模様眺め

3DCGと模様と宇宙

未数

2010-10-12 13:51:20 | もの思い

 全方向に無限に、連続的に広がる宇宙。この実数世界にも、“粒子が他の粒子とは別物”という意味での自然数の性質が見出せる。しかしそれは、そのままでは数字ではない。
 “広がり”実数から数学的な実数へ。“別物”自然数から自然数へ。ここには大きな隔たりがある。

 この隔たりを考えると、数字以降の数学の発展は目覚しい。
 人が数字らしきものを使うようになって数万年、演算込みなら数千年として、この間、人類に遺伝的な変化はほとんどない。
 そこでこういうことが考えられる。
数字を使うことと、数学的難問を解くことは、同じ能力に由来している

 数を理解し得ない赤子が、成長するにつれ高度な数学を操れるようになるのは、その間に脳に新たな機能が加わったからだとは思えない。数学が得意な人とそうでない人の差は歴然であるが、器質に差があると考えるのは危険だ。数学の天才たちが突然変異によって生み出されるのならまだしも、数学の解が遺伝子で導かれるわけではあるまいし。
 答えはもっと単純で、複雑に考えすぎて、わからなくなっているだけ、ということはよくある。

 これはとりもなおさず、脳が常に数学よりも遥かに複雑なことをしていることを意味する。
 数学は脳の一部でしかない。しかも、法則や演算方法など当たり前のように思っていることの多くが人の思考傾向に依拠していて、みな正当性や有効範囲を気にすることなく計算を駆使している。
 もちろん現実とのすり合わせや、宇宙の原理のような曲げられなかったものもあるだろう。人の思考に根拠がないわけではない。しかし、数学が、人の脳が見せている幻想に過ぎないかもしれないことは、心にとどめておくべきだ。


※実数は論理的に認識され、自然数は直観で認識される。“広がり”実数、“別物”自然数についても同じことがいえる。
 空集合に広さがないように、粒子がなければ空間に広がりは与えられない。つまり広がりは粒子が担い、数で表され、実数として論理的に認識される。別個判定は空間が担い、集合で表され、自然数的直観的に認識される。 
 歴史的には、直観的に自然数が使われるようになり、実数が定義されるのはずっと後のこととなる…が、中間的な実数の概念はいつでも潜在しうるし、自然数を実数に含まれるものとして考えるならどちらが先ともいえない。
 人類進化のなかで、実数世界の認識が先か、“別物”自然数の認識が先かも、なお考証の余地がある。

 重要なのは数学以前。数学は一つの突破口になるかもしれない。