愛ってなんだ?
愛さなければならないってなっちゃうと、もうダメだしな。
その時点でウソだからな。
だから私は他人を愛さなければならないとはさらさら思っていない。
ただ、自分の心を、愛している。
プラスもマイナスも。
日々、いろいろ感じる気持ちを。
プラスの気持ちも、すごいマイナスも、恥ずかしく幼稚な感情も、怒りも悲しみも恨みも恐れもバカなところも後悔もなんでも。
マイナスも目をそらさない。むしろそこを積極的によく感じてやる。見てやる。すると落ち着く。癒される。憎しみすら、そうやって対処している。
それだけしかしてない。
人を愛そうなんてしていない。
それなのに、なぜか、
そうしていると、他人のことも大切に感じるように、自然になることに気がついた。
そういうふうに人の心はできている。
だから、家族だって、親だって、結婚相手だって、憎ければ、憎んでよろしい。一生許さなくてもいい。ただし、相手にぶつけたりはしない。ただ、よーくその感情を感じてやる。そんな気持ちになってるのは理由がちゃんとあるものだ。実は、正論いいながら憂さ晴らしやいじめをやられてることが大半だ。または自分の過去の傷が疼いているだけということもある。
まずはよーく感じることからだ。
感情は、賢い。実はなんでも知っている。(ついでにいうと、あいつらにも騙されなくて済む)
だから私がブログ書いたり、ビラ撒いたりしてることと、みんな助かってくれって気持ちと、完全に矛盾なく一致する。
みんなを助けるために、自分はムリしてでも拡散するぞ、とはならないのだ。
やりたいからやっている。趣味だ。疲れたら休む。結局、それがみんな助かればいいねっていう愛になる。勝手に。
愛は、自分を愛すること、心を感じること。それだけだ。
愛と似て非なるものは自己犠牲。それから正論いいながら憂さ晴らししてる精神的虐待してる偽善者。
これらは頭でわかんないこと多いぞ。
心が苦しいとき、気づかずにこんなのにはまってること多いぞ。
わかんなくても、自分の心を感じてやれば自分を救うことができるぞ。
自殺について、私は語ることができない。
自殺する人の気持ちがわかる部分とわからない部分とがあるからだ。
ただ、死ぬくらいなら、死ぬ前に、おばさんとこに来い。なにもしてやれないかもしれないが。そう思っている。
「ただ、自分の心を、愛している。
プラスもマイナスも。
日々、いろいろ感じる気持ちを。
プラスの気持ちも、すごいマイナスも、恥ずかしく幼稚な感情も、怒りも悲しみも恨みも恐れもバカなところも後悔もなんでも。
マイナスも目をそらさない。むしろそこを積極的によく感じてやる。見てやる。すると落ち着く。癒される。憎しみすら、そうやって対処している。」
よく、「自分を好きになること」「自分を愛すること」「自己肯定感」が大切だという話を耳にしますが、それが具体的にどういうことなのか、しっくりきていませんでした。でも、こちらの記事を読んで、要するに、自分の心をよーく感じてあげることなんだと納得しました。自分の心、自分の感情・気持ちを自分の子供やペットのようにしっかり面倒を見てあげることを常に忘れずにいたいと思います。
プラスの感情は、わりと感じてあげやすいんだけど、
マイナスの感情は、ついつい知らず知らずのうちに、否定したり、見ないようにしてしまったりするものでして、
私自身がそういうところがあるんです。
最近も、自分のマイナスを見てあげることを忘れていました。
コメントいただいたおかげで思い出しました。
最近は、世の中で起きていることも、自分の身の安全を脅かすようなニュースばかりで、マイナス感情になる要素にあふれているから、今こそ、これが大事ですね。
怒りや不安。それから、うっかり自分が加害者の側になってしまって自分を責めている方も多いから、またこのテーマでブログを書けたらいいなと思います。
感じるままのやさしいコメントにたくさんのヒントをいただいています。
ありがとうございました(*^_^*)