模様眺め

3DCGと模様と宇宙

論理の基礎

2011-03-14 02:36:00 | 宇宙論

○論理とは
 世界の成り立ちと、主体を成り立たせている仕組み。世界は主体を含む。
○世界とは
 この世にあるもの全て(データ)、またそれを成り立たせている仕組み。

・スケールの問題
 世界は巨大構造から微細反応まで、またそれらの組み合わせにより様々なスケールをもつ。主体はその狭間で生まれ、いくつかのスケールを渡る(進化)。
・論理を記述し始める主体
 自らの論理を記述することに成功すると、スケールの進化が始まる。記述するスケールによって、それはコピーだったり、プログラムだったり、シュミレータだったりする。
 取り巻く世界のスケールとの兼ね合いで、進化までの期間が決まる。

 いくつかのスケールが組み合わさって世界が構築される時、ひとつのスケールに注目すると、再帰という現象がおきる。これは質量保存の法則と同じ理由の複雑なパターンといえる。
 はじめは再帰でしかなかったものが、スケールが進化することで、コピーになり、メモリーになり、プログラムになり、シュミレータになっていく。


この世に存在するすべて:直観で認識される。
成り立ちと仕組み:論理的に認識される。

 存在と成り立ち、本来不可分であるはずのこれらが、なぜ別々のものとしてそれぞれの方法で認識されるのか。
 人には時間の概念がある。信号を情報として扱うには、基準となるものが欠かせない。前後関係が生じ、順番がコントロールされ、世界が時間に切り取られて認識される。基準を調節することによりいくつものスケールで認識できるようになるが、多くの矛盾が生じる素にもなる。
 主体は関係をもつ世界からデータを受け取る。存在を確認するだけなら時間経過を必要としない。
 仕組みのほうはどのスケールで切り取るかが問題となるが、まずは自身の仕組み、直近では行動面が、総合的には進化のなかで培われてきたものがその礎となる。

 宇宙は世界のすべてと大小長短のあらゆるスケールを提供するものでなければならない。

 自ら論理を記述、シュミレータで選択肢をつくり、プログラムで自身を制御すればそれは人工知能といえる。論理は製作者が設定するか、AI自身に模索させるか。ただ、気をつけなければならない、世界と自己の論理の折り合いがつかないのは不幸なことだから。


自分いぜんの自分のなかの何か

2011-03-06 02:04:26 | もの思い

 「何しよる?」「なにも」「息しよるじゃん」という子供の言い合いがある。
 不毛なうえに、“息をしようとしてしているのか、しようとしていなくてもできているのか”、気になりだすと息苦しくなってしまう。

 ならばこういう考えはどうだろうか。
“記憶をしようとしてしているのか、しようとしていなくてもできているのか”
 “息”と“記憶”を取り替えるのである。
 人は、憶えようとして憶えたことよりも、憶えようとしなくても憶えていることのほうが多い。
 息もしようとしなくてもできているし、記憶もしようとしなくてもできている。
 “なぜ息をしているか”考えるよりも、“なぜ記憶できているか”考えるほうがよほどミステリアスではないか?

 ところで、記憶はしようとしてもできていない、というのは誰しも頻繁に経験することだ。では息はどうか。息は意識的にすることができる、というのは本当か? 意識的に記憶するとは、記憶の契機を増やしてやることができるだけで、記憶を意識することは記憶には逆効果なのでは。だとすると息も、息をしているつもりでも、意識的にしていることは息とはいえないのではないか。

 知ることに違いはなくても、何をどう記憶するかは人によって違う。