丸顔おばさんのブログ

すべての問題は「心」に通ず。
リンドウの花言葉は「悲しんでいるあなたを愛する」「正義」「誠実」

成功ってなんだろう。戦わないほうが勝つの♡おばさん~無駄をしない生き方:戦わずして勝つ:負ける戦(チャレンジ)はしない☆Dr.Yさん

2021-03-06 16:25:52 | Dr.Yさんの心のお話

成功ってなんだろう。
事業を起こして成功とか?儲かって金持ちになれば成功?
自分の好きな事ができれば成功?
同業他社やライバルに勝てば成功?
才能が認められれば成功?第一希望の大学に合格すれば成功?

そういう本もたくさん売ってるけどさ。ほんとはどうなるのが幸せなんだろうか。

無駄をしない生き方:戦わずして勝つ:負ける戦(チャレンジ)はしない
動画説明欄より転載。赤、おばさん追記。青、おばさんつぶやき。

孫子の有名な言葉に、「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」というものがあります。これが世に有名な「戦わずして勝つ」の原文です。
  百戦百勝は一見最善に見えるかもしれませんが、勝った方にも被害が出るため、戦わず勝つのが最善であると言う意味です。
  所詮、他人と争って勝負をして、どちらが強いのか?どちらが優れているのか?優劣を競うこと自体が、人生に於いて無駄なことです。平和な時代に生まれた私たちは、人生の早い時期に、このことに気付かなければなりません。
〈おばつぶやき〉
優劣は、ない。
おばさん言い切っちゃうw
そんな価値観、つくられたもんだよ。
成績がいいとか、顔がいいとか。
学校の勉強は、おばさんにいわせりゃでたらめがけっこう多い

こういうのがイケメンとか美人とか、そんなのは時代によって変わるんだ。

ま、「優劣を競うこと自体がムダ」
言うのはカンタンだけど、どのくらい腑に落ちて、心からそう思っているか。
つねに人と自分を比べてないか。自分をダメだと思ってないか。自分なんてと思ってないか。
おばさんに言わせれば、優劣というのも、あいつらが作り出したプロパガンダ、全部幻だ。

  また、孫子の言葉に、「未だ戦わずして廟算(びょうさん)するに、勝つ者は算を得ること多きなり。算多きは勝ち、算少なきは勝たず」というものがあります。これが世に有名な「勝てない戦はしない」の原文です。
  戦さをするには、まず勝ち戦さのビジョンを定めてから戦えと言うことです。勝利するためには敵と己自身の身の丈を知らなければなりません。事前に戦略を立て、あれこれ思考すれば、戦う前から勝負の行方の予測がつくので、机上のシュミレーションで負けると判るような戦さを回避することができるのです。 この言葉は、自分との戦い、即ちチャレンジをする時の心構えとして、とても大切な言葉であると思います。

  Dr.Yは、子供の頃から母親にいつも聞かさせれていた言葉に、「何かをやる前から諦めてはいけません。努力をすればいつかは報われます。努力してそれで駄目だったらそれは仕方ないことであり、その時に諦めなさい」という言葉がありました。  受験戦争を勝ち抜く為に、「例えどんなに狭き門であっても、努力して勝ち抜いて欲しい」という親心であったとは思いますが、その言葉を胸に偏差値の高い大学をも目指したものです。受験戦争に関しては、一発勝負であり、時の運のような側面があるので、その言葉を信じて、一か八か身の丈以上の学校を目指して頑張ることには、意味はあるかも知れません。しかし、社会に出てからは、この言葉は通用せず、社会に出て成功するためには、「負ける戦(チャレンジ)はしない」ということが大原則となることを肝に銘じておかなければなりません。
〈おばつぶやき〉
努力するのはいいことだ、努力すべきだというのも、思い込みかもしれないと思うんだ。
人間を観察していると、こどものときから自然な調子でずーっと同じことをしてる人というのをよく見かける。
例えば、石川遼くんとか、ピアニストの反田さんとか。
それからおばさんの妹は、小さいころから年下のいとこたちの面倒を見るのが上手で、いっしょに遊んであげるのが好きだった。小さい子に人気があるの。それで大学は法学部に入ったんだけど、やっぱり学校の先生になりたいと言い出し、今、先生やっている。結局こどものときからずーっと同じことをしている。

もう自分のやることわかってて生まれてきているとしか思えない。こどものときから分かってるって感じだ。こどもは無意識だからねぇ。無意識は今回の人生でなにをするか、知っている。
だから、その感覚で成長した人は、ただ好きだからやってますって感じ。
きつく努力してる感じはないのね。努力という認識がないって感覚かな?

そういえば、おばさんは、小学生のときから作文がきらいじゃなかった。なぜか、クラスで選ばれて、文集に発表されたりしていた。自分ではどうして選ばれたのかわかんなかったんだけど。そんなに立派な文章とも思えなかったんだけど。むしろその逆だと思ってたんだけど。先生が選んだんだな。
それである日作文に、親が家でいかに自分に八つ当たりしてくるか作文にあらいざらい書いちゃったのw。おばさんの親、暴君だからさw 半分ふざけて、おもしろおかしく。
そしたら、親が先生に学校に呼び出されて「おたくの○○ちゃん、こんなこと書いてますけど大丈夫ですか」って聞かれたらしいw
親はそんなおばさんを怒らなかった。怒ったらまた書かれちゃうからなw
こどものおばさんは、たぶんあのとき暴君の親に勝ったんだなw
こんなふうに、子どもの時から支配者を、ふざけながら告発するのが好きだったんだな。こうやって仕返ししているんだな。昔からずっと。
今、おばさんになって、ブログ書いておんなじことやりだしたんだなと気づいて、笑ってしまう。
おばさんに言わせれば、DSも親も身内も友達も仕事上の関係者も政治家も、支配に生きているヤツはみんな同じだ。
悲しい趣味かもしれないけど、同じように苦しんでいる人が見たら、はっとして、「こんなふうに言ってもいいんだ」って思えるかもしれない。
犠牲者っぽく我慢するのが当たり前だった人の気分が、少し立ち上がって主張しようって方向に変わるきっかけになるかもしれないし。
だからまぁこんなヤツが一人くらいいてもいいだろうと思っている。

自分のおかしな趣味や才能や性格すらもどこで誰の役に立つか、わかんないんだ。
いい悪い・優劣などを決めてるのは人間の思考だ。あまり意味がない。
すべて表現であり、芸術だ。
だから自分ダメだとか、劣ってるなんて思うのはもったいないし、当たってない。
ダメだと思ってる部分こそ役に立つかもしれないんだ。
自分でまだ気づいてないだけで、みんないろんな才能がある。
それは世の中にまだない、あるいは認識されてない仕事になるかもしれないんだ。

本当の仕事とは、自分でつくるもんなんじゃないか?

すでにある職業のなかから選ぶというよりも。選んでもいいけど、自分のオリジナルの要素を加えていかないとつまんないじゃない?w

そういうのを分かっている人が魅力的だなと思う。単に美形だからとか、学歴肩書すごいからステキだなとは思えないの。おばさんは。
美形でもあいつらに屈して、あいつら価値観に毒されている人はあわれだと思ってしまうの。

人は、自分のやるべきこと、本当は知ってるんじゃないだろうか?やるべきことっていうか、やりたいことがあって生まれてるんじゃないだろうか?

そのための能力は最初からあるんじゃないだろうか?そんな気がする。

だから人と競うのはムダだなぁと、しみじみ思うの。
みんなオリジナルな人生計画と能力を、赤ちゃんのときから持ち合わせて生まれてると思うの。

それに気づいたら、たのしく磨けばいいだけじゃんって思うの♪

気づいたらと書いたけど、親や学校や世の中の価値感が封じ込めなければ、自然に小さいときからやり続けるんじゃないだろうか?

努力しなければならないという思い込みがあると、努力するだろう。
成績とかいろんな価値観に合わせるために苦労し始める。
それが必要な場合もあるかもしれないけど、自分のオリジナルの才能が伸びにくい。だって他者や世の中の評価や期待に応えるために、自然な自分を我慢して忍耐するからさ。

おばさんみたいな、マニアックなヘンな趣味や才能は、まじめに苦労して努力して生きてたらぜったい忘れ去られる類の才能だからなw

たぶん、あれだな。先生のおっしゃる考える力のない人というのは、自分がない状態で生きているのではないだろうか。自分の感情や心を感じていない。
じゃあ何に焦点を当てて生きているかというと、他人の目や他者からの評価ばかりをつねに気にして生きている。
怒られたらどうしようとか、批判されないようにとか、褒められたいとか、期待に応えたいとか、こういった思いが強くて、他人の目を中心に据えて生きている。
すると自分のハートを感じることを忘れてしまうんだ。

カンタンなんだ。
自分のハートを感じていると、他者の気持ちも感じられるんだ。
だから仕事でもお客さんの気持ちや要望、同僚や上司の思いや意図なども適切に感じられる。いろいろと解決策も浮かぶだろう。
自分を感じていれば、集中してるから頭の回転も自然によくなるし。


 飲食店を出店しても、開業後5年で80%が潰れ、10年で90%が倒産すると言われています。先を見通す力(予測力)や全体を見通す力(俯瞰力)を持ち、しっかりと軌道に乗せられるビジョンを持ち、勝ち目のあるチャレンジなのか?それとも勝ち目のない冒険で終わってしまうのか?それは、事前にどれだけ木目細かく分析し、綿密な計画を立て、リスクとリスクヘッジの方法までも考え抜いたのかどうかで、既に運命が決まっているのです。

  無駄なことはしない生き方に関しては、学校でも家庭でも教わりません。社会に出てから学ぶことになりますが、社会に出ても学ぶ機会を持てずに、失敗する人たちが大勢います。一度失敗してそこで学んで再起を図ることができる人は幸いですが、再起できずに沈んでしまう人や同じ過ちを繰り返して堕ちていく人が大勢います。 本日は、無駄をしない生き方、即ち、他人に対しては、「戦わずして勝つ」生き方、自分に対しては、「負ける戦(チャレンジ)はしない」というテーマでお話ししたいと思います。
〈おばつぶやき〉
戦うと、つかれるからな。つかれることはしない。楽にやる。
他人とも自分とも戦わない。戦わないで楽にやることが能力をのばし成功する秘訣だと思うの。
省エネこそが幸せな成功の秘訣さ!エネルギーは自分のために使わなきゃ。
それで自分が発展することが周りの人にとっても幸せさ。

 こんにちは、Dr.Yです 
〈おばつぶやき〉
こんにちは。おばさんです♡

「戦わずして勝つ」という言葉について考えてみましょう。
  腹が立ってどうにもこうにも、腹の虫が治らない。あの人のせいで、私がこんなに辛い思いをしているのに、あの人ときたら、平気な顔をして何も無かったような振る舞いをして、平然と生きている。あぁ!一言言ってやらないと気が済まない!人生に於いては、そのような場面に遭遇することは、珍しいことではありません。「腹を立てても何の解決にも繋がらないし、誰も得をしない、その事自体が時間とエネルギーの無駄である」ということは頭の中では重々承知している。しかし、腹が立って仕方ない。若くて血気盛んな年頃には、このような体験をされた人が多いのではないでしょうか? しかし、長い人生に於いて様々な体験をする過程で、腹の虫がどこかに消え去り、最も賢い生き方が、「戦わずして勝つ」ということであることに気がつくと思います。 
 理屈の通じる相手であれば、膝を突き合わせて話し合い、交渉によってお互いが満足できる方法を模索すべきです。理屈が通じない相手であれば、相手を説得する無駄な努力は止めて、相手との距離を置くしかありません。「世の中には愚かな人がいるものだ!」そう思って笑い飛ばすことで、腹の虫は逃げていきます。
〈おばつぶやき〉
そうね。つきあわなくていいもんね。そういう人のいるところに行かない。
おばさんなんて身内であってもつきあわないのw
こんなのも人にどう思われるか気にする人は、離れられずにつきあいを続けるだろ?
それから罪悪感の強い人。
カンタンなようでできない方もいると思うんだ。すべては意識次第だ。
他人が心の中で自分をどう思おうと自由」と思えるか。
この記事に↓書いたことも、他人の頭の中や心の中を気にしている状態ではまずムリだろうな。
他人は見なくていいの。嫌なヤツの言うことはそいつの意識状態を自己紹介しているだけだからな。そいつはまだ支配のやり方(上記↑リンク先参照)しか知らないんだ。それで劣等感を感じながら生きているというだけなんだ。それだと苦しいんだ。家庭も人間関係もあんまり幸せじゃないんだ。そんな他人を見て気にしてもいいことないんだ。
心の目、というのがある。目は外の世界を見るようについているから、ついつい、相手ばかりを見てしまう。
その心の目を、くるっと回転させて、自分側に向けてあげるということだ
 


  さて、「負ける戦はしない」というお話しをしましょう。ここで申し上げる「戦(いくさ)」とは、他人との「戦い」ではなく、自分との「戦い」即ち「チャレンジ」であるとお考えください。
  Dr.Yは週1回平日のランチタイムを、夫婦でフレンチレストランで過ごすことを、唯一の細やかな贅沢にしています。決して一流の高級レストランというのではなく、地方で個人で経営しているレストランに、空いている平日の昼間を狙ってお伺いしています。一流の作品や接客に触れることで、「自分も一流として頑張らないと!」そんな鋭気を養う目的でお伺いしています。
  料理を目で見て楽しみ、味わって感動し、雰囲気に癒され、一流のシェフの「素晴らしいものを創ってお客様を喜ばせたい!」という思いを頂くだけで、「自分も負けてはいられない!頑張ろう!」そのように、勇気を頂くことができるのです。  これだけの料理なら、都内なら倍の値段はするだろうなぁ!内装にも500万円くらいは費用をかけているはずだ!人件費を節約するために、奥様一人で頑張って接客している。コロナ禍で客数もまばら、1日の売り上げは、2万円行かないかも知れない。家賃・光熱費を払い、開業の際の借入金の返済もあり、純利益は月に十数万円、下手すると一桁かも知れない。

  世間では、夫婦共稼ぎの家庭であれば、家族で休みをとって旅行して楽しんだり、ゆとりある生活をエンジョイしている。それに引き換え、この真面目な夫婦は、仕込みや買い出し片付けなどにも時間をとられ、自分の遣り甲斐と人を喜ばせるために、朝から晩まで必死で働き続けている。職場の異なる共働きの夫婦ならば、お互いに職場で気分転換でき、帰宅後に会話が弾んでお互いに新鮮な気分で過ごすことがでるが、この夫婦は日中も顔を突き合わせて共に働き、夜も共に過ごす2人の間の会話は、仕事の問題点や愚痴になっめしまうため、殆ど会話は無いだろう。夢を叶えるために努力して、お店を開店して、何とか形は軌道に乗ったけれど、「自分の抱いていた夢とは何だったのだろう?」幸せ感を感じることのできない毎日に、途方に暮れているのだろう。

  開業という大きな夢を抱き、開業資金を借り入れ、物件を探し当て、内装を綺麗に仕上げ、夫婦力を合わせて必死に自分たちの城を築いた。そして、お客様を喜ばせるために必死で休み無く働き続けている。料理の内容も接客も完璧であるし、価格もお手頃に抑えている。にもかかわらず、お客様はまばらであり、借金を返済すると手元に殆ど残らない状況である。  このような状態で、人件費を捻出することは不可能であり、奥様が接客をする以外には方法が無い。
夫婦のどちらが病気になったとしたら、その時点で立ち行かなくなることは、一目瞭然である。赤ちゃんを授かった時に、果たして身内の援助を受けられるのか?様々な状況を頭に浮かべながら、美味しく料理を頂く。
目の前で思いっきりの笑顔で接客している夫婦が、お店を閉めた後、夜間自宅では殆ど会話もなく、暗い顔を突き合わせて生きている状況を想像してしまう。そんなことを考えていると、とても居た堪れない気持ちになります。
  デザートとコーヒーを頂いて、会計を済ませる際に、「とても素敵な時間を過ごすことができました。情熱の込められた手の込んだ料理、温かい接客、とても感動しました。ありがとうございました。」そのように言葉をかけてお店を後にします。 このまま夫婦喧嘩しないで、何とか2年間は頑張れるだろうか?大きな借金を抱えないうちに撤退した方が良いだろうなぁ!店を畳んだ後は、奥様にゆっくり休んでもらいたい。ご主人は経営の安定した老舗のレストランでシェフとして勤務し、経営のノウハウをしっかりと学んでから、十年後にスタッフを揃えて素晴らしいお店を出店して欲しいなぁ!真面目に夢に向かって突っ走る若い2人が、試練を乗り越えて揺るぎない幸せを掴んでくれることを祈りつつ、Dr.Yは帰途に着きます。

 人間というものは、チャレンジして失敗を経験して初めて、自分の実力不足と現実の厳しさに気付くことが可能になります。そのような体験を踏み越えて、「負ける戦はしない」この言葉の大切さに気付くことができるのです。 夢を持って努力することは素晴らしいことです。周りの人たちを喜ばせたいという利他的な気持ちで努力する姿はとても感銘を受けます。しかし、経済的に成り立たなければ、単なる自己満足にしか過ぎません。なりふり構わず金儲けに奔走するような生き方は、品格に欠ける行為であり見るに耐えません。しかし、経済的な側面を無視してしまっては、事業を存続することができません。

  企業が新たな事業を立ち上げる時には、担当者が徹底的に状況を分析して、リスクやリスクヘッジまでも調べあげ、緻密な計画を立ててからトップの前でプレゼンテーションして、これなら大丈夫だ!トップのお墨付きを頂いて初めて事業が始まります。企業では「負ける戦はしない」ということは常識なのです。 開業する前に、現状をシビアに分析し尽くして、「これなら絶対に上手くいく!」という堅実な計画を立てて成功が確信できた場合には、予想外の出来事が起こらない限り、成功する確率は高いと思います。要するに、チャレンジする前の時点で、計画の綿密さ、リスク管理の緻密さ次第で、既に勝負はついていると考えても良いと思います。

  理想を追い求めて努力をしたとしても、「負ける戦はしない」ということを忘れてしまっては、自分も家族も幸せにはなれません。  無理せず無駄なく、幸せな人生を送る為には、他人に対しては、「戦わずして勝つ」、自分自身のチャレンジに対しては、「負ける戦はしない」これを徹底することが大切なのです。 本日は、無理をせず無駄をしない生き方に関して、孫子の言葉を借りて説明しました。 また、皆さまのお役に立てるようなお話をしたいと思います。 Dr.Yでした。 #戦わずして勝つ #負ける戦はしない #チャレンジ #無駄をしない人生

〈おばつぶやき〉
夢を追いつつ、堅実に安全に挑戦する方法を考えてみた。
例えば、最初はちーさくやってみる。
「スーパーの駐車場の片隅、一坪弱で営業する和歌山県の某たこ焼き店の粗利は、ひと月約150万円。そういう事例は決して珍しくはありません」

え!まじ?おばさん、やろうかな(笑)

これなら失敗しても痛くないって規模、金額で。
貯金が1000万あったら100万までなら失敗してなくしてもいいや、とかって自分で決めてさ。借金してまでやらないの。
やってみて、だめだったらやめちゃうの。

そうやって自分が怖くない規模で計画立ててチャレンジするってのはどうだろう。
実際にいろいろやっていくうちに分かること、気づくこともあるのよね。
人からノウハウを教えてもらうのもいいし、必要なこともあるけど、自分で気づいたりインスピレーションを得たりして経験して積み上げていくうちに、オリジナルのものができていく。
ここがないと、つまんないじゃない?独立したって。

うちの近所の駅前にフレンチレストランがあるんだけど、高級じゃなくて、カウンター席がメインでちょい飲みできるお店なんだ。キッシュがおいしくてね。こんなふうにフレンチ=高級みたいな常識をやめて、気軽に入れるお店作ってくれてありがたいなぁと思ってるの。
もしかしたらそういう感じがオーナーにとってはムリのない規模のチャレンジだったのかもね。結果、気軽でありがたい店となり、なかなか繁盛している。

人や先輩から教えてもらえるのはキホンだけなんだよね。あとは自分だもんな。
ラーメン屋の頑固おやじさん↓
昔よくテレビに出てたよねwこわいんだよねw
なつかしいね。亡くなってしまったんだよね。糖尿病を患っておられたそうだ。
ラーメンは糖質だからなぁ。
この頑固おやじさんですら、弟子に自分のオリジナルの味を追求しろって教えてたもんな。

浅草の老舗洋食店。なつかしいな。おばさんは江戸っ子だから、この界隈好きなの。
いつ行っても混んでてねぇ。店の入り口にマスターが立ってて、予約するの。
「○時頃きてください」って言われて。並ばなくてもいいように、そういうシステムにしたのね。
それでおばさんカウンターで食事してて、よーく観察してたんだけど、いっぱい従業員の方がいるの。それで、それぞれ持ち場があるのね。
たぶん修行中とおぼしき若い方が多かった。だからみなさんやる気があるの。単なるアルバイトではないのね。未来を夢見て腕を磨いてるわけだ。
オムライス包む係、カツサンドのカツ揚げる係、挟んでトーストする係、がカウンター越しにいて、中のほうにはもっとたくさん、ビーフシチュー仕込む係、煮込む係、パスタ、ステーキ焼く係とかたーくさんいて、みなさんそれぞれ真剣に集中してるの。
それぞれの持ち場がプロで技術向上に集中してるから、うまいはずだわ~って感心した。
お料理は、基本に忠実で、凝ったものではないんだけど、昔なつかしい味で、おいしいの。あー、カツサンド食べたい♡
いつ行っても混んでるから、儲かってるんだろうし、お弟子さんもたくさんいて、教育も上手なんだろうなぁって感心した。

そんな基本を叩き込んでくれる有名店で修行しても、独立後はみなさん自分のよいと思う味を追求していくんだろうね。

経営のノウハウを学んでから出店しても、ダメだったってこともあるだろうしね。
安全な規模でやってみるのが一番いいよね。
奥さんをこき使わなくてもいい規模でさw
奥さんがいっしょにやりたいっていうならいいけどねw
全然興味ないと、犠牲になっちゃうからね。

私はぜったい自分のやりたいことを家族に手伝わせるのイヤなんだよね。一人で勝手にやりたいタチだからさ。
よっぽど通じ合う協力できる人となら、いいかもしれないけど。
たいていモメるもんだからさ。他人なら、合わなくなってきたときにじゃあここで解散ねってできるけど、家族はそうはいかないからなぁw

創造とは、自分がおいしいなぁとか、いいなぁとか、感じるものを追求してくってことだ。それに賛同してくれる人がお客さんなわけだ。

だから小さくても、どんな形でもいいと思うよね。

いきなり仕事にしなくたっていいしね。仕事の合間にやって、伸ばしていって、自信がついてから仕事にしてみる、とか。

心が苦しかったり、くたびれてると、意欲もわかないから、いいものができないしね。こんな状態のときは休むことだ。必ず心は回復する。

思考だけで、こういうのが今はやってるから、これやったら儲かるんちゃうか?と始めるのは、長い目で見たらあんまり楽しい結果になってないんじゃないだろうか。
わたしはあんまり好きじゃないんだ。

独立して経済が回ればいいのなら、そういうアドバイス専門のプロがいるよね。
でもちょっと型にはまった提案しかしてくれなそう?プロの意見が役立つこともあるだろう。
でもマニアックな能力や可能性まで見つけてはくれないだろうw
ここは自分で感じて開発していくところさw

経済と採算ばっかりになっちゃうと、あいつら的になっちゃう。
フランチャイズででっかくしてって、ピラミッド組織にしていくとか。

おばさんは好きじゃないの。

自分自身がそこに幸せを感じないから。

自分の身内がそれやろうとしてるんだけど、やりたいなら自由だけど、どうしたもんかなってね。自分は会長として君臨して、働かないで顧問として口出し、、いやアドバイスするだけの立場で老後安泰ってのを目指してんだろうね。

経営はうまいし仕事をとるのもうまいけど、そいつはいつもハートがお留守だ。左脳だけで話されると、おばさんつまんなくってねw あくび出ちゃう。
でも金儲けできて成功してるという高揚感はあるんだろうな。

どうもそいつは自分の死後、その子に不労収入が入るように今から仕込んでおこうとしているようだ。
もちろん夫婦仲もよろしくない。左脳だけで支配しているからな。ハート感じてないなら愛し合えないからな。奥さんも犠牲者であると同時にものすごい支配者だ。おそろしい😧 
こうなるともう愛し合うどころか仕返し合戦だ。長年に渡る、うらみつらみ。。
一番かわいそうなのはこどもだ。

おばさん、こいつにどんな言葉をかけてやろうかと思案してるんだけど、あまり無理にしゃべんないの。無理にしゃべっても、どうせ通じないし。こいつはこれがいいと思ってやってるから。
ただ、どうして子どもが引きこもりになってしまったのか、分からない。
でもこの人の場合、もう教えてあげても心で感じられないのね。

だからおばさん、そいつの感覚や理解度に合わせて、そのとき思いついたことを言ってやって、あとはほっとこうと思うの。
これもそいつの生き方、これまでの長い人生のなかでのたくさんの選択の結果だから、あまり口出しせず破滅を経験させてやるのが愛だと思っている。

そいつが死んじゃってから、お子さんにそっと手を差し伸べたいと思っている。

こんなふうに経済が一見完璧にまわっていても、家庭と子どもが破滅寸前で、じつは苦しく生きてるヤツもいる。

先生!やっぱバランスかな?

負け戦はしちゃだめだけど、これなら失敗しても大丈夫って規模で、自分のハートを感じながら創造をしていく。

あ!心が戦ってると、ムリな規模でやってしまいがちな気がする。
勢いで、気合いと根性で成功してやるぜ!って。理想を描くのはいいけど、この感覚だとリスクが見えないかもしれないね。ライバルと戦って見栄を張ったりね。
常識やカタチに囚われて、ムリしちゃったりね。

自分にやさしく、感情を愛しながら「これいいな」って感覚を大事に感じて生きている人は、つらくないように、失敗しても破滅しないようにしよう、という発想がつねにあると思うんだ。

支配の意識:
他人の評価中心・他人の期待に応える・思考中心・歯を食いしばって努力しなければ・過剰に責任を捉えている

愛の意識:
他人がどう感じるかは自由・自分の感情や五感を中心に感じている・自分の心地よい範囲を選択して責任を果たす


やはり、感情と五感を感じていることは安全だなぁと思う。自分も幸せだしね。

そうやってすこーしづつ自分のやっていることや仕事が豊かになったら幸せだろう。

この感覚だと完全オリジナルだから、同業他社と競争って感じでもない。

似たような店が乱立するなかでも、オリジナルでいられるだろう。

だから競争よりも、そういう感覚でやっているのが一番堅実で安全で強くて幸せなんだろうなと思う。

そんなふうにできたらもう成功だろう。自分が成功したと思えば成功だ!

経済が完璧に回ってても、成功だ!と喜べないヤツもいるからな。


あいつらに関しましては、「あいつら(裏側から見る社会のシステム)」のブログ記事一覧-丸顔おばさんのブログ、古い順をクリックのうえ、初期の記事よりご覧ください。


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思考と感情の関係。心の安定も幸せも能力を伸ばすのも、ちょっとしたコツがあるの。ついでに若返っちゃうの♡おばさん~生涯現役を貫く:柔軟な思考回路を持ち続ける:チャレンジし続ける生き方☆Dr.Yさん

2021-02-27 15:55:30 | Dr.Yさんの心のお話
自分の能力が発揮できる精神の状態ってのがある。

その反対の状態もある。

自分の能力が発揮できているときってのは、心が平和で自分の内からあふれ出る創造性をいかんなく発揮できている。
自分自身も幸せだし、こんなときは愛にあふれている。
理想的なエネルギーの循環ができている。愛=感情=エネルギーだから。

こんなとき、不安や恐れなどはない。他人の目なども気にしていない。

なるべくこの状態でいつもいたい。それにはどうしたらいいか。

おばさんは繊細な人間なので、よくうつっぽくなるのw

低気圧が来てるとき砂糖をとったとき。
めちゃくちゃに生きている自分の親兄弟からめちゃくちゃな電話が来たとき。

それで自分のうつっぽいときの精神状態をよく観察してみると、そんなときはたいてい思考しすぎてるの。
一応、気分がしずむきっかけの出来事はあって、そのあと思考をぐるぐるはじめるの。そうなると料理してても、なにしてても考え事してるの。
この状態はだめだね。
この状態のとき、自分の感情や五感をちっとも感じてないの。

思考の量が多すぎる=感情、五感が感じられない

感情や五感を感じている状態こそが愛なんだ。感じることが「愛」なの。

こっちの状態でいたほうが、能力が発揮できるの。
問題の解決もできるの。適切な物の見方もできるの。
なんだか問題が起こると、ヤバいと思って、不安や恐れや怒りの感情を抱えながら一生懸命思考して解決しようとしちゃうんだけど、これ、やめちゃったほうがいいのw

たいてい大人になるにつれて、みんな思考するようになる。そして社会に出るころには「~なければならない」という思考ばっかりになり、会社で教育されてそれを強化していってしまう。

しかしこれでは、愛からはなれてしまう。自分の能力が発揮できる状態からかけはなれてしまう。
支配者のいうことだけを聞く、社畜を養成するにはいいんだろうけど、まともで良心のある社長であれば、社員の創造性だって伸ばしたいはずだ。(就活するとき社長が感情豊かで五感を大切にしている人か見るといいかもしれないなwそういう人は自然に社員にもそう接するからさ)

それでおばさんは、自分の精神状態を研究した結果、精神状態がよろしくないときは、思考しすぎていることに気が付いた。

割合の問題みたい。
思考が多いと感情・五感の割合が減る。
感情・五感がメインになっていると、思考は、必要なときに適切にするようになる。感情・五感メインでいても全然思考がなくなるわけではないことも判明した。(おばさんの実験による)

思考に囚われている状態からの抜け方も研究してみたところ、単に思考を止めるとちょっと意識して、五感や感情を感じることにシフトすれば、思考ぐるぐる状態から抜けられることが分かった。

思考を止めて、音楽を聞いてみる。
思考を止めて、お茶を味わってみる。同じ茶葉でも毎日味が違うなとか。
思考を止めて、料理を味わう。
思考を止めて、自分の感情を感じてみる。
思考を止めて、好きな人のことを思ってみる。
思考を止めて、食材の鮮度を感じてみる。あー、しゃきしゃきしてんな、とか。
思考を止めて、アロマテラピーやってみる。
思考を止めて、蛇口から流れ落ちる水を感じる。
思考を止めて、外に出てみる。陽光や緑や空気。ただ感じてみる。

これで、思考に囚われている状態から、抜けられる。
五感を感じていると、自然に感情も感じやすくなる。豊かになる。

不安や恐れや問題発生で困っているとき、「そんなふうに思考を手放してのんきな状態になれるかよ」と思うんだけど、こっちのほうが問題解決できるんだ。

思考の囚われを解いて、自分のハートに戻ったからといって、例えばいじわるしてくる他人などがいきなり変わるわけじゃないかもしれないけれど、いい人もいるってことに気づく。またそのいじわるな人の中にも+の部分もあるなどと感じられるようになる。客観的、俯瞰的になるのね。悲観的に捉えるクセから抜けられて、結果、精神も安定してくるの。

柱は自分の感覚や感情だ。
物事は、立体的だ。多面的だ。
それなのに一面だけ見てても、全体像が見えないだろう?
見えない裏側を見るにはどうしたらいいか?
それは「感じる」っていうことだ。

こんなことを以前書いたことがあった。主にあいつらの陰謀を見破るコツという観点から書いたけど、全部いっしょなんだw

思考に囚われているとき、脳みそが平面的に使われている。
だから、いやなやつのいやなところしか見えない。物事のマイナス面しか見えなくなっちゃう。
でも感情や五感を取り戻すと、立体的に感じる。つまりちょっと俯瞰だ。
だからプラスもマイナスもあるんだよねと気づく。こっちのほうが本当だ。
そしてなにより自分が楽で幸せで平和だ。

この状態だと
マイナス状態の相手を見ても、これも相手の選択で自由なんだよなー、とちょっと離れた感覚でいることができるの。苦しそうに生きている人も「経験したいんだね」と相手を認めてあげられる。実際、相手が選択しているならば、他人がむりやり変えさせることはできないんだ。そのやり方だと苦しくなるよと思っても。
手出し口出しするとよけいトラブルになっちゃうの。
経験させてあげることが愛なの。みんな経験して納得したくて生まれてるところがあるからさ。

ところが思考が優位だと、心が他人に囚われていくんだわ。それでこういうこと↑を知らなかったり、意識してないと、どんどん相手に入っていっちゃって、きまずくなったり、トラブルになっちゃったりするのね。自分も巻き込まれて破滅にむかっちゃったりするのね。人間関係のトラブルはこういうカラクリで起きているんだ。
だからわかっちゃえば、もう起きないのw

そして、思考優位でいると、他者の目や評価や悪感情が気になって気になってしかたない状態になるんだわ。
(SNSで他人のいいね!とかの評価が気になって仕方ない方はたぶんこの状態だと思うんだ)
これは苦しい。
実際は+とマイナス、つねに両方ある。
悪意のある人もいれば、やさしく好意的な人もたくさんいる。
だから、他人のそんなところが不快に気になってきたら、思考を止めて、五感と感情にシフトすることをおすすめしたい
そうすると、両方の人がいるんだよなぁと思って、ゆったり自由な感覚に戻れると思うんだ。
その感覚で「のんびりマイペースで続けていけば応援してくださる人も少しづつふえていくんだよなぁ」と+がちゃんと見えるようになる。これならたまにいじわるな人が現れてもあまり気にしないでいられる。

1人の人間の中にも+と-が存在するわけだ。
自分が思考に囚われて、相手に囚われ、相手の領域に入りすぎてしまうと、相手のマイナス面ばかりを引き出してしまうものだ。

そして、思考に囚われている状態だと、人は戦う。
理屈で相手を攻撃する方向に行きがちだ。
しかし、その理屈は平面的で一面だけを言ったもので、全体を捉えたものでないことがほとんどだ。
そして思考だけでなく言葉もまた、平面的な表現しかできないツールであったりする。
こんなふうに脳も上手に使えずに、ムダに傷つけあって、不毛な戦いをしているのが我々人間なんだ。

感情、五感をメインに感じていると、物事を立体的に俯瞰的に捉えることができるから、
「こんな問題もあるけど、希望もあるよな」って、絶望しないでいられるの。
ムリにプラス思考するんじゃなくて自然にそう見える、感じられるって感じ。
また、違和感感じたり、なにか腑に落ちないと感じたりして、仕組んでるやつの思惑を嗅ぎ取ったりもできるんだ。
そしてこの状態だと、言うべき時にははっきり言えるんだ。ムダに戦ってないから怖くないんだ。思考と言葉で相手を攻撃しているときの意識とは違うのね。
「自分がこう思うから言うけどさ」って感じで。
こんなふうに自分のハートにいる割合が多くなればなるほど、自由で平和で幸せでタフにいられる♪

プラスもマイナスも両方が混ざり合ってるんだよねと俯瞰でながめていると、楽で平和だから、これがムリなく継続できると、自分自身が伸びていく。
能力とか、今取り組んでいることが、ゆったり発展していく。

マイナスばかりにフォーカスしてしまう「思考に囚われた」精神状態だと適切に物事を見ることができない。しかも苦しい。
何年もその状態でいると、崩壊してしまうことすらある。これは損だ。

「思考を止めて、五感と感情を感じてみる」
やってみると分かるけど、いかにふだん目の前のことに集中していないか。

思考という妄想に囚われて、今を生きていなかったんだと、分かる。

だから、自然豊かなのんびりした環境だと、人間は自然に愛や感情や五感が豊かな状態になるんだと思った。
反対に、都会のコンクリートジャングルのなかで、せかせかと生きていると思考優位になってしまうだろう。満員電車でイライラ通勤していると、戦う心になってしまいがちだ。
でも意識して、思考を止めて、五感と感情にシフトすることをしてみる。
やってみるとわりとカンタンだ。

でもみんな、こうすることの意味に気が付いていないんだな。
単に気分がほっこりするだけではないのだ。
自分の能力や人生が変わってしまうくらいのことだ。
幸せに生きるか、苦しく生きるか。
能力を開花させるか、自分に能力や可能性があることに気づかないで一生を終えるか。年齢なんて関係ないからね。気づいたときに始めれば、すぐそうなるからさ。
長く続れば続けるほど自然に伸びていくからさ。

思考に囚われている人は、窮屈だ。あいつらの騙しにもまんまとはまってしまう。

思考だけで生きている人は常識にとらわれて、あいつらの陰謀なんてあるわけないじゃんという結論に至るだろう。
しかしいまやあいつらが世の中の至る所で悪だくみを仕組んできたことが、明らかになってきた。
こういうのも、感情や五感優位の状態でいたほうがで感じ取れるわけだ。

思考を止めるといっても、必要なところでは、ちゃんと思考も適切に使っている。
だから大丈夫なんだ。
感情がゆったりいると、脳がバランスよく使えるということだ。

思考ぐるぐる状態だと、脳の使い方が偏っているということなんだろう。
それで物事を偏って捉えることしかできず、精神状態も苦しくなり、他人のマイナスに囚われて自滅してしまう。
どうもこういう性が人間にはあるような気がする。

仕事をすることも、生きることも、長丁場だ。短距離競争ではない。
思考に囚われた苦しい状態ではもたないと思うんだ。途中でやめたくなると思うんだ。
すると病気したり、介護状態になったり、人間関係や仕事で問題を起こしてやめざるを得ない状況を自分自身が作り出したりするんだ。

だから、思考は止めちゃったほうがいい。そして音楽や、食事やお酒を味わって、五感にシフト!

自分の感情に、愛に帰ろう。


生涯現役を貫く:柔軟な思考回路を持ち続ける:チャレンジし続ける生き方
動画説明欄より転載させていただきます。

中途採用という形で企業に就職することが難しい時代ですが、企業にとっては中途採用をするにあたり、新卒採用とは異なった観点から、その人のスキルを細かく見抜く力が必要となります。
  新卒採用の場合には、即戦力にはなりませんが、若くて思考が柔軟であり、新たな知識や技術の習得が早く、時間をかけてしっかりと教育することで、いずれは組織のカラーに染まり、組織のスタッフとして活躍してくれることが期待できます。  中途採用の場合には、長年の経験で培ってきた知識と技術を活かして、即戦力として利用できるような優れた人材がいることは紛れの無い事実です。そのような人材に対しては、企業側も高待遇で招聘しようと考えます。
  しかし、キャリアが長いだけで卓越した知識や技術を持たず、どれだけ仕事ができるのか分からない一般の中途採用に関しては、採用に際して極端に慎重にならざるを得ません。 

何故かと申しますと、年齢を重ねるとともに、新たな知識や技術を習得する能力が低下してしまう人が多いからです。新たな知識や技術を習得する能力があると判断される人の割合は、20歳で90%、30歳で70%、40歳で30%、50歳で10%、60歳で2%、70歳で1%というようなデータが経験として得られています。
  私の周りでも、60歳を過ぎてパソコンやスマートフォンを使いこなし、新たに有用なアプリケーションが出回れば、直様それを利用し、若者に負けずに、ウェブを利用して活躍している高齢者は、ほんのひと握りしかいません。
  40歳を過ぎて中途採用で就職したけれども、新しい知識や技術を習得することが苦手であり、現場ではまったく使い物にならず、新たな環境にまったく馴染めず、年齢だけは歳上であるため、仕事ができないにもかかわらず若いスタッフを見下すような態度を取り、「私は貴方たちよりも経験豊富なの、私が今までやってきた方法でやるから文句を言わないでちょうだい」と言い、我が道を行くような態度を取り続け、チームワークが乱れてしまうこともあります。
このように、中途採用をする時には、新卒採用以上に慎重に、その人の性格やスキルそして、新たな知識や技術の修得ができるような柔軟な頭脳を持っているのか、吟味しなければなりません。
  それでは、加齢とともに頭脳が硬直化して新たな環境に適応できなくなる人と、歳を重ねても頭脳が柔軟で新たな知識や技術の習得が得意な人との差は、一体どこにあるのでしょうか?
  一生懸命仕事をすることと、新たな知識や技術を吸収することとは、頭の使い方が全く異なります。生涯現役で頑張りたいという気持ちで、頑張る姿勢は素晴らしいことですが、汗水流しながら、いつもと同じことを繰り返しているだけでは、脳の硬直化を予防することはできません
生活の安定を望むのでは無く、自分自身の進歩発展を望みながら、新たな知識や技術を貪欲に吸収しつつ、日々成長し続ける生き方をすることで、脳の柔軟な思考回路を維持することができるのです。
〈おばつぶやき〉
わかるよ。つい、慣れ親しんだやり方をずっと続けてしまうものだ。
べつにそれで困ってないならこれでいいじゃんって。
でもよりよいやり方は?という意識でいることが柔軟にいるコツかもね。それが若さを保つ秘訣かもしれないな。

仕事に限らず、
昔流行ってた化粧方法をずっとやっているとかw
昔流行ってた髪型をずっと変えないとかw
べつに本人が好きならそれでいいんだけどさ。ちょっと硬直化するからな。
そしてどうしても古くなるからなw
もっといい方法があるかもしれないのにかたくなに取り入れないと、発展は望めないからなw

  必要なのは、好奇心、探究心、そして行動力なのです。「どうしたらもっと速く、もっと良いものを?」という気持ちを持ち続けることが大切なのです。逆に脳を硬直化させてしまうのは、「楽をしたい、面倒くさい、このままでいいじゃないか!」という気持ちなのです。
〈おばつぶやき〉
ははー。面倒くさがらず、探求いたします。

  超高齢社会で話題になっている言葉の中に「フレイル」があります。身体を動かす意欲、食べる意欲が無くなり、全てが面倒くさくなってしまい、自宅に引きこもりがちになり、そのうち筋肉が衰えて「サルコペニア」となり、介護が必要になってしまうような状態を指します。 

〈おばつぶやき〉
フレイル。初めて聞きました。

年齢とともに、筋力や心身の活力が低下している状態を「フレイル」と呼びます。
これは、介護が必要となる一歩手前の状態です。
ちょっとしたことで活動量や食欲、意欲などが低下していくと、生活機能全般も低下していくという悪循環に陥りやすく、フレイルの状態を経て、最終的に要介護状態や寝たきりやになってしまう恐れがあります。



年をとると普通に生活を送っていても全身の筋肉が減っていく「サルコペニア」という状態になることがあります。サルコペニアになると体を動かすことがおっくうになってしまい、筋肉がさらに減ってしまいます。
転びやすくなったり、転んで骨折したりして、寝たきりの生活になり、さらに体を動かす機会が減る、という悪循環が起こりやすくなります。

そうか。こういうことにも繋がってくるわけだね。
めんどくさがらず、探求するって大事だね。

この、「楽をしたい、面倒くさい、このままで良い、放っておいてくれ!」という気持ちが、脳の硬直化を生み出し、いずれはフレイルから要介護の世界に転がり落ちて行くのです。

  本日は、何歳になっても新たなことにチャレンジし続けられる柔軟な思考回路を持ち続けるためには、どのようにしたら良いのか?ということについて、お話ししたいと思います。  こんにちは、Dr.Yです。
〈おばつぶやき〉
こんにちは。おばさんです♡

  世の中には、結果を出すために日々努力している人たちが大勢います。しかし、努力をしても結果が出せずに落ちこんでみたり、それでも挫けずに頑張り続けた結果、最終的には成功を収めるなど、人生は失敗と成功の連続と言っても過言ではないと思います。  結果を出すために努力をすることはとても素晴らしいことですが、我慢しながら努力をすると、肉体的にも精神的にも追い詰められてしまうことになり、決して幸せな生き方とは言えません我慢しながら努力をすることを辞めて、楽しみながら努力をするように気持ちを切り替えることで、精神的にゆとりを持ちながら、楽しく努力し続けることができます。これこそが、楽しくて充実した幸せな生き方であると言えましょう。
〈おばつぶやき〉
そっかー。我慢してがんばっちゃうとダメなんだ。
我慢やめて、楽しくゆとりを持ってやるってことか?

  人間は長い人生を生き抜き、最後は死を迎えます。しかし、人間は死ぬために生きている訳ではありません。「死ぬまでの時間」即ち「生」を如何に生きるのかという、人生の質が問われています。ですから、「人生とは過程を楽しむものである」ということを、いつ何時であっても、忘れてはなりません。
  勿論、結果を出すために、しっかりと計画を立てて、真剣に努力をすることは大切ですが、過程を楽しむということを、肝に銘じているのか否かで、その人の人生の質が大きく異なってくるのです。 食事をするのは、「生きるために食べる」ことが目的なのかも知れませんが、「過程を楽しむ」という意識が働けば、「さあ食事をゆっくり楽しもう!」という気持ちになれます。  散歩をするのは、「健康のために1万歩あるく」ことが目的なのかも知れませんが、「過程を楽しむ」という意識が働けば、「さぁ散歩をゆっくり楽しもう!」という気持ちになることができます。
〈おばつぶやき〉
あ!おばさんがさっき思ったことと似てない?

思考を止めて、音楽を聞いてみる。
思考を止めて、お茶を味わってみる。同じ茶葉でも毎日味が違うなとか。
思考を止めて、料理を味わう。
思考を止めて、自分の感情を感じてみる。
思考を止めて、好きな人のことを思ってみる。
思考を止めて、食材の鮮度を感じてみる。あー、しゃきしゃきしてんな、とか。
思考を止めて、アロマテラピーやってみる。
思考を止めて、蛇口から流れ落ちる水を感じる。
思考を止めて、外に出てみる。陽光や緑や空気。ただ感じてみる。

思考を止めて、五感を味わう・感情を感じるってことと似てない?
先生のおっしゃる「過程を楽しむ」っていうやつ♡
そうだ。感じてないと、楽しめないもんね?
思考が多すぎると感じられないから、楽しくないんだ。

  何かをする時に、我慢してやると脳の思考回路が硬直化し、楽しんでやると脳の思考回路が柔軟化するのです。脳の柔軟性を維持し続けるためには、結果を出す為に楽しんで努力し、結果を出すまでの過程を楽しむ生き方をすれば良いのです。
〈おばつぶやき〉
あー!やっぱそうなの?楽しんでいると、脳が柔軟化するのね!

だから思考を止めて、感情や五感優位で感じ取ることだ。
実はこの状態でも、必要なところでは、ちゃんと思考も適切に使っている。
だから大丈夫なんだ。
感情がゆったりいると、脳がバランスよく使えるということだ
思考ぐるぐる状態だと、脳の使い方が偏っているということなんだろう。それで物事を偏って捉えることしかできず、精神状態も苦しくなり、他人のマイナスに囚われて自滅してしまう。

過程を楽しむ=五感・感情を感じて味わっている=脳が柔軟化=脳がバランスよく使えてる

こういうことなんじゃないの?

おばさん医学的なことちっとも分かんないから、自分のフィーリングで書いてるんだけど、Dr.Yさんが言うならきっと医学的にもそうなんじゃない。

思考ぐるぐる状態のときって「~なければならない」ってなりがちだ。
これだと我慢して歯を食いしばって生きる人生になりがちだ。そしてトラブルに巻き込まれやすいことも書いた。こうして我慢して耐える人生になっちゃうわけだ。

  我慢してやる人は、早く楽になりたい。老後はゆっくりと過ごしたい。そう考えます。  ところが、楽しんでやる人は、一生涯にわたり楽しみを持ち続けたいので、老後はゆっくり過ごしたいなどとは、決して思わないのです。
〈おばつぶやき〉
わかるよ。苦しく生きている人は、早く引退したくなっちゃう。
無意識のところで介護状態をのぞんでいるかもしれない。
もっといってしまえば、死がゴールでそこまでの我慢だって感覚だ。
これだと人生もったいない。
そんなふうに生きるのも自由だけど、選択権は自分にある。

 「あっ面白そうだ!いっちょやってやろうじゃないか!」青年がゲームコーナーで爛々と目を輝かせているその瞳の輝きを、高齢になっても失わない生き方ができるのです。
  そのためには、過程を楽しむこと。結果を出すために努力することは素晴らしいけれど、我慢しながらやるのではなく、楽しんで過程を楽しむ生き方をする。それが最高の生き方であり、歳を重ねても柔軟な思考回路を持ち続けるポイントなのです。その為には、好奇心、探究心、創意工夫、面白がる心を持ち続け、行動力をフルに発揮して人生を楽しむ生き方を実践することが大切です。 
〈おばつぶやき〉
そうだね。そんなふうに楽しんでいると、自然に行動したくなるからな。
やっぱり感情や五感を味わうことが大切だと思った。そこから好奇心も探求心も生まれるもんね。
コツは、思考を止めて、感情・五感にシフトすることだとおばさんは思っている。
それだけで若返っちゃう♪




愛の世界♡おばさん~考える子供に育てる:人生を楽しむための技術:子供を指示待ち人間にしないために☆Dr.Yさん

2021-02-07 14:53:18 | Dr.Yさんの心のお話

イケメンだから好きとか

自分と年が近くて安定した仕事についてるから好きとか

ホームレスだから嫌いとか

このみのタイプだから好きとか

この人なら自分の親も認めてくれるだろうから好きとか

やさしいから好きとか

料理が上手だから好きとか

車の運転がうまいから好きとか

相性がいいから好きとか

エリートだから好きとか

頭がいいから好きとか

社長だから好きとか

子煩悩だから好きとか

言うこと聞いてくれるから好きとか

家事をまめにやってくれるから好きとか

美人だから好きとか

巨乳だから好きとか

筋肉があるとかないとか

しわがあるとかないとか

髪の毛がふさふさとかはげちゃったとか

そういうことじゃないのね。

あなたがすばらしいってことを最初から知ってますけどって感覚なのね。
もともと知ってますけど?

って感じね。


おばさんは、突然、何をいってるんだろう。

なんか突然、そう頭に浮かんだんだ。

おばさんはふつうの人間なので、ふつうに生きてるんだけど、たまに天国に行ってしまうようだ。

そうするとすべてがどうでもよくなってしまうんだね。

毎日汚いヤツラの話をブログに書いているから、たまに息苦しくなって、天国に行ってしまうのかもしれない。

最近、年のせいか、いろんなこだわりがなくなってきて、よけーに天国に飛んでいきやすくなっている気がする。

あれ?おばさんもうすぐ死ぬのか?w

まぁ、それでもまぁいいや、って感覚なのね。

おばさんはどうも寝ている間に天国で愛の感覚を経験して、下界に舞い戻ってきたらしい。

「あなたがすばらしいってこと、最初から知ってますけどって感覚なのね。
もともと知ってますけど?」

どうもこういう境地みたいだ。愛とは。軽いのね。
すばらしいの当たり前に知ってるって感覚なのね。

だから、男とか女とか年が近いとか離れてるとか、金があるとかないとか、脚が長いとか短いとか、そういうのは全部どうでもいいらしい。
結婚できるとかできないとかもどうでもいいのね。

自分がその境地でいると、おんなじような人と波長が合って出会って、そういうふうに関わるようになるから、自動的にに愛の世界にいることになるんだな。

だからそうなるとハッピーで楽なんで、相手の性格とか人格すらも、もはやどうでもいい世界なのね。

あ、おばさん昨日、断食したのよ。ごはん食べるのめんどくさくて。食べないで寝ちゃったの。

それで体が軽くなって、天国に飛んで行ってしまったのかもな。

あー、こんな気分のときは、あいつらの汚い話なんかより、Dr.Yさんのやさしい動画が見たい気分だ。



考える子供に育てる:人生を楽しむための技術:子供を指示待ち人間にしないために
動画説明欄より転載させていただきました。赤、おばさん追記。青、おばさんつぶやき。*****************

学歴だけでは、その人が社会の中で生きていく力を評価することはできません。
学歴とは、記憶力が良いかどうか?どれだけ頑張って多くの知識を得たのか?という指標にしか過ぎないのです。
ですから、高学歴であるからと言って、社会に出てから活躍できるかと言うと、必ずしもそうではありません。社会に出てから必要なのは、基本的な知識に加えて、考える力、すなわち判断力や企画力、そして行動力なのであって、記憶力や学歴などは全くと言っても良いほど役に立ちません。 
「あの人は高学歴だけど、指示されないと行動できないので、現場では全く役に立たない!」周りの人たちからそのように思われている社会人が大勢います。
  記憶力重視の学歴偏重社会の中で、「あの人は指示待ち人間であり、臨機応変に対応することができないので、大切な仕事を任せられない!」そのように周りの人から言われたとしたら、本人も仕事に喜びを感じることはできず、しかも周りから疎(うと)まれる存在として生きるとしたら、とても悲惨な人生を送ることになります。
  何か問題が起こった時や、お客様から問い合わせがあったとしましょう。考える力のある人は、自分なりに状況を把握し、分析すると同時に適切な解決方法を見出すことができます。自分の知識と経験とでは判断しきれないと考えた時には、上司に相談して解決方法を仰ぐということができます。ですから、自分の能力で解決できることはしっかりと解決でき、これは自分の能力や立場では解決しない方が良いと判断した時に、適正なタイミングで上司は判断を仰がれるので、安心して仕事を任せることができるのです。
  それに対して、考える力の無い人は、何か問題が発生したり、お客様から問い合わせがあった時には、「いつもどうしているだろう?」「皆んなどうしているだろう?」と、過去の記憶の貯蔵庫の中から検索し始めます。検索した結果、過去に似たような状況がヒットしなければ、自信が無いので、周りの人に聞くしかないと考えます。取るに足らないような内容であっても、自分で判断できずに同僚や上司に対して「どうしたら良いのでしょうか?」と尋ねます。周りの人たちに尋ねる場合はまだましであり、分からないまま自分の思いつきで行動する場合ちは、上手くいかずにトラブルの原因となります。このような考える力の無い人には、仕事を任せることができないため、上司はしっかりと見守り、同僚がサポートすることでなんとかチームの中で、仕事が務まるのです。
〈おばつぶやき〉
たぶん、あれだな。先生のおっしゃる考える力のない人というのは、自分がない状態で生きているのではないだろうか。自分の感情や心を感じていない
じゃあ何に焦点を当てて生きているかというと、他人の目や他者からの評価ばかりをつねに気にして生きている。
怒られたらどうしようとか、批判されないようにとか、褒められたいとか、期待に応えたいとか、こういった思いが強くて、他人の目を中心に据えて生きている。
すると自分のハートを感じることを忘れてしまうんだ。

カンタンなんだ。
自分のハートを感じていると、他者の気持ちも感じられるんだ。
だから仕事でもお客さんの気持ちや要望、同僚や上司の思いや意図なども適切に感じられる。いろいろと解決策も浮かぶだろう。
自分を感じていれば、集中してるから頭の回転も自然によくなるし。

しかし他者の目を中心に生きていると、相手を気にして顔色をうかがっているわりに、相手を適切に感じられないんだ。的外れなんだ。当たってないんだ。
そしてエネルギーも外に漏れちゃってる感じ。もがいているわりに解決策も浮かばないだろう。
だから他人の評価をすごく気にしてるわりに、仕事できないってなっちゃうの。

仕事できないから怒られちゃうでしょ?上司から。そうすると自信なくすでしょ。
自分が信じられなくなるし、失敗したらどうしようと恐れの気持ちがますます強くなる。
よけいに他人ばかり気にするようになる。
また自分を感じることがお留守になる。自分を信じる、肯定する、OKするってことがますますできなくなっていく。

自分感じてない→相手が感じられない→仕事できない→怒られる→自信なくす、こわい→よりいっそう他者の評価中心に生きる・・・
この負のループにはまってしまうんだ。

どうしてそうなっちゃったかっていうと、人生のどこかで自分のハートをないがしろにして、人の言うことが正しいと優先してしまったところが始まりなんだ。
たいては親なんだ。親に支配されてそうなるんだ。
相手の領域、自分の領域というものがあるんだ。
その人が決めて、その人が責任をとるならば、それはその人の自由なんだ。
あれこれ口出しすると、トラブルになるんだ。
例えば、子どもが勉強をしない。不良仲間と遊んでいる。とか、いろいろ心配になることがたくさんある。けど、ムリに言い聞かせてもムダだ。
「お母さんから見たら、おまえそのうち困ることになると思うけど、自分で決めなさい。その責任は自分がとるんだよ」
と言って、離れる。

それで親自身が自分の欲求や感情を大切に生きることだ。それをしなかったから、子どもが引きこもりになったり、問題を起こしたりするのだ。
我慢して家族に尽くすのが美徳と教えられた。またそうしなければならない現状もある。

しかしそのなかでも、親がなるべく自分の欲求と感情を大切にする。まずはそういう時間をとってみる。親だって遊んでよい。
実は子どもの問題の原因はほとんどこれだ。

失敗を経験させてあげるのも愛だ。相手はやりたいわけだから。納得するまでやらせてあげる。
それを力で阻止すると、相手は傷つく。
あれこれ手出し口出しすると相手の尊厳が傷つく。
こんな親子関係がひな形になって、友人関係も、恋愛も家庭も、職場でも似たような支配関係を築くんだ。

だからそれに気づいたらいったん離れることだ。そんな支配関係になってしまった人たちと。自分がきつくない距離まで。
そして、自分の感情を取り戻すことで、負のループを断ち切ることができるんだ。

他人は見なくていいの。見てもいいことないんだ。
自分の感情感じてれば勝手に相手のことも適切に感じるようになるから、見なくても大丈夫なの。気にしなくていいの。
最初は親で、その後いろんな人間関係で支配関係に陥って、他人ばっかり気にして見るクセがついちゃってるだけなの。
自分感じて、楽にリラックスしていてください。

上司の気持ちとしては、「自分でやった方が早く上手く確実にできるから、本当は任せずに自分でやりたい」と思うのですが、チームをまとめるためには、足手まといの指示待ち人間をも、上手く使って行かなければならないのです。
  職場にとっては、指示待ち人間を採用しないようにすることが大切なのですが、面接ではなかなか見抜け無いのが現実なのです。結婚と同じで、一緒に行動して数ヶ月経ってから、その人の欠点が見えてくるものなので、指示待ち人間が職場に紛れ込んで来てしまうことは、仕方ないことかも知れません。
〈おばつぶやき〉
あ、そうか。結婚もそうだよな。
自分の感情を感じてないってことは、愛を感じられない。
でも自分の感情を感じていると、ちゃんと相手の心も感じられる。
自分の感情を感じてないと相手も感じられない。
だから、自分を感じていないと、永遠に人と愛し合えない。
でも自分を感じていると、相手の心が分かるから、愛も手に入るし、仕事もできるようになる。

だからやっぱ、髪の毛ふさふさだから好きとか、巨乳だから好き、とかそういうことじゃないのよ。あぁ、冒頭に戻ったね。こう繋がるのかw

  脳には局在というものがあり、どの部位がどのような機能を司っているのかということが解っています。日常的な出来事や、勉強して覚えた情報は、海馬の中で一度ファイルされて整理整頓され、その後、大脳皮質の各領域に貯められていくと言われています。つまり私たちの脳の中で、「新しい記憶」は海馬に、「古い記憶」は大脳皮質の各領域にファイルされるのです。大脳皮質には、感覚や知覚を司る「頭頂葉」、聴覚や記憶を司る「側頭葉」、視覚を司る「後頭葉」というパーツが含まれます。それに対して、「前頭前野」は、考える・記憶する・感情をコントロールする・判断する・応用する、など人間が知恵を働かせて生きていく上で、重要な働きを担っています。仕事の作業効率を高めるためには、若い頃から前頭前野を鍛えて活性化させておくことが何よりも大切なのです。

  「考えることは楽しく、悩むことは辛い」それが人生です。前頭前野を活性化し、「どうしてこんなに美しいのだろう?」「どうしたらもっと素晴らしいものか作れるのだろう?」そのように考えることで、夢に向かって前進することができるのです。
〈おばつぶやき〉
本当は、自然のままにいたら、前頭前野も勝手に活性化するんじゃないかね?
人間も動物だから。
だれかが支配し抑圧するから脳の働きも悪くなっちゃうんだ。
てゆうか人間が能力を発揮できないようにする社会になっちゃってる。
家畜みたいにしといたほうが、あいつらが支配しやすいからな。
みんなが能力発揮して天才になると、あいつら困るからw

あいつらが我々を支配する。支配された人々が家庭で社会で他者を支配する。
人間の能力が伸びないうえに問題を起こしていく。こんな仕組みだ。
これをますます露骨に共産主義・全体主義・世界支配にもっていこうとしてるわけだから、きつい世の中になってるの当たり前だと思うよ。


  本日は、考える子供に育てる方法についてお話ししたいと思います。 
こんにちは、DR.Yです
〈おばつぶやき〉
こんにちは。おばさんです♡


  子供は大人に比べて好奇心が強く、身の回りのありとあらゆることに対して、物珍しいと感じて、「いったい何だろう?」「なぜだろう」と疑問を持ちます。
子供が大人に対して、「これなぁに?」と質問した時に、「うるさいなぁ!忙しいんだから、黙っていなさい!」などと言わずに、しっかりと納得のいくような回答を準備しなければなりません。 また、大人が当たり前だと思っていることに対して、「ねぇ、どうしてなの?」と質問することもあります。それに対しても、「下らない質問するんじゃありません!」と言わずに、しっかりと納得のいくような理由を説明してあげなければなりません。
  子供に「どのようにすべきか?」という選択肢を説明する時に、「こうしなさい!」「それはしてはいけません」と命令・指示するのでなく、「何故、すべきか?何故、すべきでないのか?」ということを、しっかりと納得のいくように理由を説明をしなければなりません。
〈おばつぶやき〉
おばさんね、スーパーとかでこどもをすごい剣幕で頭ごなしに叱ってるお母さんを見て、たまに胸がいたくなることがあるの。子どもがびーっと泣いていて。
こどもは、案外、やさしいことばで説明すると、すごく理解力がある。
3歳くらいの子でもちゃんと理解力があって、おばさんびっくりすることがある。
まだあんまりことばもわかんないだろうに。
こどもは天才だから、ことば以外のなにかを感じ取っているのかもしれない。
そうやってふだんから接していたら、こどもはそんなにお母さんを困らせるようなことをしないのではないか?
そう思うことがある。
もしかして、普段から忙しいからって、子どもを頭ごなしに押さえつけている?
それだとお子さんはたぶん、無意識に仕返ししたくなるだろう。
なんでわかってくれないんだっていう気持ちが蓄積されていくだろう。
大勢の人がいるところでぐずって親を困らせたくもなるだろう。
やってるうちに引っ込みがつかなくなるだろうw
(大きくなると、ヤンキー引きこもりになる可能性もある)
忙しいのはわかる。生きてるたけでいろいろやんなきゃなんないことがたくさんある。そのうえ、小さい子がいたらめちゃくちゃ大変に決まっている。
でもその中に、自分がやんなきゃならないと「思い込んでいる」こともあるかもしれない。やんなくても大丈夫なこともたくさんあったりする。
でも家族のためにがんばんなきゃ(自分を犠牲しなくちゃ)という思いが強いと、それが見えないし気づかないと思うんだ。
だから、自分ができる限り、楽でいていいってことを、おばさん声を大にしていいたい。すべてはそこからさ。
自己犠牲と引きこもりの関係↓

ゆっくりしてると、お子さんにやさしいことばでお話してあげる余裕が生まれるもん。きっと。
手抜きは愛だ。休むことも愛だ。ごろ寝もさぼることも愛だ。
やってあげたい気分のときは思う存分やればいい。
これが愛のエネルギーの循環さ。
すべてエネルギーでできている。
今はあいつらによってマイナスエネルギーが滞るようにされている。
家庭も社会も会社も政治も。まったく見事だ!
よってうまく、ムリなく、平和的にあいつらに逆らったり無視したりすることが大切だ。
女性も仕事を持たなければならない、ぐーたら主婦はいけませんってのも、あいつらが植え付けてたイデオロギーだ。仕事したけりゃすればいいし、ぐーたらしたいときはゆっくり過ごしたらいい。
仕事してるからいいとか、ぐーたらしてるほうがいいとかそういうことじゃないんだ。
お母さんのエネルギーが大切だ。
お母さんのエネルギーが子どもの心や人生を破壊することがあるからな。
(もちろんお父さんも大切だ。でもお母さんが家庭の精神的リーダーである気がする。お父さんもお母さん次第でなんとかなる気がするw)

  ありとあらゆることに対して、「何だろうwhat?」、「なぜだろうwhy?」、「どうすればhow?」という疑問を持ち続け、答えを見つけることに喜びを見いだし、「なるほどそうなんだ I see!」解答が解った時に感動を覚えるような生き方ができるように、子供を導いて差し上げなければなりません。
〈おばつぶやき〉
うん。自然にふだん、いろいろ思うはずだ。
なんで?とか、どうすればいいのかなー?とか。
それを押さえつけないことだよなぁ。
どうしても思考停止するように世の中ができている。
なんでこんなコロナ騒ぎが起きてるのよ!とか、なんでこんなやつに従わなくちゃなんないのよ!とか、そういう人々の自然な思いを打ち消すかのようなテレビ・新聞・ネット・他人の言説があふれているから。
親たちがまず、そんな世界で抑圧されて、洗脳され、自分で自分を押さえつけて生きてるからな。
おばさんみたいにマニアックに好き勝手に「あいつら」研究ばっかりしてたら、社会で生きづらいし、変人だと言われるから、そうなるのも無理はない。


  自然界の様々な出来事を、「なんでだろう?」「なるほどなぁ!」と面白がる視点で眺めるには、親が自ら面白がる心を持ち、子供と共に行動する過程で、面白おかしく質問をしてあげることが大切です。 テレビの番組制作者は、ニュースや教育番組以外は、様々な出来事を面白おかしく伝えるように創意工夫しています。
 「このようなことが起こっています」そのように伝えるのがニュースです。 
「このような事実がありますので、皆さんしっかりと覚えてください」そのように伝えるのが教育番組です。
 「このようなことがありました。さていったいなぜだったのでしょうか?皆さん推理してみてください。皆さんは答えとその理由をお答えください!」それが謎解きバラエティー番組なのです。 

「これを覚えなさい!」そう言われれば、「えっ、またか!?めんどくさいなぁ」と思います。記憶モードを働かせるという行為自体は人間にとっては億劫なプロセスですので、誰もがそう思うものです。
同じ内容であっても、「さていったいなぜだったのでしょう?」という謎解きモードを働かせるように仕向けると楽しくなります。 
 子供と一緒に行動する過程で、謎解きバラエティー番組のプロデューサーになったつもりで、子供の心を謎解きモードにスイッチさせてください。そして「何だろうwhat?」、「なぜだろうwhy?」、「どうすればhow?」という思考回路を繰り返すことで、その回路が当たり前のように使えるようになるのです。

  地平線まで続く広々とした平坦な砂漠に、雨季になって雨が降り、何も無かった砂地に小川ができ、また雨が降ってさらに川が深くなり、いつの間にか立派な川となっていくようなイメージで、謎解きモードの思考回路を深くまた深くどんどん掘り進んであげましょう。  ある程度深くまで回路の溝が掘られると、今度は自らその回路を使い、好奇心を持ちながら、面白がる心を駆使して、楽しんで生きることができるようになります。 

「空はどうして青いのか知っている?」 お子さんにそう尋ねてみてください。 「青空を眺めるとスッキリした気持ちになれるから、空は青くなっているのかな?」そんな答えが返ってくるかも知れません。 「確かに、青い空を眺めると、爽快な気持ちになれるから、そうなのかも知れないけれど、実はね、空気があるから青く見えるんだよ!」 「月や火星の探査機から撮影した写真を見ても、青空は無いでしょう!。月や火星で天を仰ぐと、真っ黒な宇宙が広がっています。地球には空気があるので、太陽の光が酸素や窒素の分子に当たって散乱して青い光を放ちます。それで空は青く見えるのです。夕焼けが赤く見えるのは、夕陽は接線方向から地表に光が入るので、大気圏を長く通過する間に青の光は散乱し尽くされ、赤の光だけが残って赤く見えるんだよ!」 
〈おばつぶやき〉
そうなんだ。知らなかった。

「なるほど、空気があるから、青空が綺麗に見えて、空気があるから夕焼けも綺麗に見える。空気があるお陰で私たちは生きていられるし、空気があるから、草木も育つんだ!上手くできているんだね!」 
このように、自然界の素晴らしさを味わうことで、科学が好きな子供として成長すると思います。
〈おばつぶやき〉
おばさんの場合は、自然科学よりも、どうして自分の母親はこんなに苦しく生きているのか、どうして愚痴ばかり言うのか、どうしておばあちゃんとこんなに仲が悪いのか、どうして怒鳴るのか、父親の家庭での役割ってなんなんだ?、、こんなことばかり思っていた。
だから人の心と人間関係と世の中の仕組みばかりを観察していた。
それで答えを探して問題解決しようとしてきた。こどものときから。
それで気づいたら、こんなおばさんになっていた。
だから私の親はこんなやさしい問いかけをしてくれなかったけど、
自分で自分の疑問を打ち消さないで、ずっと心の中で探求してきたら、ディープステートの企みと自分と自分の家族の問題が大いに関係あることが気が付いちゃったんだよなぁ。
それで自然に悪いヤツの企みを見破ることが趣味のおばさんになってしまったんだよなぁ。
これも考える力といえばそうなんだろう。
おばさんの親は支配者なんだけど、おばさんはいうことを聞かない子であった。
最終的に自分自身の心を支配者に明け渡すことをしなかったんだな。わたしゃ。
それで自分の心はなんとか助かった。
起きている問題の原因もわかった。でも親を変えることはできないこともわかった。
とりあえず自分自身を救って、親は苦しそうに生きていても親の自由を認めるしかないし、それがやつらにとっては最善で勉強なんだとわかった。

ふつうは親に支配されていれば、親の態度や言うことを真に受けて、犠牲者になるだろう。おばさんもそうなりかけた。
自分の心を優先しなくなるだろう。つまり家畜的になっていくだろう。
犠牲者とは他力本願だ。
自分で考えたり道を切り開くということをしない人になるだろう。
自分を放棄して、自分に力があることも忘れちゃって、自分を信じることができなくなるだろう。だからすぐに他者にしがみついたりあてにしたりするんだ。
Dr.Yさんの言うところの、仕事でちょっと分からないことがあっても自分で解決しようという気概のない大人になるだろう。
彼らはそうやって育てられてきたわけだ。

でもな、そういう状態であったとしても、大丈夫だ。
まずそれに気づくことだ。それから支配関係の彼らから離れて、すこしずつ自分の感情を取り戻すことだ。
こんなふうに自分自身を育てることができるんだ。
それができればもう親は関係ないんだ。親との関係も楽な方向に変わったりするんだ。風通しよく、自分自身が自分の主導権を持っている関係に。
介護の問題やいじめについて書いてみた記事↓

大人である自分が気づくことだ。自分を救えないと、子どもも犠牲にしてしまうから。

そんなことに気づくといっぱいマイナスの感情が出てくるから、それらをよーく見て感じきってあげることだ。何回も。出てきたときに。
それが感情のおそうじなんだ。
みんな感情を抑えなければならないと思い込んでいるけれど、それでは滞ってしまう、マイナス感情が深くなるほど、自分自身が問題を起こしていくからな。
おそうじは大切だ。

  「子育てとは何か」ということをはっきりと理解できるのは、子供が成長して子育てが終わって孫を抱っこする年齢になってからです。新米教師のような、子育てに不慣れな親に育てられる子供は、どちらかというと犠牲者に近い存在です。  「子育ては、子供の為にあるのではなく、親の学びのためにある」そのように考えるべきだと思います。理屈が通じない、自分勝手に行動する。そんな可愛いらしい小さな存在を、どれだけ上手く導いていけるのか?それを学ぶために子育てがあるのだと思います。 子育てをしながら、子供と共に成長していく。そんなつもりで、しっかりと自然界の様々な出来事を観察し、知識を増やして、謎解き問題を子供に出して、一緒に楽しむ習慣を身につけると、親も豊かな人生を歩めると思います。

  子供はパイロットで、親はしっかりと離陸できるように導く管制官とお考えください。20年間かけて考える力を身につけて、離陸して飛び立ったら、それから先は管制官との連絡を断ち、自ら考えて自分の人生を操縦しなければなりません。

楽しみながら飛行し、不測の事態に遭遇した時にも、焦らずに自分の頭で考えて、今できる最高の対応策を選択することができるような、一人前のパイロットになれるように、しっかりと考える力を育んで差し上げることができたとすれば、最高の子育てと言っても過言では無いと思います。

  本日は、考える子供に育てる方法についてお話ししました。 また、皆様のお役に立てるようなお話をしたいと思います。  Dr.Yでした  #考える力 #思考力 #好奇心 #面白がる心 #指示待ち人間
〈おばつぶやき〉
わたしは、今回の先生の動画を最初に見たときに涙が出た。
自分のこども時代が思い起こされた。いいことも、つらかったことも。
それと同時に先生のご家族がうらやましかった。
そんなふうに育てられたら幸せだろうなと。

でもたぶん、わたしは前世であいつらによって引き起こされた戦争で死んだから、今回はそのリベンジに来ている。
すると、あまりにも幸せな家庭に生まれていたら、こんなふうにあいつらの悪事と人間の苦しみについての研究にいそしむことはなかっただろう。
今の狂ったNWO計画も昔の戦争も、仕組んでいたのはあいつらであった。
それがわかった。
だから好都合だったわけだ。そういう親の元に生まれたことも。

深いんだ。頭では忘れているだけで。無意識の深い所ではそういった目的があって、運命としか思えないことも選択していたり、物事を起こしていたりする。

あいつらが滅びることを熱望しているけれど、あえてあいつらが暴れ回る断末魔の時代を選んで生まれてきているというのもあるんだ。

先生のこの動画に低評価を押した人がいるな。コメント欄も閉鎖されている。
もしかして、また例の工作員が来たかな?

そいつ、もしかしてじつは日本語のわかるヤツで、
おばさんみたいに、自分の深い悲しみや恨みの感情が呼び覚まされて妨害してたりして?

だいたい、幸せに自分の人生を生きてるヤツは工作員なんてやってないもん。

こんな感情を呼び覚ます先生の動画は、本質を突いているということだと私は思うよ。つまりそれは愛だ。だから忘れていた古い感情が出てくるんだ。

だから見るもの聞くもの、みんな自分のフィルターを通して感じているんだ。

自分の心によって、いろんなふうに見える。

自分の心のありかたによって、好ましく見えたり、つらく見えたり、不快に見えたりするだけだ。

先生はやさしくあたたかく、考える力について教えてくださっている。

自分の表現に対する人の言うことなんて、その人の自己紹介だから気にしなくていいとわたしは思ってるんだ。

自分が表現するのも自由。相手がどう感じるかも自由だ。

苦しみにとどまるのも自由。
這い上がるのも自由。
急ぐのも自由。
ゆっくり取り組むのも自由。
つまり自分も他人も、感じるとおりで完璧ということだ😊 

あいつらに関しましては、「あいつら(裏側から見る社会のシステム)」のブログ記事一覧-丸顔おばさんのブログ、古い順をクリックのうえ、初期の記事よりご覧ください。

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情報が錯綜する今、自分を責めない練習をするチャンス♪責任は自分が決めていいんだよ→自由になる♡おばさん~責任感のある子供に育てる☆Dr.Yさん

2021-01-30 15:36:16 | Dr.Yさんの心のお話

おばさん毎日、いろんな方のブログ、動画、ツイートを見て情報を得ている。
そして、これは!と思ったものを引用させてもらってまとめて、自分の考えや気持ちを好き勝手、自分のブログに書かせてもらっているわけなんだけど、
最近、情報発信されている方たちの心がだいぶ揺れているなぁと感じてせつなくなるんだ。

今、いったい世界で何が起きているのか、たしかな情報がないだろう?

例えば、DSの重鎮の逮捕の話。逮捕されたっぽいという情報がちょっと出るけど、確認まではできないわけだ。
それであるユーチューバ―の方が、いまだ情報が出ないのでデマでしたと謝っておられるのを見た。
しかし、デマかどうかもまだはっきりわからないのではないか?とおばさん思った。
その方はその逮捕情報の動画を配信したら、だいぶ妨害コメントが来たようで、「嫌な方は見ないでください」ともおっしゃっていた。
だいぶストレスだっただろうと思った。

またある方は、トランプさんが新党を立ち上げるという話をいちはやく発信されていたが、最近、トランプさん側の顧問がこれを否定した。それを受けて、トランプさんを責めていた。トランプはよくウソをつくので信じられんと。
どうもトランプさんは弾劾を前に共和党員に圧力をかけるために、新党の情報をちょと出してカマかけた可能性が濃厚だ(これについてもあとでまた書こうと思う)
また、「新党はどっかの誰かが勝手に立ち上げたものだ」という右翼の人のツイートを取り上げて、自分はこんなのも真に受けないとおっしゃっていた。
私は真実とかウソとかよりも、その方が今、人を責めたり自分を責めたりしている心境にあって苦しいのではないかなと、勝手に感じた。

人を責めているとき、実は自分のことも責めている。
自分を責める人は、人の事も責めている。

人に対する態度と自分に対する態度は同じなんだ。

そういうふうにできているんだ。われわれの心は。

だから責めなくていいんだ。誤報が出たとしても。自分がそれを発信しちゃったとしても。似非右翼のプロパガンダやトランプの策略を見抜けなかった自分を責めるな。
今はこういう時なんだ。一般人に見抜かれるような策はトランプは繰り出さないだろうからな。
あなたが取り上げたそのツイッターの右翼工作員はなかなかのやり手だ。
今発信してる人のほとんどは工作員で、半分くらいはDSのプロパガンダなんだと認識しながら情報をいただくことだ。
今は、こういう状態だから安易に飛びつくと幻惑されて当たり前なんだなぁと、自分をいたわってあげてくれ。
責めるともうダメなんだ。反対だ。OKしてくれ。まずは自分自身を。

おばさん思うけど、「今はこんな状況だから確認がとれないんだけど、自分はこう思うんだ」って言ってから発信すれば何の問題もないと思うんだ。

「自分は真実を伝えます!」なんて宣言しちゃうと、誤報だとわかったとき、つらいだろ?自分としてはもちろんベストを尽くしていただけに。

自分の責任は自分で決めていいんだぞ?
「ベストは尽くして情報収集・分析してるけれど、今は情報が出なくて確認がとれないから、間違ってる可能性もあります」と言っておけばよい。

これならお互いに楽ではないか。聞き手もそのつもりで聞くし。自分も間違っていたとしても責められなくて済む。あれは憶測だと言ったうえでの発信でしたと。
聞き手のみなさんも憶測であっても助かるはずだ。
こんな可能性があるんだ!と知ることで絶望しなくてすむんだから。


トランプもな、あいつらと最前線で戦っているわけだ。
肩を持つわけではないが、今は100%まっすぐ真実と善だけでやるのはまだムリというものだ。
やつを責めても仕方ないとおばさんは思う。
はっきり言って、駆け引きの連続だ。
政治家は勝たなければ、なにもできないわけだ。
選挙はもちろんのこと、弾劾やら、ナントカ疑惑やらなにやらあいつらの仕掛けてくるいろんなワナをかわして勝たないと、DS退治もなにもできないわけだ。
そのためなら、前言撤回したり味方をも欺くウソをつくこともやるだろう。
ワクチンだって毒と分かっていても、DSがまだ力を持っているうえに、民衆がDSに騙されてワクチンを望んでいるなら撤回できないだろう。
コロナのことも真実を知っているとは思うけど、あいつらがコロナを利用して全体主義に持って行こうとすれば、阻止するために「コロナはたいしたことない」と言ったり、また、中国に対しては、ヤツラがばら撒いた犯人であるから、「よくもこんな危険なウイルスをばら撒いたな」と言うだろう。
これをコロナに関する発言が二転三転しているといえばそのとおりだ。
だから真面目な方から見れば、不誠実に見えるだろう。
(私はトランプを善人に導くのは民衆だと思ってるの。DSの闇に気づいてみんながこういうことやられていたと気づいて立ち上がるごとに、トランプもいい人になっていく。なってきた。トランプ自身身内にDSがたくさんいるなかでやっている。)

そんなトランプの発言を言葉のままに真に受けて、自分が情報として発信してしまったなら、またウソいいやがってと恨みたくもなるだろう。
今はそういうときだ。

本当の事が言えない。
こんなようなこと↑になっていそうだけど、そうだとしても発表できないわけだ。
ひょっとしたらこんなようなこと↓をしているかもしれないし。
だからそのまま「未確認だけど自分はこう思うんだ」と言えばいいと思うんだけど。

デマもなにも、自分の予想や意見として発信すればなんの問題もないだろう。

ワクワクして楽しいではないかwww
おばさんは真面目一本の発信よりこういうのが好きだ。妄想は自由だからな!
しかもその妄想が当たってるかもしれないなんて、楽しいではないかwww

個人が発信するおもしろさはこういうところにあるのではないだろうか?

プロのマスコミの人たちは事実を伝える責任があるだろうけど、(今はそうじゃなくなっちゃたけど😠 )、個人は自分の憶測や気持ち中心でもいいのではないか。そう前置きすれば。自由なんだから。

責任って、自分で選んでいいんだぞ?
できないことは選択しなくていいんだぞ?

責任って聞くと、なんか重いような、かったるいような気がする。
それはたぶん、責任を過剰に考えているからだな。



責任感のある子供に育てる:子供への最高のプレゼント
動画説明欄より転載させていただきます。
赤、おばさん追記。青、おばさんつぶやき。

「あの人に任せておけば何とかしてくれる」そのように思われている人は、周りの人たちから信頼され、チームリーダーとして活躍します。その信頼の源となるのが責任感のある言行一致した行動です。
  それとは逆に、「あの人はやること為すこといい加減で、後ではぐらすから信用できない」という無責任な人もいます。そのような人に対しては、安心して仕事を任せることはできません。
  子供の成長過程で、親の教育の影響を最も受けるのが責任感です。子供の特性には、どんなに親が努力しても変えることのできない特性もあれば、親の努力次第で如何様にもなる特性もあります。その中で最も親の教育の影響を受ける特性が責任感であり、もしも子供が成長して大人になった時に、「責任のある行動ができる社会人」になっていたとしたら、「子育ては大成功した」そう言っても過言では無いと思います。
  例えそのお子さんが、生まれつき欲望が強くしかも利己的な性格であったとしても、しっかりと教育して責任感を身に付けることができたとしたら、周りの人たちからは一目おかれ、社会の中で立派に生きていくことができると思います。
  責任感のある人とそうでない人との行動の違いについて、深く考えてみましょう。
  暴力を振るって逮捕された犯人が、傷の処置を受ける為に、病院の救急外来を受診することが度々あります。大抵の場合、目付きの悪い横柄な態度の犯人が、強面(こわおもて)のがっしりした刑事に連れて来られます。診察室に入って来た犯人と刑事の2人を見比べて、どちらが犯人でどちらが私服刑事なのかを顔付きや体型を見ただけでは区別することはできません。話す言葉がぞんざいなのが犯人で、敬語を使えるのが刑事であり、話す言葉を聴いて初めてどちらが犯人なのかを区別ができる、ということがよくあります。犯人も刑事も、同じような性格であり、同じような価値観を持っているということが、顔の表情から見て取ることができます。  それもそのはずであり、犯人の気持ちや行動パターンが理解できなければ、刑事は犯人を捕まえることはできません。刑事が、犯人と共通の価値観を持つことができるので、手口を推測したり、犯人と心の通う言葉のやり取りができるのです。
〈おばつぶやき〉
おばさんも毎日、あいつらの手口、策略を見抜こうとしている。やっぱりね、悪いヤツになりきると、ちょっと分かるときがあるの。
でもご存じのとおり、あいつらって、ふつうの人の理解を越えた、悪、変態、残虐、そういうのが当たり前のヤツラでしょ?
だからふつうのおばさんにはムリなところもあるんだよね。とくに変態のところね。
それで、以前はよく心がつらくなってね、あいつらブログを書くことが。。
でもだんだん慣れてきちゃったのw
そしてあいつらが不正選挙やってくれたおかげで、だんだんDS当たり前の雰囲気に世の中がなってきちゃって、なんだか本当に滅びそうだからやめるにやめらんなくなっちゃってね、しょうがないねw
でも、あいつらになりきったら、素の自分に戻るように気を付けてるの。
じゃないと、自分もあいつらみたいになっちゃうからねw

生まれつき犯人と刑事と同じような価値観を持っていたとしても、責任感がある人が刑事になり、責任感が無い人が犯人になるように思えます
同じことがハッカーにも言えます。ハッカーによるサイバー攻撃を防止する為に、ホワイトハッカーと呼ばれるセキュリティのエキスパートがいます。責任感がある人がホワイトハッカーになり、責任感がない人がハッカーになるのです。
〈おばつぶやき〉
あぁ。責任感かぁ。おばさん、責任感、あるかなぁ。
あいつらは責任感なんてないからね。
いかに自分らは責任をとらずに民衆にすべてを押し付け、搾取し支配するかに命かけてるからwその仕組みづくりこそがDSの歴史なわけだ。

そもそも前提が一般人と違うわけだ。

  例え同じ性格の子供であったとしても、幼少期に強い責任感を植えつけるような育てられ方をされたのか?それとも責任感を植えつけられないように育てられたのか?将来の方向性がそれで決まってくるのだと思います。
  刑事も犯人も本質的には同じような価値観を持っているということであれば、酒を飲んで警察官が不祥事を起こすのは、アルコールにより責任感の抑圧から開放されて、本能が露わになるためであり、警察官が飲酒してトラブルを起こすことが珍しくないのは仕方ないことなのかも知れません。
〈おばつぶやき〉
この刑事はさ、責任を重たく考えているよね。だから酒で開放されたときに不祥事を起こしちゃうわけだ。刑事に限らず、そういう人、多いだろう?
日ごろ、ムリして我慢して責任果たしているわけだ。責任を過剰に考えているんだ。
まず、相手がある場合には責任の範囲を見なきゃだめだ。
この人たぶん、仕事のときだけでなく、家庭でも他のところでも、自分の責任を過剰に考えていると思うぞ。
これだと人がとるべき責任にまで手出し口出ししちゃうんだ。
これは支配になる。子どもがグレたり、引きこもりになったり、夫婦関係も支配関係になっているはずだ。人間関係のトラブルはほとんど全部これが原因だ。
だから、酒を飲んで不祥事起こすんだ。そうやって一気に滞ったマイナスエネルギーを解消する機会を自分自身が無意識に作るんだ。
これだと犯人との関係も依存関係・支配関係になる。相手に入り込みすぎなんだ。凶悪犯と依存関係、これはきついぞ。
犯人のためにもならないしな。ヤクザと依存関係の刑事とか、よくドラマに出てくるよなwそういう激しい人生になる。
だいたい暴力をふるったりする人はものすごい支配者であるはずだ。そんな犯人と対峙しているうちに自分も同じ感覚になって相手の責任や自由におかまいなしでどんどん入る意識になってしまうだろう。
実は責任の話もこの話に繋がってくる↑

刑事であっても適切な責任の範囲が見えている人は、凶悪犯に対峙したとしても犯人に入り込みすぎないで自分を保ったまま、依存させないで、更生へ導くことができるだろう。
こいつらみたいに。あっさりしてるようだけど、こっちのほうが愛なんだ。


こいつらは仕事がないときには紅茶をのんだり、遊んだりしている。窓際で。
自分で責任を選択している。やりたくないときにはやらない。
やんなきゃなんないときはやる。
責任を自分で決められる時は、自分で決めていいんだ。やるか、やらないか、どのくらいやるか、半分やるか。少しやるか。
相手がいるときには相手と相談して決めればいいんだ。その話し合う時間こそが愛だ。
むりやり命令するのではなく。押し付けるでもなく。お互いにどこまでならできるか、話合って決める。
そうやって責任を決めれば、快適だ。だから紅茶飲んでリラックスしていられる。
すると、自分の感情にいられるから、犯人に飲み込まれない。それでいて、犯人の心理を感じることができるんだ。自分の感情感じているから
自分の感情を感じていると、人の心も感じられるの。
だから推理も冴える。(刑事じゃないふつうの人もいっしょだよ♪)
犯人にも向き合うときは向き合うけど、過剰にくっついて依存させない。
本当はそれが愛なんだ。

  現場が上手く回る為には、責任感のある人がリーダーとして切り盛りする必要があり、責任感が希薄な人たちを上手くまとめることで、スムーズに事が運びます。そして、無責任な人たちをしっかりと監視して、ミスや抜けが無いようにチェックをすることで、問題発生を事前に回避することができるのです。
〈おばつぶやき〉
いいリーダーとは、責任の割り振りが上手なリーダーだ。
ただ割り振るのではなく、どのくらいならできるのかを言わせたり、できなかった場合は早めに言うように、とか、できなかった場合どうするか、とか考えさせる。
そうやって自分の責任を果たせたら、本人はすごくうれしいはずだ。
そういうふうに育ててあげることができるはずだ。
ただ押し付けるではダメだ。
経験の少ない人にも、できる責任を果たさせてあげることで、育ててあげることができる。また責任の量や範囲を話し合う機会を作ってあげる。話し合うことを教えてあげる。
そうすれば経験が少なくても怖くないはずだ。周りの人も困らないはずだ。助け合ったり話合ったりする雰囲気の職場になるはずだ。
こういう視点がブラック企業にはないだろう。


  無責任な人たちは、現場で責任ある行動をとることに窮屈さを感じるため、仕事をいい加減にやるだけでなく、できるだけ仕事を他の人たちに振ろうとします。仕事は手を抜いて適当にやり、上司に媚びへつらうことにエネルギーを使うことで、仕事ができないのにもかかわらず、出世街道をグングンと登りつめます。「上手く行ったら自分の手柄、上手く行かなきゃ部下のせい」それが彼らの生き方なのです。仕事を任せることができずに、管理職しか務まらないような役に立たない人材が、企業のトップを勤めているようなぬるま湯のような組織が、世の中には沢山あります。
〈おばつぶやき〉
こいつらがこうなっちゃったのは、責任を果たす気持ちよさを教えてもらってないからだと思うんだよな。
例えば、新人のころ、支配的な上司から自分のキャパを越えた仕事を押し付けられるだけであった、とか。責任の範囲や量を話し合うときの、心の通う感覚とかの経験がないはずだ。
自分がかつてやられたことを人にしているんだ。
おばさんにいわせれば、この世のほとんどの会社、職場はブラック企業だ。
そうなっているのは、家庭で子どもの頃に、責任について教えてもらえなかった人が大半であるからだ。親もそのまた親も、できてないってことだ。
まだ人類全体が責任についてもわかっていないってことだ。
われわれは幼稚園児みたいなレベルだ。

 国会議員の先生方は人気投票で選ばれるわけであり、周りの人たちに媚びることで当選します。私の知る限りに於いては、議員の中には「適当にやって上手くはぐらかす」ということが唯一の特技であり、落選したら他に就ける仕事が無いような無能な人たちが大勢います。
そのような烏合の衆の中では、自分の人生をかけるだけの納得できる仕事はできないと考えてなのか、国会議員を辞めて知事などの首長として采配を振っている責任感溢れる人がいます。
〈おばつぶやき〉
とくに2世3世政治家のみなさんはそもそもDSの方が多いので、ご家庭が、さっき書いたように
「あいつらは責任感なんてないからね。
いかに自分らは責任をとらずに民衆にすべてを押し付け、搾取し支配するかに命かけてるからw」
こんな感じになっている。

まずこどものときからお手伝いさんや秘書がすべてをやってくれる。
すると、自分で自分の責任を果たす喜びや達成感を得られないで大人になる。
すると、どんどん堕落していく
自信や自己肯定感などはまったく育たないだろう。
自信のなさ、否定、無力感、親の支配への仕返しの気持ちもあって、どんどん問題を起こしていく。
かわいそうだ。
お金持ちやエリート、政治家のこどもが堕落してしまうのはこういうことだ。
だから、責任を適切に果たすってことはとても大切なんだ。
問題は責任の範囲と量だ。


  責任感があるということをひと言で言い換えますと、「自分の口から発した言葉をしっかりと記憶しており、その言葉に反しないような言行一致した生き方をしている」ということです。 無責任ということは、「自分の口から発した言葉には興味が無いため直ぐに忘れてしまい、その場その場で適当にはぐらかして生きている」ということです。

  自分の口から出た言葉をしっかりと記憶しておいて、言行一致した生き方をすることは、とても窮屈なことだと思う人もいるかも知れませんが、隠し事する事なく胸を張って堂々と生きていける清々しい気持ちは、何物にも変えることはできません。
 本日は、どのようにしたら、自分の子供を責任感のある大人に育てることができるのか?というお話しをしたいと思います。

  こんにちは、Dr.Yです  正義感とは、不正を憎み、正義を尊ぶ気持ちのことであり、自分が正しいと思ったことを通そうとする気持ちのことです。正義感が強い人というのは自分なりの信念を持っているため、自分は良かれと思っている独りよがりの正義感を振りかざします。時には他人を傷つけてしまうこともあり、正義感は幸せな生き方とは言えません。コロナ禍に於ける自粛警察や誹謗中傷も、心ない正義感により引き起こされているのです。
  それに対し、責任感とは、自分の言葉や行動に対して責任を持つような言行一致する生き方を指します。自分の口から出た言葉をしっかりと記憶し、それに矛盾しないような行動を取ろうとします。多くの人たちから信頼され、自分を含めたみんなの幸せの為に行動するため、多くの人たちから慕われる幸せな生き方と言えます。
  親が子供に対してして差し上げることは沢山ありますが、子供が成人するまでに、良い考え方や習慣を身につけることができたとしたら、それは子供への最高のプレゼントとなります。 その中には、好奇心(面白がる心)、感謝の気持ち(ありがたいと思う気持ち)、責任感(自分の言葉に責任を持つ)などがありますが、この中で親の役割が最も重要なのが責任感なのです。
  それではどのようにしたら、子供に責任感が育まれるように、導いて差し上げられるのでしょうか?  勿論、親が子供の目の前で責任感溢れる行動をとって見本を見せることも大切ですが、親の後ろ姿を一瞬見たとしてもそれが責任ある行動なのかどうかを理解することはできません。行動をストーリーとして眺めない限り、責任がある行動なのかどうか?ということは判断できないからです。
 子供に責任感を育むベストな方法は、責任感とは何かという事を、常日頃から子供に話して聴かせることです。「自分の言葉に責任を持つようにしましょう。自分の口から出た言葉はしっかりと覚えておいて、それに矛盾しない行動をとることで、周りの人たちから信頼されます」 
〈おばつぶやき〉
そうだね。まずは教えてあげることだね。
言ったことはやるんだよと。


 この教訓を機会あるごとに話して聴かせるだけで良いのです。 人間という生き物は、以前に自分が取った行動と矛盾しないような行動を取る傾向かあり、心理学の世界では「合理化」と呼んでいます。  一度責任のある行動を取ると、その後は責任ある行動を取り続ける傾向があり、逆に一度無責任な行動を取ってしまうと、その後は無責任な行動を取り続ける傾向があるので、最初が肝心ということになります。
 学校で皆んなが集まって役割分担を決めている状況を想定してみて下さい。「これを誰かにお願いしたいのですが、貴方にお願いできますか?」そう尋ねられたとしましょう。自分にはできる自信が無いけれど、立場上できないとはなかなか言いづらいような時に、貴方はどのように返答するでしょうか?
  できそうもないことに対しては、「できません」と答える勇気があるのでしょうか?それとも、できない可能性が高いのに「できます」と適当に答えてしまうのでしょうか?できることは「できる」と答え、できないことは「できない」と正直に答えるのか?それとも、「はい、できます」と適当に答えておいて、後から上手くはぐらかす生き方をするのか?運命の分かれ道になります。
〈おばつぶやき〉
あぁ、これこれ。これが責任の量と範囲を話合うってことです。
小さいときから「できないときはできないというんだよ」と教えてあげればいいんだね。
なんかできないと言っちゃいけないような気になってる人もいるもんね。
ムリに引き受けなきゃいけないよな。
過重労働が問題になるけれど、こういうのもみんなの意識が作り出している部分もあると思うんだ。DS支配者の仕業もあるけれど。両者の綱引きでこういう社会問題もできてしまうからな。

  幼少期に「どうしよう?」そう迷った時に、「自分の言葉に責任を持て」という親からの言葉が脳裏をよぎることで、勇気ある責任感のある第一歩を歩むことができるのです。
  人生とは岐路の連続です。正直に責任ある返答をする人として生きるのか?適当に答えて上手くはぐらかす無責任な返答をする人として生きるのか?それでその人の人生が決まります。
  責任感のある人は、周りの人たちを守らなければならないという精神的な重圧を感じつつ、強く逞しく生きていかなければなりません。それに対して無責任な人は、適当にやって上手く行かなければ適当にはぐらかすという、気楽な人生を送ることになります。


 人生の目的が、様々な体験を通して、自らの人間性を高めるということであれば、責任感を持ち続けて、襟を正し胸を張って正々堂々と生きていくべきだと思います。  責任ある行動をする人は、努力することで実行可能なことに対しては「できます」と答え、努力しても実行不可能なことに対しては「できません」と答える勇気が必要です。
また、知ったかぶりをせずに、知らないことに対しては「知らない」と答える勇気も必要となります。 子供が成人するまでに、良い考え方や習慣を身につけることができたとしたら、それは子供への最高のプレゼントです。  本日は、どのようにしたら、自分の子供を責任感のある人に育てることができるのか?というお話しをしました。 また、皆さまのお役に立てるようなお話しをしたいと思います。 Dr.Yでした。

〈おばつぶやき〉
そういうことだ。言ったことはやるのは基本だけど、自分で決めていいんだ。
できないときはできないと言っていいんだ。
おばさんなんかは厚かましいから、ちょっとかったるいことは「できませーん」と言ってしまう。
冒頭の情報発信の話もおんなじだ。絶対真実を言わなければならないなんてスタンスでやることを選択しなきゃいいんだ。
支配層が隠している情報を知ることなんてムリなんだから。
あれこれ想像推測して遊んでまーす、こんなタレコミ見つけたよ、ほんとかどうか分かんないけど、って感じで楽しくやっているうちに、あいつらは滅びるとおばさん思ってるよ。

そしたらさ、今まで「責任」なんて言葉、辞書になかったあいつらが責任を問われるわけだ。
で、パージされるわけだ。
そしたら、我々が自由に自分の責任を決めるということが、ものすごくやりやすくなるはずだ。

未来には責任をはぐらかしてのらりくらり生きるヤツなんていなくなるかもな。
だって適切に責任を果たすことは気持ちいいからな。喜びだからな。

その前に、すこしずつ、自分が楽に責任の量と範囲を決めるということをみんなが学ぶことになるかもしれないな。

Dr.Yさーん、みんなに教えてあげてください♡
おばさんも微力ですがお手伝いしまーす♡



あいつらに関しましては、「あいつら(裏側から見る社会のシステム)」のブログ記事一覧-丸顔おばさんのブログ、古い順をクリックのうえ、初期の記事よりご覧ください。

新型コロナウイルスの院内感染防止に成功した漢方薬、荊芥連翹湯(けいがいれんぎょうとう)を広めております。先生の論文も出ております



「就任式はポップコーンでも食べながら」はそういう意味だったかー!/マイナスをプラスに反転できるの。カンタンに♡おばさん~行為に気持ちを込めて生きる:ポジチブな念を込める方法☆Dr.Yさん

2021-01-25 10:51:42 | Dr.Yさんの心のお話

今、自分のブログを見たら、だいぶ前に書いたこの記事↓
これが上位に来ている。
もしかして、読者のどなたかがクリックしまくって、これを上位にあげてくれたのか?
「バイデン、大統領に就任しちゃったけど、ヤバいヤツやでー!」とみんなに教えるためにwww
おばさんのブログはそんな楽しい現象がよく起きるんだ。
正義と愛にあふれたやさしい方がたくさん見てくださってうれしい。
直接お会いできないけれど、こんなふうに毎日たくさんの人とお話できるわけだ♪


おばさんは、最近、いろんなことが、いい意味でどうでもよくなってしまった。
平和にいたもん勝ちなんだと悟った。
ネット上は、今、なかなか激しい。
主要メディア報道も言論人の発信も、良心から発している人も、工作員も。
ウソと洗脳でNWOに持って行きたいヤツラVSそれを批判し阻止したい人たち
さりげなくプロパガンダ混ぜる工作員、あからさまな工作員、それを応援、アシストする工作員、それを信じこむ人たち、見破ろうとしてるけど、ちょっと騙されてる人たち。。。
ごちゃまぜだ。

こんなふうにいろんなレベルからの発信であふれている。

人は人の事情で生きている。

年末年始頃が一番、激しかったように思う。1月6日の合同会議を意識して、明らかにDSから指示が出ていたな。このころの自分のブログを見ると、工作員関連の発信が多かった。このブログはすっかり「あいつら日記」になってしまったな。
あいつらがいつ、どんなことをしたか、自分のブログを見返すと書いてあるw
また20日の就任式前も激しかった。いろんな攪乱情報が出回り、本当のリークと思われることも中にはあり、わたしのブログにもわかりやすい妨害コメントが来たりしていた。

今、大統領就任式が終わり、あれは事前収録されたものだと証拠をあげている人がたくさんいて、これから先どうなるかまだ分からないけど、とりあえず一段落した。
工作員たちも今、様子見している感じで、ちょっと落ち着いているような気がする。

攪乱情報やプロパガンダを出すにもいろいろ考えなくてはならないからなw
情報がなく大きなイベントもない今は、少し静かだ。

こんなふうに政治状況とネット上の工作員の妨害洗脳の状況はじつに緊密に連携している。

でも、いちいち気にしなくても大丈夫なんだなぁと思った。
不快なだけで、放置しといても大丈夫だ。なぜなら・・・

就任式 ending
こちらの動画で就任式の映像を分析してくださっている。
途中出てくる字幕などにもいろいろとメッセージが込められているような・・・
最後、「White Cherry Entertainment」と出るんだけど、そこを調べると、「Kennedy Center」と書いてあったそうだ。1999年夏と書いてある。

あれ?やっぱ、もしかして・・・。


本文の一部を転載
ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ・ジュニア(1960年11月25日– 1999年7月16日)は、しばしばジョン・ジョンまたはJFKジュニアと呼ばれ、アメリカの弁護士、ジャーナリスト、雑誌出版社でした。彼はアメリカ合衆国の 第35代大統領ジョンF.ケネディとファーストレディ ジャクリーンケネディの息子であり、キャロラインケネディの弟でした。父親が暗殺されてから3日後、3歳の誕生日の葬列で最後の敬礼をしました。
ホワイトハウスでの幼少時代から、ケネディは多くのメディアの精査の対象となり、後にマンハッタンで人気のある社会人になりました。弁護士としての訓練を受けた彼は、ニューヨーク市の地方検事補としてほぼ4年間働いていました。1995年に、彼はそれを公表するために彼の政治的および有名人の地位を使用して、ジョージ誌を立ち上げました。彼は1999年に38歳で飛行機墜落事故で亡くなりました。

ケネディジュニアが飛行機事故で亡くなったのは1999年7月16日 。
やっぱ、あなた様が、仕組んでいる?
バイデンに演じさせている・・・?


いっぱい出てきてるなーw


それで思い出したんだけど、トランプさんってケネディジュニアと幼馴染だったよね?子どもの時から仲良しだったと聞いている。

ということは、ケネディ元大統領が暗殺されて、憎しみと悲しみにくれているケネディ一家の方たちと気持ちを共にしてきたわけだ。
ケネディジュニアは飛行機事故で亡くなっているんだけど、生存説がささやかれている。なんか、トランプさんの演説に応援に来てるとか。いやそっくりさんだろ、とかいろいろ言われている。
いずれにしても、トランプさんを打倒「あいつら」に突き動かしているのは、ケネディジュニアとの友情にあるんだろうとおばさんは思っている。

やっぱこの就任式の映像も、さりげないリーク、隠しメッセージではないか?w
生放送といいながら、ザツな編集映像。。。わざとじゃないの?
みんなにそれとなく知らせるための!!
たしか「家でポップコーンでも食べながらテレビで見てください」ってリンウッド弁護士がいってたけど、、


映画だもんね?バイデン主演のw創作。エンターテイメントじゃん。
作ったのはケネディジュニアさんたち。

あー!ポップコーンでも食べながらって、そーゆー意味なんじゃないの?!www

こんなふうにすべてはうまくなされている♪
もう主導権は「あいつら」にはない♪


だから世の中悪が激しく、許しがたいことが行われているように見えるけれど、見た目どおりとは限らない。

これは事情を知ってる内部者がリークしてるかもしれないぞ。
習近平を暗に示唆する内容の漢詩と毛沢東の死に顔写真などで、なにかをこっそり暗示しているかのような書き込みがここのところ多数見られるそうだ。
数日前に習近平が公の場に姿を現したのだけど、CCTV(中国のNHKみたいな感じ)で報道しなかったのだそうだ。ネット記事に写真が載っただけ。
私は大紀元動画で彼の映像を少し見た。マスクをしていた。これまでヤツはあまりマスクをして登場していなかったらしい。今回感染拡大防止を理由にマスクをして登場。
私はこれ、影武者かな?と思った。顔を隠すためにマスクをしていたのではないか?影武者とバレるのを恐れて、テレビでは映像を出さなかったのではないだろうか。
じゃあ本物は・・・?!
脳動脈瘤の手術をしたらしいからな。予後がよろしくないか、あるいは・・・。
脳の手術をしたならば坊主頭になってるはずでは?と書き込んでいる人もいた。
VIPだからな。かつらとか、剃髪しないで手術する方法とかあるのかもしれないけど。
手術以来、ずっと行方不明だったことも、あやしい・・・。

いずれにしても、悪の主役たちは現在、もう取り繕うことに一生懸命のようだ。
ということは、もう滅びているも同然だwそれを隠すのに今必死ということだw
しばらくは隠すだろうけど、こんなの長くは続けられない。
状況が整ったら(主要DSメンバーの逮捕完了後?)、発表されるのではないか?

だから、あいつらの悪事などの言うべきは言って、あとは平和にいれば、もう自動的に勝つ。
むしろ闘いすぎると、エネルギーが枯渇して自滅してしまうんだ。
戦ってると、あいつらにも利用されやすいし。
だから平和に主張するってのが理想なんだ。
どうしても汚いヤツのしている汚いことを話すと、マイナスエネルギーにやられがちなんだけどね。それでも言った後、のほほんとした自分に戻ることが大切だ。

大切なのは自分を満たすことだ。自分を愛することだ。
人にしてあげなくちゃと思う必要はないんだ。
なぜなら、自分が愛で満たされると、人にもやってあげたくなるの。自然に。

もともとそういうふうに私たちはできているんだ。だから、みんなのために、ひとのために、と無理にやる必要はない。人のためにしてあげるのがしんどいときは、自分への愛が足りていないということだ。

しんどいときに無理に相手のためにしてあげている状態は、自分を犠牲にしている状態だ。自分を支配している。人は自分に対する態度と人に対する態度が同じなんだ。
だから自分を犠牲にして支配していると、人のことも支配しちゃうの。
(我慢して自分を犠牲にしてもムダであったというお話↓

とくに自分より弱いもの。子ども。部下。後輩。
引きこもりの原因は、親の支配にある。親が自分を犠牲にするのをやめることで、いい方向に転換することが可能だ。
(親子関係の視点からのお話↓
こういった事情で、親に支配されて傷ついてきたこどもが、今のアメリカで、昔の中国で、文化大革命の状況下で親を告発するように、あいつらに仕向けられた。
傷ついた心はつねに仕返しの機会を待っている。無意識に。
あいつらそこにつけこんで、自分の敵を倒すのに傷ついた子どもたちを扇動し利用した。これが文化大革命だ。今のアメリカのトランプ支持者への迫害だ↓。(親たちを支配し、家庭で子どもを支配するよう仕向けたのもあいつらだ)

人間の行動パターンはどこでもだいたい同じだ。
職場や社会で人をいじめている人、支配している人は、家庭もだいたい同じ状況で悲惨であったりする。そして自分自身のことももいじめている。否定的に自分のことも見ている。だからその人はけっして幸せではない。いじわるの世界の中で生きている。でも自分自身がそのように創造しているだけだ。
それがその人のパターンなわけだ。
そしてそんなパターンは、その人の親との関係性が元になっている。
つまり、その人もまた親から支配されて育ったということだ。
こうやって先祖代々似たようなパターンが繰り返されていたりする。
でもこれも変えることが可能だ。
自分の感情を感じてあげることをマメにやってあげることで
そうするとあんまり問題が起きなくなる。安心して暮らせる。
自分が癒されると、自分の現実が変わる。
またそれは、そういうふうにできなかった自分の先祖や親を癒すことにもなるわけだ。
そして子孫にマイナスパターンが引き継がれることがストップされるわけだ。
自分が癒されるだけで。支配のやり方だったことに気づくだけで。
こうやってマイナスをプラスにひとつずつ書き換えることができるんだ。

話を元に戻すと、ムリして人のためにしてあげようと思わなくていいということだ。
自分が愛で満たされると、人にもやってあげたくなるからさ。自然に。
それにはまず、自分がリラックスして、休むことを大切にすることだ。
休むことにも罪悪感があったりする。疲れたら休むということも練習が必要だったりする。「~なければならない」という思いが強い人は。これも思い込みかもしれないよ?
楽を選択していいのだよ。
その状態でないと、自分の感情と向き合うこともできないからな。
これが「休む」ことの意義だ。休んだり、だらだらすることも、じつは深いんだ。

どうしてもまだまだ人類はお金に支配されているからな。
でも、もうすぐお金の仕組みなども変わってしまうのではないかと思うんだ。
しばらくは少し混乱するかもしれないけど、あいつらが滅びるならば、我々は解放される。
その直前の今、ちょっとずつ練習だ。

私もやっと、Dr.Yさんの配信してくださった心のお話の動画を、じっくり見させていただく心境になった。ここ最近、激しかったからさ。世の中の動きが。
ここらで、少し、リラックスしようではないか。


行為に気持ちを込めて生きる:ポジチブな念を込める方法
動画説明欄より転載させていただきました***********

地球上の人間でポジティブな念を入れながら生きている人はほんのひと握りしかいません。むしろ、ネガチブな念を込めて生きている人は大勢います。怒りや憎しみなどの感情を持って行動する人間が大勢いるため、地球上では争い事は絶えせん。
まさに、五寸釘に藁人形、敵討ちなどを画策する人間の脳裏には、「呪い殺してやりたい」という、極めて強力なネガチブな念が入っていると思います。
  それに比して、「この人を幸せにしたい」「これを食べて幸せになって欲しい」などのポジティブな念は極めて微々たるものに過ぎません。
 復讐を企てる人の憎しみと同じくらいの強い念を持って、周りの人たちの幸せを願い、愛に満ちた行動をすることができたとしたら、地球から争いは無くなると思います。
〈おばつぶやき〉
自分の中に傷つけられたという怒り、恨み、悲しみがある限り、無意識に仕返ししてしまうという悲しい性が人間にはあるんだ。
その感情を押し殺してみんな生きているんだ。
でも逆なの。押し殺さなくていいの。向き合って、よく見て感じてあげることなの。
勇気を出してやってみると、けっこう大大丈夫なの。すごい恨みでも。押し殺すから大変なことになるの。
心の目を自分の内側に向けて。そしてよーく感じてあげることなの。恨み、憎しみ、悲しみを。
最初は例えば、理不尽な上司や友人に対する感情であるかもしれないんだけど、それを繰り返しやっていると、親への感情が出てきたりするんだ。親子関係が、自分の人間関係のひな形になっていたりするの。
これが進んで癒されると、もう怒りや憎しみから行動することなんて自然になくなっちゃうの。

さて、「念を入れる」即ち、「気持ちを込める」とはいったいどのようなことなのでしょうか? 多くの人たちが、「無意識のうちに念を入ていた」と思われる事例を2つ紹介します。
  貴方が蜂蜜の入った瓶の蓋を開けようとして必死で蓋を回している状況をイメージしてください。滑り止めの輪ゴムを巻きつけて必死に開けようとしています。その時の貴方の心の中には「何とか開いてください」そういう念が込められているはずです。
  貴方が深夜に帰宅して玄関のドアを開けようと思い、バックの中から鍵を出そうと探すも見当たらないという状況をイメージしてみてください。仕方無く鍵の110番を呼んで開けてもらうことにしました。色々な小道具を持ち出してカチャカチャするも中々開きません。「どうしても駄目な時には、鍵を壊すしかありません」そう言われた貴方の心の中には、「何とか開いて欲しい」そういう念が込められているはずです。
そのような予想外の緊急事態になると、知らず知らずのうちに念じてしまうのが人間なのです。
〈おばつぶやき〉
念か。。。たしかにしらずしらずに念じているかもなぁ。
念ってけっこうすごい力があるよね。
わたしも毎日しつこーくあいつらのこと調べ上げて、こまかーく書くのが趣味だけど、こんなのも念がこもっているよね?w
あいつらが今滅びそうになってるけど、これも最近みんなが気づいちゃって、ふざけんなー!と日々念じているのが、あいつらに勝ったんだと思うんだけど。
あいつらがどんなに悪をやろうとしても、みんなそろって抵抗したらできないんだ。
ケネディジュニアさんとトランプさんだけががんばっても、みんなの力がないと、あいつら退治、ムリだからさ。
彼らは支配層にいるから作戦練って、やってくれるけど、その後の我々の日常は我々が作るのさ。

  何かに念を込める練習として最も適しているのが、「周りの人への手当て」です。側にいる人に座って頂き、その人の後ろに立ってみて下さい。
まず、自分自身で気合いを入れることから始めます。自分の肩の力を抜き下腹に力を入れて、上虚下実の状態に持っていき、心身共に安定させます。
下腹に力を入れてゆっくりと息を吐き、丹田が熱く燃え上がるのを実感し、ゆっくり息を吐くことを繰り返す過程で、丹田から溢れるエネルギーが指先まで流れてくるのを実感します。指圧を受ける人の首と肩先の真ん中くらいにある肩井(けんせい)のツボを探し、両手の親指で肩井のツボを押してみましょう。
自分でゆっくり息を吐きながら体重をかけながら親指の指先でツボを押し、自分が息を吸う時に指先の力を抜きます。息を吐きながら気を巡らせてツボを押し、息を吸う時に力を抜きます。 息を吐きながら指圧をする時に、心の中で念じてみましょう。
もしも肩が凝っていて凝りをほぐすのであれば、「良くなる良くなる」と心の中で唱えましょう。もしも身体が疲れていて元気を与えるのであれば、「元気になる元気になる」と心の中で唱えてみましょう。息を吐きながら力を加えて指圧をすると同時に念を入れてみましょう。「良くなる良くなる」或いは「元気になる元気になる」そして息を吸う時にゆっくりと力を抜きます。自分の下腹に力を強く入れれば入れるほど、丹田が燃え上がり、指先から強く念が入っていくことをイメージしてください。他人を元気にしようと手当てをすることで、自分自身も元気になることに気付くことができると思います。
〈おばつぶやき〉
あー、なんかこのくだりを聞いていましたら、おばさん、Dr.Yさんの癒しエネルギー感じて、肩凝り治った感じになりましたー。先生すごーい。
先生は動画で人を癒すことができるんですね。きっと癒しの念をこめて動画を作ってくださったのですね。
やっぱり丹田が燃えあがるイメージっていうのがポイントみたいだ。
先生は以前にも丹田のことをお話してくださっていた。
この応用バージョンだね!

でもおばさん、なかなかうまくできないの。気合いが入ってるときは、たしかに丹田にも気合いが入っている気がする。でもふだん無意識のときはできてない気がする。
先生は達人だからつねに丹田に気合いが入っているんだろうな。

  念を入れるとはどのようなことなのか?ということが理解できましたら、今度は日常の様々な行為をする時に、心を込めて念を入れる練習をしてみましょう。
 ●料理を作る時には、この料理を食べた人が、元気になり、健康で長生きできることを念じて作りましょう。食材を刻む時にも、炒めたり煮たりする時にも、「元気になぁれ!」「笑顔になぁれ!」「幸せになぁれ!」心の中でそう唱えて見て下さい。念を入れることで、愛情が込められるだけでなく、気合いが入って自分自身も元気になれると思います。
 ●贈り物を贈る時には、「この品物を使って頑張って欲しい」「笑顔で元気になって欲しい」「幸せになって欲しい」そんな念を込めて品物を選択しましょう。もしも宅急便で贈るのであれば、宅急便の伝票を書く時にも、念を込めましょう。
直接手渡しする時にも、「心ばかりの品ではございますが、どうぞお納めください。」そう伝えながら、渡した時に一瞬目を瞑って念じてみて下さい。
 ●手紙を書く時にも、「この手紙を読んで、笑顔で元気になって欲しい」「幸せになって欲しい」そう念じながら書き、封をする時に一瞬目を瞑って強く念じてみましょう。
 ●挨拶をする時にも、何も考えずに「おはようございます」「こんにちは」と挨拶をするのでなく、相手を元気にするためにはどのような声をかければ良いのか?ということを瞬時に判断して、「おはよう」「こんにちは」に一言追加して挨拶するように心がけて見ましょう。「おはよう、今日も元気そうですね!」「こんにちは、疲れた顔してますが、体力あるから大丈夫だね!」そして、言葉に念を込めて話すように心がけましょう。
 ●お礼の気持ちを述べる時にも、「ありがとうございました」と会釈する時に、「私の為にわざわざご尽力くださり、お心遣いに感謝します」と念じて感謝の気持ちで目頭が熱くなるのを感じてください。
〈おばつぶやき〉
もしかして、自分のハートを感じるってことか?
ちゃっちゃと流れ作業でやるのではなくて、いつも自分の感情にいて、そこから行為をする。それなら、できそう!
念じるというと、すごく力が入っている感じがするけど、
ハートを感じていれば、自然に思いが入るからな。
例えば、メールを返信するときなども、かちゃかちゃと機械的に返さないで、いったんハートを感じて、そこから言葉をつむぐのが好きだ。
そのほうが心のかようやりとりができる気がして。

  心を込めて何かをする上で、家庭でできる最も手っ取り早い行為が、指圧などの手当てと、料理だと思います。  「どうして私がやらなきゃならないの!」と嫌々やるのでなく、何も考えずに淡々と「役割だからやる」のでもなく、「笑顔で元気になって欲しい」と相手の幸せを願い、気持ちを込めて念を入れながら、何かをして差し上げる習慣が身につくと、家族皆んなが元気になります。
〈おばつぶやき〉
理想はそうなんだけどねぇ。おばさんは未熟な人間なんで手抜きばっかりしてます。
365日やんなきゃなんないことは、つねにポジティブな気持ちでやるのはムリなんだよなぁ。
食事も家族の分は作るけど、私自身が少食だから、「食べることに手間暇やお金かけすぎるから体悪くするんじゃないのー?、でも作ってやらないとへそ曲げるからな」と思いながらしょうがなく作ってることもある。
めんどうなときや疲れてるときは、ムリせず作るのやめて、簡単にすませたり、食べないで寝ちゃうの。
それで、たまにおいしいものを作ろうと思ったときは、食材を五感で感じながら作るの。そんなときは自然に、家族はこういう味が好みだろうなぁと相手を思うことをしている気がする。こんなときはいい念が入ってるかもな。

365日気合い入れるより、自然な気分にしたがってバランスとってるおばさんなんだけど、こういうの、Dr.Yさんはどう思われるんだろう?先生はいつもびしっとされてるから、もうちょっと気合いを入れなさいと思われるかな?

なんか、おばさん最近、自分は野生動物のようだと思うことがある。

やりたくないことはしない。したいときはする。いいたいことは言う。付き合いたくない相手とは付き合わない(支配者キライなの)。
オリ(あいつらの支配)に入れられると出せ!と騒ぐ(このブログね)。。。
食べたくないときは食べない。食べたいときは食べる。寝たいときに寝る。
しゃべりたくないときはしゃべんない。
不自然なこと仕掛けてくるヤツ(工作員、マスコミ、テレビ、支配者など)がキライ。
自分のなかで欲求が湧いたときは、なにかをモーレツにやったりする。
それでもハート中心に感じていると、するべきこと、ヤバいこと、ヤバい人、よい人、言うべきこと、言うべきタイミング、ぜんぶだいたい正確な気がするの。


  人間の怒りや憎しみの念というものは、とてもパワフルであり、衝動的に多くの人や物を破壊します。人類の歴史が争いの歴史であったという事実が、それを物語っています。腹が煮えくりかえるほどの、その強大なネガチブのパワーを180度ひっくり返して、胸が焼け焦げるほどの、強大なポジティブなパワーを持ちながら、周りの人の幸せを願って行動することができたとしたら、どんなに素晴らしいことでしょうか?「この恨み、晴らさでおくべきか」というように、「自分の命を捨ててでも復讐をしたい」と同じくらいに強い念を持ちながら、「自分の命を捨ててでも、周りの人たちを幸せにしたい」そういう思いを持つことができたとしたら、地球上は笑顔で溢れると思います。
〈おばつぶやき〉
あぁ。そうだ。ひっくり返すことができるわけだ。
ネガティブからポジティブに。
それにはやっぱ、反対のことを言うようだけど、まずは「人のために無理してしてあげようとするのをいったんやめる」ことだ。

大切なのはまずは自分を愛で満たすことだ。自分を愛することだ。
人にしてあげなくちゃと思う必要はないんだ。
なぜなら、自分が愛で満たされると、人にもやってあげたくなるの。自然に。
もともとそういうふうに私たちはできているんだ。

これでネガティブからポジティブにひっくり返すことができる!

リラックスして、自分の感情を感じてあげてください。ポジティブもネガティブも。そうするとずっと心にあった苦しい感情も循環を始めて、軽くなっていき、やがて消えてしまったりするんだ。
そして他人の領域を守る、自分の領域を守ることをマスターすると、もうトラブルもなくなっていくから安心していられるんだ。人とも心のかよう関係が築けるようになるから、自分も相手も幸せなんだ。
愛とは生ぬるく、穏やかな感じだ。場合によってはあっても気づかないくらい軽く、さりげないものだ。

こんな状態になっていると、自然に相手にやってあげたくなっている。
気づくとこっちの気持ちよさに自分がはまっている。
これが愛の循環だ。相手も気持ちがいいだろう。
ムリしてやってもらったてうれしくないからな。
自己犠牲で自分に過干渉してくる親に対して、こどもはそう思っているはずだ。


  行為に対してポジティブな心を込める生き方が、家庭内で実践され、それが社会に広がることで、幸せの輪が世界に広がることを願っています。 本日は、気持ちを込めて何かをして差し上げる、即ち行為に念を込めるとはどのようなことなのか?ということについてお話しました。  また、皆様のお役に立てるようなお話しをしたいと思います。  Dr.Yでした。


先生、今日もすてきなお話ありがとうございました♡



新型コロナウイルスの院内感染防止に成功した漢方薬、荊芥連翹湯(けいがいれんぎょうとう)を広めております。Dr.Yさんの論文も出ております

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