どのような宇宙観であれ、基本となる粒子には3次元の球体がモデルとして想定される。もしも無数にある各粒子で、それぞれ各軸に多少の傾きがあったとしても、なんら困ることはない。全体として3次元的に構成されればいいのだから。
「次元の軸は他のどの軸とも垂直をなす」は重要な法則だが、なぜ垂直なのかには答えることができない。法則は法則として、完全無欠でなくても宇宙は成り立つ。たとえ軸にズレが確認されたとしても、問題点はそれまでと変わることはない。何故ほぼ垂直なのか、という同様の疑問に突き当たるからだ。
これを解決するために、3次元の各軸の交わりが固定されない宇宙観を構築する必要はありやなしや?
○5次元は、4次元と、それと垂直をなす1次元からなる。
○4次元は、3次元と、それと垂直をなす1次元からなる。
○3次元は、2次元と、それと垂直をなす1次元からなる。
○2次元は、1次元と、それと垂直をなす1次元からなる。
○1次元は、1次元未満の次元と、それと垂直をなす1次元からなる。
○1次元未満の次元とは虚数次元である。
つまりn次元はn個の軸からなる次元と虚数次元からなる。1次元以上の次元において、虚数次元は、他のどの次元軸とも垂直をなす。
上位次元が下位次元を含むのは、「軸の垂直性」と双璧をなす重要な法則だ。
はたしてそうか?
冒頭で言った粒子が3次元的であるとしても、すぐ上の次元が4次元で、下の次元が2次元であると限ってもいいものだろうか。
4次元で増えた軸が、3次元でいうところの軸と同じものなのか。虚数次元と3次元の間に存在する次元が、平面的だとしても、文字通りの2次元なのか。
自然数は人がものを数えるようになって実数世界から抽出されたにすぎず、次元の性質が自然数の性質で増減すると断ずるのは、まだ早計に過ぎる気がする。
自然が起こした偶然にしろ、数学が起こした必然にしろ。
加速する時代、進化を止めた人類。技術だけが驚異的な進歩を遂げ、取り残される人類。
人間は、文化の担い手としての役割を終えるのか? 文化の集大成として地球圏を構築するのか?
銀河系内のあらゆる恒星を分析調査するためのシュミレータを惑星規模で構築する計画「第二の地球」構想。
決定的な問題、短すぎる寿命、狭すぎる行動範囲。
最も深刻なのが、自滅の道を最後まで克服することができない人類が、恐怖に駆られ、神を創る誘惑に幾度となく晒されること。
やがて人類は自らを処すすべを考え始める