一次元粒子が光、二次元粒子が電子、三次元粒子が陽子および中性子だとすると、四次元粒子はどこにあるのだろうか? 身近なところで思い当たるのは太陽だが、核融合で説明される恒星は想像もつかないというほどではなく、見た目も役割も三次元構造体の域を出ていないように思われる。
となると、宇宙の最も身近なところで、四次元粒子と呼びうる構造体は、あとは銀河しかない。
図に示したように、四次元粒子は中心に四次元重力の力動域をもち、四次元構造の影響域を3つもっていると考えられる。そこでは三次元粒子が今も生成されており、上下の影響域の干渉を受けて渦状の疎密をつくり、やがて密部で星々が生まれ、天の川の輝きのもと生命を育む…それが四次元粒子としての銀河像である。
宇宙は想像を絶する大きさと広がりをもっている。しかしそれも、銀河が一つの四次元粒子だと考えると、少しは納得のいくところで解釈できるようになる。銀河内の原子の数はあまりにも多すぎるが、電磁波の量と比べると、日頃から太陽の光を浴びている我々にとっては、多すぎる以上のものとは思えない。そして、宇宙には無数の銀河があるが、一次元粒子の数に対する三次元粒子の数と比較して、三次元粒子の数に対する四次元粒子つまり銀河の数はさほど多いという感じではなく、むしろそんなものかという程度の感慨に落ち着く。
三次元の塵の集まりからしてみれば不必要に広いと思われる恒星と恒星との遥かな間も、四次元のふるまいならば納得がいく。原子のあり方に対して、原子あるいは原子核の大きさは非常に小さいものであることを思い出せばいい。星間の何もない真空にあるのは四次元の隔たりと言えるのかもしれない。
ここで参考までに、トポロジーを使って次元粒子の説明を補足する。といっても、私もそんなにトポロジーに詳しいわけではないのだが。
まず、トポロジーでは球とドーナツ型が区別されている。たしかに切り貼りしなければどう変形させても球はドーナツにならないしドーナツも球にならない。同様の理由で一つ穴、二つ穴…複数穴のドーナツが区別される。
そこで思ったのが、球の中に一つだけ泡がある形状も、ドーナツとまったく同じように区別できるのではないかということである。泡のある形状はただの球ともドーナツとも違う、いわば三次元に空いた穴。そしてドーナツは、究極的に二次元に集約したとすれば、まさに二次元に空いた穴とみなせる。さらにこれを相対的に形を空、穴を実というように反転したとすれば、次元空間に空いた穴や泡が粒子をなしていると見ることができる。
このことから、四次元にとっての三次元粒子は、三次元での平面にできた穴のような存在であることが予測される。