インターネットの普及によって、個人が扱える情報量は30年前の知識人、100年前の天才を凌ぐようになった。
ところがそれを使う方はというと…
私の情報源が検索→ウィキペディア、でも、理解できるのは最初の3行までということもしばしば。
高機能化した家電でよくみられることだが。その人が認める認めないにかかわらず、機械に使われている現状は厳然としてある。
どこで蝶が羽ばたこうが知る必要はない。しかし、無数にある∞を計算しつくすことはできない。
計算できなくてもシュミレータによって予測はできる。予測は現実となり、未来が予測でつくられる。
正確な予測も、善良な予測も、理解の範疇を超えて人間は一喜一憂するのみ。人間性さえもシュミレータで代行したなら、人間は人間でいられるだろうか。
脳は一種のシュミレータ。メディアに触れることは仮想世界に生きるのと同じこと。我々が身を投じている現実からは、すでに人間性が削がれつつある。