言語の修得方法は、いわゆる学校教育でなされる勉強方法とは違う。そこが勉強する現生人類とそれ以前の人類との差なのではないか。
境目は遺伝子的に変化のなくなる3万年前頃。ちょうど最古級の壁画が見つかっている時期だ。
なぜ壁画が描かれたのかの理由は、人間が勉強するようになったことと関係があるのではないか。
集落規模で学ぶだけなら学校はいらない。身近な先人についていたほうが、よほどためになる。ただ、それがたとえ3万年前であっても、学ぶための体裁が学校になることは十分にありうる。
現存の宗教は教化が前提となる。儀式とか宗教的とかいうのは学校のマイナー形態と考えられる。壁画の目的の総体としてなら、「学校」とするのが一番適しているのでは。