私には甥っ子がいるのだが、ある日のこと(2歳2ヵ月)、火鋏を片手に、多くは両手を駆使し、葉っぱの移動を繰り返していた。まあ遊びなのだが。
池、掃き溜まり、葉っぱのあるところから火鉢へ、そして、火鉢から外へ。
これはもう道具を使ってというレベルの扱いにも見える。
ただ詳細に見ると、明らかに大人の真似であること、火鋏という道具の特性を活かせていないこと、指で挟む延長とも考えられること、何よりも葉っぱの移動にまったく目的意識が感じられないこともあり、評価には慎重が期される。
この子なりの目的なり結果なりはありそうであるが(火鉢に葉っぱを入れては覗き込んでいたから)。
道具の使用というとチンパンジーにも見られる。そのチンパンジーは人間の5歳児の知能といわれたりする。
が、甥っ子の例の通り、2歳児でも道具の使用だけなら十分可能であるし、また、親の言うことも聞けるし、それが日課であるならば尚更、それなりにこなしてしまう。訓練されたチンパンジーと比較できないのが残念であるが。
何をもって知能とするのか。道具が使えるというだけで、それが生活の一部になり、限定的な状況でのみ使用されるなら、甥っ子の成長を待つまでもなく、知能レベルは推して量れるというもの(知能という基準で判断すべきではないということ)。
5歳児というからには、観察者にもチンパンジーの行為が目的的、自発的で、思考の痕跡が見て取れるということなのだろう。
甥っ子がチンパンジーに追いつくまであと3年。楽しみに人類の進化を見守りたい。