自民党の改憲の問題は、緊急事態条項だけじゃないんだわ。
おばさんの調べによると、全体的に問題がいっぱい、ワナがちりばめられているといわざるをえない。
たぶんこのさき憲法審査会をやっていって、この草案をちょこちょこ手直しして、原案を決めてから発議しようとしているのだろうけど、
やつらのやりたいことをこの草案を通して、ポイントを把握しておく必要があると思う。
そして原案を出してきたら、実際にどの程度ワナを仕込んできたか、国民投票までに見破らなければならないわけだ。
(発議を止めるのが一番だけどな!)
改憲の中身と、変えたら現実に私たちはどうなるのか?社会はどう変わるのか?って話をしないと意味が無いと思うの。
戦争が起きて外国が危ないから早く憲法変えろ、とかの気分だけの話じゃなにも見えてこず、あいつらのワナにはまってしまう。
まずは改憲草案の前文↓に、あいつらのやりたいことが凝縮されていると思った。
前 文 )
日 本 国 は 、 長 い 歴 史 と 固 有 の 文 化 を 持 ち 、 国 民 統 合 の 象 徴 で あ る 天 皇 を 戴 (い た だ )く 国 家 で あ っ て 、 国 民 主 権 の 下 、 立 法 、 行 政 及 び 司 法 の 三 権 分 立 に 基 づ い て 統 治 さ れ る 。
我 が 国 は 、 先 の 大 戦 に よ る 荒 廃 や 幾 多 の 大 災 害 を 乗 り 越 え て 発 展 し 、 今 や 国 際 社 会 に お い て 重 要 な 地 位 を 占 め て お り 、 平 和 主 義 の 下 、 諸 外 国 と の 友 好 関 係 を 増 進 し 、 世 界 の 平 和 と 繁 栄 に 貢 献 す る 。
日 本 国 民 は 、 国 と 郷 土 を 誇 り と 気 概 を 持 っ て 自 ら 守 り 、 基 本 的 人 権 を 尊 重 す る と と も に 、 和 を 尊 び 、 家 族 や 社 会 全 体 が 互 い に 助 け 合 っ て 国 家 を 形 成 す る 。
我 々 は 、 自 由 と 規 律 を 重 ん じ 、 美 し い 国 土 と 自 然 環 境 を 守 り つ つ 、 教 育 や 科 学 技 術 を 振 興 し 、 活 力 あ る 経 済 活 動 を 通 じ て 国 を 成 長 さ せ る 。
日 本 国 民 は 、 良 き 伝 統 と 我 々 の 国 家 を 末 永 く 子 孫 に 継 承 す る た め 、 こ こ に 、 こ の 憲 法 を 制 定 す る 。
『赤ペンチェック 自民党憲法改正草案』伊藤真 著 p23~26を参考に、
自民党憲法改正草案の前文の問題点を箇条書きにしてみた。青、おばさんつぶやき。
1、天皇の権威を強化して、国民主権を後退させている
「天 皇 を 戴 (い た だ )く」って入れちゃってるもんね。
天皇がトップ?国民はその下?これは、国民主権の後退だって。
2、歴史・文化・伝統などを入れている。このような、人それぞれ考え方、価値感が違うものを憲法に書くと、特定の価値感を押し付け、ちがう価値観を排除することにつながる=人権侵害につながる
「長 い 歴 史 と 固 有 の 文 化 を 持 ち 、」って書いている。
これ自体はとてもすばらしいことのように見えるんだけど、憲法に書くとこういうことになってしまうので、憲法にはそぐわないって。
3、国民よりも国家を尊重し、国民主権を後退させている。
主語を「日本国民」(現行)から→「日本国」「わが国」(改正草案)と、変えてしまっている。国民よりも国家が優先となり、やっぱり国民主権は後退。
4、さきの大戦について、被害者の立場としてのみ書いている。加害者の立場であった部分にはふれないで、「今や国際社会において重要な地位を占めて」と書いている。
外国人はこれを見て、なにを思うのだろう。
私は昔、さきの戦争について外国人に質問されて答えに困ったことがある。
こんなふうに憲法に書いてしまって、これについて外国人に質問されたら、よけいに答えに困るだろうな。
5、「国防義務」を抽象化しながら義務化している。これは立憲主義とも9条の平和主義とも相いれない。人権よりも義務の拡大。
「日 本 国 民 は 、 国 と 郷 土 を 誇 り と 気 概 を 持 っ て 自 ら 守 り 」の部分だね。
ここは国防義務。徴兵制を認める解釈に使われる可能性のある部分です。
ほかの条文とともに別の記事に、あとでまとめて書きたいと思います。
6、和、家族のあり方、社会の助け合い、これもひとそれぞれ価値観が異なる道徳的な問題だ。道徳の教科書ならいいけれど、これを憲法に書きこむと、特定の価値感を押し付け、ちがう価値観を排除することにつながる=人権が侵害される恐れ
「和 を 尊 び 、 家 族 や 社 会 全 体 が 互 い に 助 け 合 っ て 国 家 を 形 成 す る」
これも歴史や文化と同じ理由で、憲法にはそぐわない。
というか、憲法に書くと危険で大問題だそうだ。具体的にどうなるか、後述します。
7、基本的人権の尊重を、国でなく、国民に求めている。憲法は、国家権力に歯止めをかけ、国民の人権を保障するものという立憲主義に反している。
「日 本 国 民 は 、~ 基 本 的 人 権 を 尊 重 す る と と も に 」
憲法は、権力者に守らせることを第一に書かなくてはならない。
権力者に国民の人権を守らせ、権力の暴走を防ぐのが憲法の役割だ。
これが立憲主義で、近代の憲法の大原則だ。
なのに、権力者ではなく国民に人権を守れと書いている。
国民の人権軽視で国民の義務を強化。
逆に、権力には甘く、権力暴走の歯止めがない。
これが自民党改憲草案全体の特徴だ。
今現在の憲法の前文は、こうなっている↓
現行憲法
前 文 )
日 本 国 民 は 、 正 当 に 選 挙 さ れ た 国 会 に お け る 代 表 者 を 通 じ て 行 動 し 、 わ れ ら と わ れ ら の 子 孫 の た め に 、 諸 国 民 と の 協 和 に よ る 成 果 と 、 わ が 国 全 土 に わ た つ て 自 由 の も た ら す 恵 沢 を 確 保 し 、 政 府 の 行 為 に よ つ て 再 び 戦 争 の 惨 禍 が 起 る こ と の な い や う に す る こ と を 決 意 し 、 こ こ に 主 権 が 国 民 に 存 す る こ と を 宣 言 し 、 こ の 憲 法 を 確 定 す る 。
そ も そ も 国 政 は 、 国 民 の 厳 粛 な 信 託 に よ る も の で あ つ て 、 そ の 権 威 は 国 民 に 由 来 し 、 そ の 権 力 は 国 民 の 代 表 者 が こ れ を 行 使 し 、 そ の 福 利 は 国 民 が こ れ を 享 受 す る 。 こ れ は 人 類 普 遍 の 原 理 で あ り 、 こ の 憲 法 は 、 か か る 原 理 に 基 く も の で あ る 。 わ れ ら は 、 こ れ に 反 す る 一 切 の 憲 法 、 法 令 及 び 詔 勅 を 排 除 す る 。
日 本 国 民 は 、 恒 久 の 平 和 を 念 願 し 、 人 間 相 互 の 関 係 を 支 配 す る 崇 高 な 理 想 を 深 く 自 覚 す る の で あ つ て 、 平 和 を 愛 す る 諸 国 民 の 公 正 と 信 義 に 信 頼 し て 、 わ れ ら の 安 全 と 生 存 を 保 持 し よ う と 決 意 し た 。 わ れ ら は 、 平 和 を 維 持 し 、 専 制 と 隷 従 、 圧 迫 と 偏 狭 を 地 上 か ら 永 遠 に 除 去 し よ う と 努 め て ゐ る 国 際 社 会 に お い て 、 名 誉 あ る 地 位 を 占 め た い と 思 ふ 。 わ れ ら は 、 全 世 界 の 国 民 が 、 ひ と し く 恐 怖 と 欠 乏 か ら 免 か れ 、 平 和 の う ち に 生 存 す る 権 利 を 有 す る こ と を 確 認 す る 。
わ れ ら は 、 い づ れ の 国 家 も 、 自 国 の こ と の み に 専 念 し て 他 国 を 無 視 し て は な ら な い の で あ つ て 、 政 治 道 徳 の 法 則 は 、 普 遍 的 な も の で あ り 、 こ の 法 則 に 従 ふ こ と は 、 自 国 の 主 権 を 維 持 し 、 他 国 と 対 等 関 係 に 立 た う と す る 各 国 の 責 務 で あ る と 信 ず る 。
日 本 国 民 は 、 国 家 の 名 誉 に か け 、 全 力 を あ げ て こ の 崇 高 な 理 想 と 目 的 を 達 成 す る こ と を 誓 ふ 。
問題点のつづき↓
8、「平 和 を 愛 す る 諸 国 民 の 公 正 と 信 義 に 信 頼 し て 、 わ れ ら の 安 全 と 生 存 を 保 持 し よ う と 決 意 し た」というのは平和主義の理念を示したもので、平和構想を提起したり、紛争緩和の提言を行ったりして武力以外の方法で平和への積極的努力をすることをも含んでいる。
ここってそういう意味だったんだ。
この部分をあべちゃんがテレビ番組で、けちょんけちょんに言ってたっけ。
(あべちゃんのお言葉より)
これはまさに他力本願なんですよ。
人に任せよう、この精神は私は間違っていると思うんですね。
この部分は他力本願とかではなく、「平和主義の理念」を表しているんだってさ。
あべちゃんは平和主義の理念はお嫌いのようだ。そうだろうな。この憲法が嫌いなんだもんな。
押し付け憲法というのも、ウソだし。
戦後、当時の日本政府はGHQに命じられて憲法改正の検討をしたんだけど、そこでまとめられたものはポツダム宣言に沿ったものとはいえず、天皇主権が残ったままの、明治憲法の一部修正だったんだって。
それで、マッカーサーはGHQ内で新しい日本国憲法の草案を作成し日本側に提示したんだって。その際、日本国内の研究者の間でもいろんな案が作られていて、ちゃんとそういうのを参考に作ったってさ。中でも鈴木安蔵氏が中心になってつくった「憲法草案要綱」が大きな影響を与えたと言われている。
上記伊藤真氏の著書p.122より
GHQの草案をそっくりそのまま受け入れたわけではなく、生存権条項の追加や、国会を二院制にする(GHQ案では一院制だった)など、日本側の政府・国会での審議・修正・議決がなされ、その上で国民に示され、圧倒的な支持をもって受け入れられました。ですから、単に一方的に押し付けられただけではなく、きちんと日本側が関与したものであるということは、憲法を研究する専門家では常識となっています。
常識だって。
あいつらは専門家の言うことをいっさい聞かないって、専門家が証言しているからなw
天皇主権のまま、明治憲法を修正したものしか作れなかった当時の日本政府。。。
その子孫たちが「今の憲法は押し付け憲法だ」と言って、今また、天皇の権限を強化し、国民の人権を軽視した憲法に変えようとしている。懲りないヤツら。
私はあべちゃんたちがヤバい草案を発表してくれたおかげで、
こうしてつぶさに現行憲法も見ることになって、今の憲法が好きになったよ。
これよりもいい憲法にするのなら変えてもいいのかもしれないけど、この方たちにはムリであることが明らかだ。
平和主義や基本的人権に根差した国防や備えって発想は、したくない。
そして緊急事態を口実に人権をストップし、他国といっしょに戦争する内容に変えてしまいたいわけだ。国民の義務を強化して。
平和の反対は戦争。
戦争、人権のない独裁、全体主義にしたいってことだな。
草案は、現行憲法のような平和主義の理念ではないうえに、9条で、集団的自衛権を認め、「交戦権の否定」を削除し、国防軍をあんなふうに明記している。 さらに、
9、平和的生存権を削除!
ジャーン!
現行憲法の「わ れ ら は 、 全 世 界 の 国 民 が 、 ひ と し く 恐 怖 と 欠 乏 か ら 免 か れ 、 平 和 の う ち に 生 存 す る 権 利 を 有 す る こ と を 確 認 す る 。 」って部分を削除。
ここ、すごく大事なところじゃん。
ここは、
(本のp.25より引用)
「一人ひとりの個人にも平和を享受する権利がある」という平和的生存権によって導かれる、個人に根差した平和主義を否定しているのです。平和のうちに人間として存在することはもっとも基本的な人権と言えます。これを削除したことは、前文三段の国民の国防義務とも関連があります
平和的生存権を削除して、国防義務を入れた・・・。
ここを削除したら、平和のうちに人間として存在することは、かなわないと覚悟しなければな。。。
しかし、戦争だけではないみたい。
10、経済成長を憲法前文に入れている。これでは国家を成長させるために国民がいるのだという、国家ありきの視点になってしまう。
「我 々 は 、 ~ 活 力 あ る 経 済 活 動 を 通 じ て 国 を 成 長 さ せ る 。」ってとこね。
経済活動を憲法に書いちゃうということは・・・?
『「憲法改正」の真実』樋口陽一・小林節 著 p.55より。赤、こちらで追記。
小林:
なにしろ前文が象徴するように、復古主義的な路線と
新自由主義的な路線とが同居しているというところが不気味です。
だって前文にある「活力ある経済活動」とは、要するに我が国は、金儲けを国是としますよ、ということです。こんなものが「和」とか「家庭」とかと、どういうふうにつじつまが合うのか。
樋口:
効率重視、競争の拡大を進めて、無限の経済成長を目標に置けば、「国と郷土」「和」「家庭」「美しい国土と自然環境」「良き伝統」、この部分は壊れてしまします。片方で日本独特の価値を追及しつつ、他方国境の垣根を取り払い、ヒト・モノ・カネの自由自在な流通を図るグローバル化を推進するというのは、矛盾と言うほかありません。
小林:
この矛盾をどう考えましょう。
樋口:
論理的にはひどく矛盾していますよね。けれども、実はこの二つは表裏一体なのかもしれません。
つまり、「美しい国土」など復古調の美辞麗句は、競争によって破たんしていく日本社会への癒しとして必要とされた、偽装の「復古」なのではないかと思うのです。
小林:
新自由主義によって人々が分断され、安定した社会基盤が壊されていく中で、スローガンとしては愛国だの、家族だの、美しい国土だのを謳いあげて、社会のほころびを隠そうということですね。
もうすでに相当に社会は壊され、あいつらに搾取され、家庭も人間も、ぼろぼろですよ。
憲法に経済成長を書くってことは、これをもっと押し付けられるわけだ。
「これでは国家を成長させるために国民がいるのだという、国家ありきの視点になってしまう。」
こんなの経済奴隷だ。
私のような仕事しないおばさんは非国民か?w
引きこもりの方は?
経済に貢献しないやつは非国民とするつもりか?多様な生き方を認めないのか?
人権は?
そして、すでに日本の家庭はボロボロなのに、さらに憲法に「和」とか「家庭」とかを書いて、この道徳観念をも強要される。
恐ろしいね。両立しえない概念を憲法に明記して強制するとは。
樋口:
そうです。だから、癒しと言っても、表面だけにつける薬です。こんなやり方で新自由主義を国是に掲げ、表面だけの癒しに終始したら、病状はますます悪化するだろうということですね。私はそういうふうに読み取りました。
おばさんからすると、表面的な癒し、にもなっていないけどな。
言葉の響きにだまされて、それで癒しを感じる方もいらっしゃるだろうな。
小林:
「日本は素晴らしい」「日本を取り戻す」という癒しのスローガンの気持ち悪さにも、みんな気づいてきましたよね。だって、TPPでアメリカに日本を売り渡すのですから。
新自由主義なんていうものは、本当にごく一部の人たちだけが儲かるシステムです。
例えば労働市場を自由に、ということで派遣業が儲かれば、あの竹中平蔵氏が会長を務めるパソナなどの利益があがるだけです。労働者にはなんの得もない。
新自由主義のようなバカげた方針を憲法の前文に書き、復古的な美辞麗句でごまかしていたら、この国は滅びますよ。
この本は2016年に出版されたものだけど、その後アメリカだけでなく中国にも売国していくこととなる。
そして病気になって総理をやめ(2回目)、コロナのおかしな政策や、犠牲者多数のワクチン推進等の荒仕事はガースーや岸田さんにやらせ、現在、大切に温存されて、元気いっぱいだ。
改憲したら、また出てくるんだろうな、あべちゃん。
今度は総理大臣じゃなくて天皇だったりして?
また明治維新のときみたいに表天皇とウラ天皇の交替が起きて・・・?
最後に家族や民族、祖国愛を憲法に書くと実際にどうなるかについて↓
『「憲法改正」の真実』樋口陽一 小林節 著 p.134
樋口:
美しく麗しい言葉であっても、法の歴史的文脈のなかに置くと、違った結果が見えてくる。こうした言葉は、それぞれ、ある時代、ある時期に、何かを排除し、何かを押しつけるために使われてきた経緯のある言葉だった歴史があるのです。祖国愛や民族主義を煽る言葉は、偏狭なファシズムを支える道具になってきた。憲法を書き換えるのならば、そういう言葉の重みに対する認識とバランス感覚が必要なのです。
小林:
こういう言葉を憲法に書きこむことが、世界中の、多少でも歴史を知っている人たちに、どういう波紋を広げ、ショックを与えるか、そういうことがまったく考えられていない草案だということは確かでしょうね。
道徳や価値観を憲法に規定して、これを使ってファシズムをやるのが、支配者の常套手段だって。
だからその概念は美しく、理想的で、個人でそうすることは自由でいいけれど、
これを憲法に書くということは、これを理由に権力に縛られるんだということを、国民は知らないと、危ない。
最後に、前文の「和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」ができた経緯を自民党の改憲派のブレインが語っている↓
p.135
▼「愛国」の代わりに強調される「家族」
小林:
この自民党憲法改正草案で突然、強調されることになった「家族」ですが、これはなぜ出てきたのか。この経緯もなかなか危うい部分があるのです。
実は、自民党の第一次草案では、前文に「愛国の責務」というものがありました。
私が引用している、現在議論の的となっているのは平成24年(2012年)発表の第二次草案だ。
その前に第一次草案というのがあった。
〈自民党「新憲法草案」前文より抜粋〉(2005年10月28日公表)
日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し、自由かつ公正で活力ある社会の発展と国民福祉の充実を図り、教育の振興と文化の創造及び地方自治の発展を重視する。
私はこの第一次草案が出された当時、公開シンポジウムで「責務ってなんだ、義務なのか」と自民党の法務族である船田元議員に訊いたのです。そうしたら、「これは義務ではないのです」と彼は言ったんですよ。「国を愛する義務がある、なんてきついことは言ってません、ただの責務ですから」と言う。
じゃあ責務ってなんだよと重ねて尋ねたら、彼は素直な人柄なので、てらいもなく「責任と義務です」と。責任と義務を上下一文字ずつ取ると責務になるんだということでそうね。
樋口:
すると、この「責務」は義務ですね(苦笑)・・・。
最初の草案では、愛国を義務化してたらしい・・・。
小林:
そのとき、船田議員に対して、私と弁護士の伊藤真がガンガン質問をぶつけていたら、その場にいた、自民党の法務族の保岡興治議員がなんと突然、「分かりました」と言ったんです。「『愛国の責務』なんて憲法に入れるべきではないことがよく分かりました」と。そういう事件があったりして、「愛国の責務」は消えたのです。
樋口:
そうでしたか。
小林:
その代わりに出てきたのが、第二次草案の「和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」という文言なんでしょう。
あ~、これでもあいつらとしては、オブラートに包んだつもりかw
(中略)
樋口:
この「家族」という言葉は、自民党草案のなかの、個別の条文にも登場しています。それも、ここまでご説明してきた憲法の基本的な役割を逆転させて、明確に「国民を縛る規定」として書きこまれている。
自民党憲法改正草案
( 家 族 、 婚 姻 等 に 関 す る 基 本 原 則 )
第 二 十 四 条
家 族 は 、 社 会 の 自 然 か つ 基 礎 的 な 単 位 と し て 、 尊 重 さ れ る 。 家 族 は 、 互 い に 助 け 合 わ な け れ ば な ら な い 。
2 婚 姻 は 、 両 性 の 合 意 に 基 づ い て 成 立 し 、 夫 婦 が 同 等 の 権 利 を 有 す る こ と を 基 本 と し て 、 相 互 の 協 力 に よ り 、 維 持 さ れ な け れ ば な ら な い 。
3 家 族 、 扶 養 、 後 見 、 婚 姻 及 び 離 婚 、 財 産 権 、 相 続 並 び に 親 族 に 関 す る そ の 他 の 事 項 に 関 し て は 、 法 律 は 、 個 人 の 尊 厳 と 両 性 の 本 質 的 平 等 に 立 脚 し て 、 制 定 さ れ な け れ ば な ら な い 。
「家族は仲良くしなさいね」という文章だと素直に読めば、別に誰からも異論はないだろうと思えるわけですが、これは社会道徳の手引き書の原稿案ではなくて、憲法の改正草案ですからね。ここに、道徳観念に触れる規定を盛り込んできたということは、やはり非常にきな臭いものをはらんでいる。
やっぱやり方が、あくまで北朝鮮的だな。
(中略)
小林:ええ。ですからもう、「愛国」の代わりに、国民を全体主義に絡めとる方法を必死につけくわえたことは、見え見えなんですよね。
要するに、家族のあり方を憲法に規定しちゃって、これで国民を縛りたいわけだ。
第一次草案ではこれがストレートに「愛国の責務」と書かれていたわけだ。
これは、家族の仲がよけいに悪くなりそうな憲法だ。
だって自分を縛る元凶になるわけだから、家族が。
家族に関するトラブルばっかり起こるだろう。
具体的な話↓
▼憲法に持ち込まれた道徳は日常も縛る
樋口:
「家族を尊重せよ」というのは道徳でしょう?憲法に道徳を持ち込むことの危険性は、いろいろな角度で指摘できると思います。一種の思想統制の根拠となっていく可能性もある。
そういうことだな。北朝鮮みたいに。
小林:
そのとおり。法と道徳を混同するな、というのは近代法の大原則ですよ。
それも踏まえたうえで、現実に国民の生活に直結する大混乱を招くということを力をこめて指摘しておきたいんです。
(中略)
たとえば放蕩息子が馬鹿な借金をつくったとき、親がそんなことは知らんと、現在なら言えます。連帯保証人になっていなければ。しかし、「家族なのに親が息子を助けないとは、公助良俗に反する。憲法違反だ」とやられたら、どうします。家族尊重義務が憲法に入るとはそういうことです。
樋口:
「子どもが熱を出したとき、すぐに母親を返さなかったら企業は憲法違反だ」という判決も出るかもしれませんよ。これには賛成意見が多いかな(笑)。
小林:
しかし、離婚協議中に相手の悪いところをあげつらったら、「家族のくせに協力しないとは、憲法違反だ」と反論されるかもしれない。
離婚の自由すらなくなるかもしれません。結婚という人生のなかの大きな決断が失敗だと分かったときに、離婚して新しい人生を再開させる。そんな当たり前の自由が、この草案では否定さえる可能性があるのです。
家族の尊重だけをとってもこんな具合です。不用意に、道徳的なものをあれもこれも、憲法に盛りこんだら、もうなにがなにやら、日常生活のレベルでも混乱が広がることは必至です。
こうなるわけだ。
樋口:
改正草案の書き手もなんとなく自分たちでも「まずいかな」と思っているらしくて、「Q&A」でわざわざ「国家が家族に介入していいんですか」という問いを立てている。彼らのなかには分かってやっている人もいるのですね。
小林:
道徳に反したという屁理屈で、もっと大きな国民の権利を国家が侵害することだってあるでしょう。むしろそっちがねらいかもしれません。
法と道徳を峻別するのが、やはり近代法なのです。
だから、怖いですよ。
道徳に反するとおしおきみたいな法律も、つくれちゃうんじゃないか?
憲法をこうしちゃうと。
美しい理想的な言葉、正論にだまされて、
これを憲法に書くと、実際に社会がどうなるのかということ抜きに議論を進めることの恐ろしさ、無意味さを思う。
今なされている改憲に関する議論を見ると、ほとんどがファンタジーではないか?
わざわざ工作員に、こういう議論ばかりさせているのだろう。
もしくはどうでもいい話でスピンさせて、
改憲に触れさせないように、報道しないようにして世論が盛り上がらないようにしている。
支配層のみなさんは、そんなのにだまされている国民をバカだな~と思っているんだろうね。
いつも、わたしはくやしい。バカにされて、多数犠牲が出て。
そしてこの草案を作っている連中にも知性はないわけだ。
こんな憲法にしてしまったら、国際社会からも軽蔑されるだろう。
私自身ははずかしい。これでは日本人として誇りを持てない。
そしたら、しょうがないか。
日本人はアホだったよって外国人にお話ししつつ、
平和的生存権も奪われ、国防義務で、おばちゃんでも戦わされるのかもな。
改正草案前文の問題のつづき↓
11、国民が「こ の 憲 法 を 制 定 す る 」とある。
これは改正ではなく新憲法の制定を目指したものであることがわかる。しかも、それは伝統と国家を子孫に継承するためとあるが、こういった理念を憲法に書くと、特定の価値感を押し付けられる。これに反すると排除されることに繋がり、立憲主義の憲法とはいえず、権力に歯止めをかけることができない。
まったく違う憲法に作り替えているからな。
たしかにこれは、改正ではなく、新憲法の制定だ。
12、どこにも改正の理由が書かれていない。
改正する理由は、書けないのではないでしょうか?
(立憲民主党の答弁より)
立法事実を検証することなく、憲法は改正するものだということを前提に議論を進めることは国民の思いを統合した憲法議論に繋がらずに、議論によって国論を分断するということ、そんな懸念が出てまいります。
立法事実、つまり憲法改正が必要であるという事実がないから。
『「憲法改正」の真実』樋口陽一 小林節 著 p.18~19
憲法改正の議論をする際には、順番があります。
前提抜きで単純に〇か✖かという議論からはじめてはなりません。
そもそもどんな必要があって、どんな政治勢力が、なにをしたいために、どういう国内的・国際的条件のもとで、どこをどう変えたいのか、それによって賛成も反対も分かれる。これが憲法問題の本来の議論の仕方です。
これを明確にしないで、改憲ありきというのはおかしい。
だからまずは改憲をしたがっている連中がどんな人たちなのかを明らかにする必要がある。
こういった先生方や私のようなマニアも、国を思う真面目な方も発信している。
必要性は、あいつらがこれからでっちあげてくるものと思われる。
あいつらは自民党憲法改正Q&Aに、いろんな言い訳を書いている。
そして改憲発議について書いている部分を発見した↓
「日本国憲法改正草案」は、いずれ憲法改正原案として国会に提出することになると 考えています。しかし、憲法改正の発議要件が両院の 3 分の 2 以上であれば、自民党の 案のまま憲法改正が発議できるとは、とても考えられません。まず、各党間でおおむね の了解を得られる事項について、部分的に憲法改正を行うことになるものと考えます。
その候補が正に憲法改正の発議要件である両院の 3 分の 2 以上の賛成の規定を過半数 に緩和することですが、それをするにも、先に両院の 3 分の 2 以上の賛成が必要であり、 簡単ではありません。いずれにしても、憲法改正は国民の意思でできるということを早 く国民に実感してもらうことが必要です。与野党の協力の下、憲法改正の一致点を見い だす努力をすることが重要です。 なお、実際に国会に憲法改正原案を提出する際には、シングルイシュー(1 つのテー マごとに国会に憲法改正原案を提出)になると考えられます。
ということは、いきなり憲法全体を改正した原案を出してくるのではなく、
一部分、あるいは一つのテーマごとに発議してくることが考えられる。
今の憲法審査会の様子だと、緊急事態条項が最優先という感じがするので、まずはそこから仕掛けてくるのかもしれない。
でも、彼らのやりたいことは、全体主義や戦争や、天皇の権限強化、国民の人権の軽視と義務の強化、独裁等であることが草案全体から読み取れる。
シングルイシューの発議であっても、行きつく先や、あいつらのたくらんでいることの全体像を見据えて、自分の意見を決めたいものだと思った。
部分的な改憲発議を何度も仕掛けることで、現行憲法を骨抜きにしていく作戦かもしれない。
また、何度も国民投票をしかけることで、これを口実にSNSなどの言論統制が強化されていくことが考えられる。
だから言論の自由がある今のうちが勝負だ。
追記
私が読んだ本の著者たちは、指摘していないんだけど、
現行憲法の前文の冒頭の、
「日 本 国 民 は 、 正 当 に 選 挙 さ れ た 国 会 に お け る 代 表 者 を 通 じ て 行 動 し」
っていうのも削除されている。
今日もまた、憲法審査会があった。また書くね。