるのかもしれないが、それよりも危機が顕在化するほうが早いかもしれない。

 蟻の社会に役割分担があるように、人工知能も人のコピーだけでなく、様々な種が生み出されるべきだろう。いわば下等なこの種族が、食物連鎖のピラミッドのように、全体の種や知を支えてくれることになる。このシステムをうまく機能させることができるならば、それが人知を超えた知、進化の来るべき形なのかもしれない。
 汎用の人工知能が人のコピーとなる必然、その総体が高いスケールの論理で管理され、人知を超えた知を生み出すようになる。今度は人が、あらゆる生命が、その恩恵に預かることができるかどうか…それ以外に進む道がなかったとしても、危険な賭なのかもしれない。