人間は三次元的に構成され、三次元的に広がる世界で生きている。ゆえに考えることも三次元だし、空間といえば三次元だ。その人間の知覚器官はいわば観測装置であり、情報を統合して分析するため基準となるものが必要とされ、正確に観測するときにそれを時間と呼んでいる。観測できなければどんな存在も認められないのだから、存在に対しては時間を伴わせてそれを認めようとする。だから人は世界が時間と三次元空間つまり時空で成り立っていると考えようとする。
ところで、空間と時間に関して、こんな見方もできるのではないか?
緑の点で埋め尽くされた領域が緑の面に見えるように、たとえば四次元の塊が詰まった空間は四次元空間といえるはずだ。
この場合、全体空間が何次元かという設問は意味をなさないし、全体空間という概念すら必要ないとさえいえる。
同様の考えを時間にも当てはめることができる。
同じ時間の進み方をする塊の詰まった領域では同じ時間の進み方をする。時間の進みが違ったところで、多少性質の変化があるくらいだろうが。
時間においても、後者の場合、全体時間の有無を問うことはあまり意味がない。意味がないといいながらも、宇宙を観ていることに違いはないのだから、極限に短い時間を想定して、時間を止めて宇宙を説明しようとしているといえなくもない。
ただ、これで、正確に対象を観測できる、相対性理論で縮めざるをえなくなるくらい正確な基準をとりうるということには奇異を感じる。
いずれにしても言えることなのだが、このような個の集まりが全体をなす現象が、世の中には沢山ある。社会現象や気象・環境、神経網から織り成される精神など。このような個々が全体を構成していることはわかっているが、全体としては必ずしも決まった形というのがなく、経過や結果が曖昧でわかりにくかったりするような現象は、シュミレーションによって実験的に分析されたりする。
シュミレーションというのは、大枠と計算素子を設定して、パラメータを入力して新たな情報を生み出し、変動値を全体に反映させることでできている。
最も単純なシュミレーターは、
n=n+1
この自然数生成シュミレーターでは、素子が1つだけなのですぐさま結果が反映されて、次々にnに+1されていく。
こうして生み出された数のなかに、人はいくつかの法則や演算方式を見出して、有理数、実数へと世界を広げていくことになる。
古来人類は数学を宇宙の真理を解き明かすものとして発展させてきた。幾何学や微積分を得て物理現象を表現できるようになると、数学と宇宙の差異はさらに縮まっていった。その宇宙も、観測技術の発達に伴い、天動説から地動説、ニュートン物理から相対性理論へと、世界観を一変させてきた。
現在ではデジタル化が進み、世界のあらゆるものを数値化しようとしている。コンピュータの活用で世の中のあらゆる現象が解析されようとしているが、これも結局は数学を駆使したものだ。
もしも数学がシュミレーターならば、数式で表されるあらゆる現象は、個々の集まりが引き起こしたものだと考えられる。数学的に表される宇宙がまさにそれにあたり、他の大小ありうる限りの現象がそうなのだから、宇宙もその例外ではないはずだ。