こんばんは!
今月もブログ更新しておこうと思います。
さっきから母親が親戚のことを話しかけてきてイライラしています。
書いてるから話しかけないでと言う。
さらには「あんた鶏肉ぜんぶ食べたん! 食べすぎやでー」とか抜かし、トイレに行った。
イライラと笑い。
さて、最近は、ノンデュアリティー研究にいそしみながら、会社の人たちや、野球チームの人たちとバーベキューをしたり、姪っ子と公園へ行き、消防署のイベントに参加したり、ボーリング、釣り堀、ユーフォーキャッチャ、コインゲームなどで遊ぶのに付き合ったりしました。
うん。
あとは、まあ野球の試合に参加したり打ち上げして、飲みに繰り出したり。
千鶴さんとも電話では話してますね。
我が、長子は、幼稚園では大人しくて、家では大はしゃぎらしい苦笑
「あんたに似て内弁慶ちゃうの」みたいに言ってたwwwwww
おもろいな。
で、えーっと、仕事なので、そろそろ行かねばなりません。
あー、今度、小出瑤子さんの名古屋でのテンプルに参加しますよ!
超楽しみ。
うん。
で、そう、掲示板とかで相変わらず適当なことほざいてますが皆、言葉を知ってるからかっこいいな。
一切法無我とか五蘊皆空とかwwwww
父母未出生以前の本来の面目!
とかwwwwwww
有身見がどーとかこーとかwwwwwwww
ノンデユアリティでさらに理解を深めた僕は、ついに、高次感情中枢が何かを理解したぞよ。
それは背後の意識のことだ。
その意識は、こう、通常のものではなく、包むものなのだ。
その慈悲の光に包まれているわけだが、それは、夢を見ている意識と同じである。
なぜ、これを惑星界とつなげるかといえば、それが、地球の外周にあるからなのであり、その外周にあるものと、自己をつなげるのが、大気。
つまりアストラルであり、その霊気は空気から生成されているのです。
しかし、それを軌道に乗せるには、首の後ろの煩悩、迷いをとって、この現前世界に、精神集中している必要がある。
そのきっかけとして、身心脱落、脱落心身があるのだ。
すると、この生命の光である高次思考中枢がメンタル領域で直感的に知られると共に、この背後の天使も活動をはじめ、ついに、完全調和されている人間としての喜びに目ざめるのであるが、、、
それは古来から宗教が説く、愛、祈り、慈悲、等々のものなのである。
禅を極めた人は、親鸞の歎異抄へ行くとか、阿弥陀の念仏に行くらしい。
南無阿弥陀仏と10回唱えるというあのやつ。
その阿弥陀仏が、この光と生命の世界の背後から包括的に、全存在を包んでおり、その、そこで、脱落しきっているのが、救われた状態である。
それは現生的な世界での、対象物との関係性における、無我の認識とかではないのだ。
その無味乾燥な理解に、真の開放、解脱をもたらすものは、阿弥陀の、つまり、光と生命のエネルギーである。
すべてはエネルギーが形を変えて、あれであったりこれであったりするが、私はいないということが、解放になるのはこれである。
そして、この中で、また、エネルギーの増幅に向けて、修行するために、昔の練習のメニューを、もう一度再構成しようと考えている。
この、私に働きかける、温和にして調和のとれた力は、得も言われぬ、生きた感動を、生きている感動を、告げるだろう。
今月もブログ更新しておこうと思います。
さっきから母親が親戚のことを話しかけてきてイライラしています。
書いてるから話しかけないでと言う。
さらには「あんた鶏肉ぜんぶ食べたん! 食べすぎやでー」とか抜かし、トイレに行った。
イライラと笑い。
さて、最近は、ノンデュアリティー研究にいそしみながら、会社の人たちや、野球チームの人たちとバーベキューをしたり、姪っ子と公園へ行き、消防署のイベントに参加したり、ボーリング、釣り堀、ユーフォーキャッチャ、コインゲームなどで遊ぶのに付き合ったりしました。
うん。
あとは、まあ野球の試合に参加したり打ち上げして、飲みに繰り出したり。
千鶴さんとも電話では話してますね。
我が、長子は、幼稚園では大人しくて、家では大はしゃぎらしい苦笑
「あんたに似て内弁慶ちゃうの」みたいに言ってたwwwwww
おもろいな。
で、えーっと、仕事なので、そろそろ行かねばなりません。
あー、今度、小出瑤子さんの名古屋でのテンプルに参加しますよ!
超楽しみ。
うん。
で、そう、掲示板とかで相変わらず適当なことほざいてますが皆、言葉を知ってるからかっこいいな。
一切法無我とか五蘊皆空とかwwwww
父母未出生以前の本来の面目!
とかwwwwwww
有身見がどーとかこーとかwwwwwwww
ノンデユアリティでさらに理解を深めた僕は、ついに、高次感情中枢が何かを理解したぞよ。
それは背後の意識のことだ。
その意識は、こう、通常のものではなく、包むものなのだ。
その慈悲の光に包まれているわけだが、それは、夢を見ている意識と同じである。
なぜ、これを惑星界とつなげるかといえば、それが、地球の外周にあるからなのであり、その外周にあるものと、自己をつなげるのが、大気。
つまりアストラルであり、その霊気は空気から生成されているのです。
しかし、それを軌道に乗せるには、首の後ろの煩悩、迷いをとって、この現前世界に、精神集中している必要がある。
そのきっかけとして、身心脱落、脱落心身があるのだ。
すると、この生命の光である高次思考中枢がメンタル領域で直感的に知られると共に、この背後の天使も活動をはじめ、ついに、完全調和されている人間としての喜びに目ざめるのであるが、、、
それは古来から宗教が説く、愛、祈り、慈悲、等々のものなのである。
禅を極めた人は、親鸞の歎異抄へ行くとか、阿弥陀の念仏に行くらしい。
南無阿弥陀仏と10回唱えるというあのやつ。
その阿弥陀仏が、この光と生命の世界の背後から包括的に、全存在を包んでおり、その、そこで、脱落しきっているのが、救われた状態である。
それは現生的な世界での、対象物との関係性における、無我の認識とかではないのだ。
その無味乾燥な理解に、真の開放、解脱をもたらすものは、阿弥陀の、つまり、光と生命のエネルギーである。
すべてはエネルギーが形を変えて、あれであったりこれであったりするが、私はいないということが、解放になるのはこれである。
そして、この中で、また、エネルギーの増幅に向けて、修行するために、昔の練習のメニューを、もう一度再構成しようと考えている。
この、私に働きかける、温和にして調和のとれた力は、得も言われぬ、生きた感動を、生きている感動を、告げるだろう。