先日、こんな話を書いたんだけど↓
おばさんは江戸っ子だし現代っ子だから、こういった谷崎の風雅、風流に憧れがあるのねw
なんとなく谷崎さんが物語の舞台を関西にした気持ちがわかる気がするの。
日本文化、食とか着物とかは、大阪・京都あたりがやっぱりいいなぁと思ったの。
関東から関西に移り住んだばかりのころ。
江戸っ子のおばさんからすると、京都弁の女性がやわらかくステキに見えたのだった。これがはんなりというヤツか~と。
料理の味もおだしの味が繊細で、なんておいしいんでしょうと感激した。
水がやわらかく、女性も、ことばもやわらかいのね~と憧れたものだ。
(中略)そういうのは戦時中は弾圧されるのね。
で、今、京都あたりは中国が土地を買い占め、なんだか京都らしさが壊されてる?感じがしないでもなく。。
おばさんの好きな、はんなりを壊さないでほしいのね。
金と勢いで侵略されてる気がするのね。
そしたら、リアルなツイートを発見してね↓
がーん。https://t.co/SSERzpJLll
— 丸顔おばさん (@1UjwrEERnLEDzmn) March 25, 2021
「今、京都あたりは中国が土地を買い占め、なんだか京都らしさが壊されてる?感じがしないでもなく。。
おばさんの好きな、はんなりを壊さないでほしいのね。
金と勢いで侵略されてる気がするのね。」 https://t.co/cdvBI8ryEn
京都清水。
— 三木慎一郎 (@S10408978) March 6, 2021
写真右下の建設中の一等地。
かなり広いです。
とある中国人富裕層に◯◯億円で買われちゃいました。
個人宅のためツイートはすぐに消します。 pic.twitter.com/5w2p4U35Be
やっぱり買い占めてますなぁ。
その一方で、コロナ禍で、
賃料の高いところからは、さっさと撤退されている。ゲンキンな方たちだからなぁw
大量の観光客はやかましいとか、バスが混んでて乗れなくて生活に支障が出るとかいう具体的な問題もあるけど、
お金の理論だけで、商売されると、もっとなんていうか、奥深いものが淘汰されていってしまうのね~。京都に限らずなんでもそうなのね~。
それでもね、
べつに贅沢にお金をかけられなくても、身近にあるものを、手に入ったものを味わって喜んでいる。自分の好きな物、なんでもいいのよ♪
そんなことがものすごく強力で、こんな時代に幸せにいるヒントだと思ったの。
外資が横暴して国土や日本企業を買い占めても、我々の感性を買い占めることはできないんだ♡
こんなふうに思っていたら、
Dr.Yさんがステキな動画を配信してくださって、おばさんそこのところの奥深い、ビミョウな、言葉にするのが難しいところ、教えてくださったの↓
おもてなし:日本人の美意識と心遣い動画説明欄より転載。赤、ピンク、おばさん追記。青、おばさんつぶやき。
日本人のおもてなしの文化は今や世界的にも有名になっています。
今はコロナ禍でそれどころではありませんが、日本政府は、国家政策として観光立国を打ち出しており、そのためには、おもてなしの心を持ち、心のこもった待遇をすることで、お客様に喜んで頂こうと考えています。
お客様に対して心をこめて歓待や接待やサービスをすることで、来日した外国人たちは、日本の交通機関、宿泊施設、商店、銀行などでのおもてなしに感心して帰国する人が少なくありません。
また、日本には、お客様に対するおもてなし以外に、仕事の取り引き先に対するおもてなし、即ち「接待」という文化もあります。業務上必要な契約を獲得するために、相手先の企業担当者や、許認可の権限を握る公務員に対して、接待という手段を使用することは、競争の公平性を欠くことになります。ですから、特に公務員の場合は、結果的に主権者たる国民を裏切る行為となるので、公務員は接待を受けることは禁止されており、違反すれば贈収賄罪で処罰されることになります。
おもてなしすること自体は素晴らしいことなのですが、「誰に対して」「何の為におもてなしをするのか?」によって、その意味合いが全く異なって参ります。 お客様に対して、心を込めておもてなしをして、お客様に気に入って頂き、その結果としてお店のファンが増え、お店の収益が増えたとしたら、それはとても素晴らしいことです。
しかし、認許可の権限を有する立場の人に対しておもてなしをして、自分の利益になるよう取り計らってもらうことは、権力を私物化すること行為になり、道義上好ましいことではありません。
〈おばつぶやき〉
文春が追及してくれてまーす。ついに大臣まで行きました!
あした発売の文春。武田総務大臣のこれまでの国会答弁が厳しく問われることになる。辞職は必至か。しかし自民党はどこまで嘘をついたら気が済むんだ。政治倫理など皆無。凄まじい政党だ。 pic.twitter.com/f71KFReT3N
— さよなら昨日の私 (@SaYoNaRaKiNo) March 17, 2021
武田さん、今回、維新のやつらに鉄砲玉、頼まないのか??
(茂木)会食、二人での会食(麻生)フフフ、会食の○▲◇×(茂木)SPと食ってても会食(武田)維新がまた足立みたいに言ってくれりゃいいのに。無駄な時間、野党が費やしてくれるって。〈おばつぶやき〉たけだ~、おまえ、ゆるさん。武田大臣。維新といいチームワークだもんな?
いつもこんなやらせ国会やって、ピンチを乗りきってるんだろー?w
詳細は、リンク先記事をご覧ください♪
鼻が半分でてきた😳「菅首相 長男が筆頭株主の会社から献金770万円 」#菅義偉 #菅正剛 #スクープ速報 #週刊文春 #文春オンライン https://t.co/KkV1SvMpYZ
— 加藤郁美 (@katoikumi) March 24, 2021
ガースーの息子さんは、やはりハンター・バイデンであったか。
おやじさんの金づる状態ではないか。
以下はジュリアーニ弁護士の言葉↓
YouTube動画ジュリアーニ氏「ハンターはまだ40歳なのに なぜ自分の歯が全部無いのか?」 より「私が出したのではなく、ロシアが出したのではなく、私は3000万ドルをもらっておらず、あなたたちの王子、あなた達の暗黒の王子、ジョー・バイデンがやったことだ。彼は自分の麻薬中毒の息子を(金儲けのための)ATMにした。考えてみてください。なぜ彼の息子はまだ40歳なのに自分の歯が全部ないのか。それは彼がこのようなプレッシャーの下にいるからだ。彼は殺人犯、犯罪組織と、例えばミコラ・ズロチェフスキー(ブリスマ創業者)、エレーナ・バトゥーリナ(モスクワ市長の妻)、すでに長江の底に沈んで破滅した葉簡明(行方不明)、凶悪犯ホワイティ・バルジャーの甥のような人らと一緒にいる。父親として、あなたは自分の息子をこれらの人と一緒に居させた。どのようなことが起こるか考えてみてください。彼の麻薬中毒がますます酷くなる一方だ。彼は完全に麻薬中毒者となった。あなた(バイデン氏)はワシントンで彼の代わりを見つけられなかったのか?あなたは自分の息子を使い、彼の一生を台無しにした。我が国の大統領になりたいと?」
古今東西、あいつらのやってることはだいたいいっしょだ。
いけない「おもてなし」で国民を裏切り、我が身を滅ぼす。。。息子も道連れ。。
あ!しまった、脱線した。先生の美しい「おもてなし」のお話に戻ります↓
私たちは、日本の伝統であるおもてなしの文化を、是非とも良い形で継承し、さらに発展させて行かなければなりません。 おもてなしで大切なのは、「誰に対して」「何の為に」「どのようなおもてなしをするのか?」ということだと思います。 本日は、おもてなしについて考えてみたいと思います。
こんにちは、Dr.Yです。
〈おばつぶやき〉
こんにちは。おばさんです♡
茶道ではお客様をお迎えする際には心を込めて準備をします。しかし、その準備する姿や行為はお客様には一切見せることがありません。それはお相手様に対して、余計な気を遣わせないという配慮からです。
そして、心を込めて準備する「しつらい」や「ご馳走」などに、お客様に対して歓迎の気持ちを表現することが、茶道でいう本来の「おもてなし」なのです。
茶事では、お客様をお迎えする準備が整った際に門前に打ち水をし、支度の整ったことを知らせます。
茶事に限らず、日常でも自宅の玄関先にやはり水を打ち、土埃を静め、清々しさでお客様をお迎えすることが、日本のおもてなしです。
葉から零れる雫や、しっとりと濡らした地面のみずみずしさ、そこからほのかに漂う清々しい匂い、迎えられる側も玄関先からその心遣いに触れる一瞬です。
そして、亭主がその日の茶会に対する想いを込めて掛け軸を選び花を生けます。
〈おばつぶやき〉
あー、先生のお話聞いているだけで、すがすがしくなりました。
洗練されているんだよね。迎える方も。お客さん側も。
いちいち言わない、わざわざ見せない、思いやり。
千利休の教えでは「花は野にあるように」とあります。即ち、フラワーアレンジメントのように美しく盛り付けるものではなく、まるで自然の中に咲いているような花本来のありのままの姿を表現するため、「投げ入れ」という様式で生けるのが原則とされています。 お客様が訪れた際に、四季に寄り添いながら、その場、その時、その一瞬を優雅に感じていただき楽しんでいただく、これこそが日本人ならではの心配りなのです。
〈おばつぶやき〉
すてき。自然そのもののなかに自分がいるって感じなのね。
自然を自分好みに飾りたてるのではないのね。
宇宙そのものなのね。あるがままなのね。それを味わう。感じる。五感。感情。
それを道にしちゃったのね。日本人、なんでも道にしちゃうの好きだよね。柔道とか剣道とか。
だから茶道はいろいろしきたりが多くて大変そうだけど、大事なのはきっとそこじゃないのね。しきたりもひとつひとつ深い意味があるのだろうけど。
(おばさんは茶道やりたいんだけど、長時間正座する自信がなくてチャレンジしてないのwこれがなかったらきっとやってる)
なんでこういう文化ができたんだろうね。
つまり、「おもてなし」とは、どうしたらその方に喜んでいただけるか、どうしたらその方に満足していただけるか?ということを常に考えて行動することです。誰に対しても同じサービスをするのは、「おもてなし」とはいえません。
〈おばつぶやき〉
本当は、「考えて」行動というよりも「感じて」自然にそうしてあげたいって感じだと思うの。お相手さんに。
茶道は五感にものすごく集中すると同時に、お客さんを感じているんだと思うの。
(やったこともないのにえらそうにすいませんw)
茶道に集中して味わっているとき、思考が止まると思うの。
思考に囚われている状態からの抜け方も研究してみたところ、単に思考を止めるとちょっと意識して、五感や感情を感じることにシフトすれば、思考ぐるぐる状態から抜けられることが分かった。
思考を止めて、音楽を聞いてみる。
思考を止めて、お茶を味わってみる。同じ茶葉でも毎日味が違うなとか。
思考を止めて、料理を味わう。
思考を止めて、自分の感情を感じてみる。
思考を止めて、好きな人のことを思ってみる。
思考を止めて、食材の鮮度を感じてみる。あー、しゃきしゃきしてんな、とか。
思考を止めて、アロマテラピーやってみる。
思考を止めて、蛇口から流れ落ちる水を感じる。
思考を止めて、外に出てみる。陽光や緑や空気。ただ感じてみる。
これで、思考に囚われている状態から、抜けられる。
五感を感じていると、自然に感情も感じやすくなる。豊かになる。
だから茶道を極めることは、愛を極めることと同じなんじゃないかしら?
おばさんはこんなふうに茶道をとらえているので、戦国の武将たちが茶道にはまってたのが興味深いなぁと思うの。めちゃくちゃな支配と戦いに生きてた人達がねぇって。
そして利休が豊臣秀吉に切腹をさせられたのもわかる気がするの。
支配者である秀吉は、利休の愛・感情・五感、すなわち対等の関係性、最後、耐えられなくなったんじゃないだろうか?
時の天下人、豊臣秀吉はあらゆる事柄の頂点に立ち、できないことはないと考えていたと思われます。
そんな秀吉が唯一嫌い嫉妬の対象としていたもの、それは千利休の「質素でも完璧な美学」だったのかもしれません。無駄な装飾を極限まで削ぎ落とし、たどり着いた美の境地。秀吉は、美の頂点に君臨する千利休が許せなかったのではないでしょうか。嫉妬のあまり切腹を命じたのではないかと、私は思います。例えば、利休が考案したにじり口は、武士も商人も誰もが身分差なく頭を下げて入り、茶室では皆が平等を意味しています。権力を重視する秀吉には、受け入れがたい感性だったのでしょう。
やっぱそういう感じだよな。五感感情を感じて、お相手を感じている人は、対等、平等意識、愛の意識だから、
支配の意識:
他人の評価中心・他人の期待に応える・思考中心・歯を食いしばって努力しなければ・過剰に責任を捉えている
↕
愛の意識:
他人がどう感じるかは自由・自分の感情や五感を中心に感じている・自分の心地よい範囲を選択して責任を果たす
上は支配の意識。
下は愛の意識。当然こっちのほうが幸せに伸びて発展する意識だ。
「責任」って本当は気持ちがよくて楽しいの。そして軽いの。押し付けられるものではなく、自分で決めていいの。それが腑に落ちるとどんどん未来がひらけるの♪ - 丸顔おばさんのブログ より
秀吉とは真逆の意識状態よ。利休さんは。
支配者の人は支配の関わり方しか知らない。たいてい周りの人も同じような人しかいない。
だから愛の対等な関わり方するヤツに出会うと、カルチャーショックで恐怖をおぼえると思うんだ。未知の態度だから、びっくりしちゃうの。
それでおそろしくなるの。。。おれ様の支配が通じない、、、効かない、、、とパニックになる。
しかも利休はそれを完璧なまでに完成している。。。
自分にはとうていかなわない。
それが切腹を命じた秀吉の気持ちではないかなと思うの。
だから、おばさん支配者からは嫌われて正解だと思ってるの。
やつらに嫌われてるなら、自分は愛で人と対等にいられていて、あいつらに屈してないってことだからw
支配者に好かれてるということは迎合しちゃってしもべにされてるってことだから。
最近は、身内でも支配的な人はおばさんに近づいてこなくなった。。。
近づいてくるヤツは、見込みがある。
あいつらに屈しないでいっしょにこの腐った世界をひっくり返す仲間になれると思っているw
現在ですら、人々の意識はまだまだこんな感じだから、戦国時代、利休が切腹になってしまったのも無理ないのかもしれない。
殺し合いと支配が当たり前の時代、その頂点にいる秀吉にとっては、やっぱり利休の対等な愛の態度は、内心恐怖でしかなかったと思うの。完全に理解不能だったと思うの。
そういう意味で利休は偉大だったんじゃないかとおばさん思ってるの。
(茶道も日本文化もわびさびも、たいしてわかってないのに勝手なことばかり言ってすいませんw)
お客様との一期一会を大切にし、相手の立場に立った丁寧な応対をすることこそが、最高のおもてなしなのです。
〈おばつぶやき〉
そうよねぇ。「おもてなし」を道にしちゃったんだもんねぇ。そう考えると、おもしろい国民性だと思うの。日本人。ほかにそんな国あるか?
幇間(ほうかん)という職業があります。「太鼓持ち」「男芸者」とも呼ばれる幇間は、お座敷で芸を見せて、宴席を盛り上げる仕事です。最近では殆どお目にかかる機会が無くなり、現在は日本中に数人しかいません。
宴席やお座敷などの酒席において主や客の機嫌をとり、自ら芸を見せ、さらに芸者・舞妓を助けて場を盛り上げるのが、彼らの役割です。単なるお座敷の便利屋さんなのかと思われたとしたら、それは大きな勘違いなのです。
お座敷でお客様の相手をしながらも、全神経を集中してアンテナを座敷全体に張り巡らせ、他の客のグラスが空くのを見逃さず、絶妙のタイミングで酒を勧めたり、ひいき客を見つけては挨拶にまわったりと、休む間もなく宴席を行き来しています。あたかも対テロ特殊部隊SATが、立て篭もったテロリストを目の前にして、ピンと神経を張り巡らせ、犯人の動きの気配を感じ取るのと同じくらいに、最大限に神経を集中させて接客しています。自ら芸を披露しながらも、お座敷の気配を真剣に読み取り、宴会の進み具合をチェックしているのです。全身全霊を傾けてお客様の気持ちや気配を読みとっているのにもかかわらず、その素振りを全く見せないところが、おもてなしのプロである所以なのです。
〈おばつぶやき〉
初めて聞きました。幇間。男性のおもてなしのプロの方がいらっしゃるんだね。
それとは対照的に、精一杯の作り笑顔で、「私は精一杯おもてなしをしていますよ!」という態度を取る姿は、本当のおもてなしではありません。
内面を磨くことをせずに外面のみを取り繕う行為は、本物ではなく偽物です。しかし、「偽物は本物以上に本物に見える。」という言葉のとおり、外面のみを取り繕った、偽物のおもてなしに騙されてしまう人が大勢います。
そのような仰々しい外面を取り繕う人に限って、根は図々しく、実は心の中には表裏があり、人前では精一杯の作り笑顔を振りまきながらも、陰では人の悪口を言うような人なのです。
〈おばつぶやき〉
その状態だと感じてないもんね。自分のハートや五感を。
外面ばかりを取り繕ったり、相手の評価ばかりを気にしていると、自分の感情を感じる割合が減るんだ。
たぶん、あれだな。先生のおっしゃる考える力のない人というのは、自分がない状態で生きているのではないだろうか。自分の感情や心を感じていない。
じゃあ何に焦点を当てて生きているかというと、他人の目や他者からの評価ばかりをつねに気にして生きている。
怒られたらどうしようとか、批判されないようにとか、褒められたいとか、期待に応えたいとか、こういった思いが強くて、他人の目を中心に据えて生きている。
すると自分のハートを感じることを忘れてしまうんだ。
カンタンなんだ。
自分のハートを感じていると、他者の気持ちも感じられるんだ。
だから仕事でもお客さんの気持ちや要望、同僚や上司の思いや意図なども適切に感じられる。いろいろと解決策も浮かぶだろう。
自分を感じていれば、集中してるから頭の回転も自然によくなるし。
相手に悟られないように、謙虚に奥ゆかしく、さり気なくおもてなしをする、それが日本人の美意識であり、本来の日本のおもてなしなのです。
〈おばつぶやき〉
あ、そっか。
謙虚に奥ゆかしくしようというよりも、自分の感情や五感を感じて、相手のことも感じ取って「おもてなし」している状態だから、この状態だと結果的に謙虚で奥ゆかしくなるんだ。
この状態のとき、あんまりどうでもいい外面にこだわる気分じゃないと思うのね。
あぁ、もしかして日本人はそういうの、もともと得意だったんじゃないの?
また繊細で豊かな自然もそういう感覚を育てたのかもしれない。
アメリカのグランドキャニオンとか
グランドキャニオン✨ pic.twitter.com/YXF2YkLGT2
— ☘️世界の癒される風景☘️ (@sekai__fukei) March 23, 2021
中国の長江とかのダイナミックな自然とは違う感じだもんね。
大同市の懸空寺。北魏の491年より建造が始められた、仏教・道教・儒教の三つの寺院(山西省) pic.twitter.com/ezszPtxmSA
— 中国旅行bot (@China_Travel_b) January 4, 2021
広い大陸のダイナミックな自然の中に生きていると、他人を感じるとか察するという部分は育ちにくいかもしれない。開放的で好きだけどね!(若いときはこっちにほうが好きだった)
他人を察するよりも、厳しい自然の中で生き延びているうちに大胆な性格になりそうだ。
中国人の友達が言ってたっけ。日本語は色や自然を表す言葉がものすごく多いねって。
山吹色とかからし色とか、萌黄色とか、すてきな色の名前がいっぱいあるもんね。
和服を選ぶときや着物雑誌などを見ていると、こういう名前がいっぱい出てきて、それだけで心が豊かになる気がするの。
このように、日本のおもてなし文化というのは、「笑顔で丁寧に接客をすればそれで良い」というような薄っぺらなものではありません。相手に気付かれないように準備して、皆んなに対して同じように接するのではなく、相手の個性を見抜き、相手が心から喜ぶようなおもてなしを、相手の幸せを願い、行為に念を込めてするのです。
Dr.Yは若い頃には、毎月能楽堂に通い詰めて幽玄の世界を楽しみ、ある時は日本舞踊の稽古を積んで舞台に立つなどして、日本文化の素晴らしさを学ぶ機会を得ました。一つ一つの所作に心を込めて、「どのように振り付けることで、お客様に美しく見せることができるのか?」ということを徹底的に研究しながら踊るという、日本舞踊の所作や表現の素晴らしさと、その奥の深さに魅了されました。
〈おばつぶやき〉
Dr.Yさんのお話の中にときどき日本文化のことが出てくるので、先生はきっと日本文化に精通されているのだなぁと思っておりました。
YouTube動画 威厳に満ちた人になる:老いてもなお美しく生きる:威厳と謙虚さ より日本の伝統文化の中では、匠の技として、ベテランの威厳と卓越した技が持て囃されています。日本舞踊の世界では、長年の経験により磨き抜かれた「枯れた踊り」、「熟成した踊り」と評される、ベテランだからこそ醸し出すことのできる魅力があります。80歳を越えても、浮世絵から抜け出した娘を演じることのできる舞踊家がいらっしゃいます。皮膚の張りなど肉体的な色気は歳とともに衰えるにしても、表情や仕草の中に色気を感じさせる、その威厳と卓越した技に、観る者は胸を打たれるものです。
歳を重ねるごとに円熟味を増す高齢者の魅力は、人間的には威厳と謙虚さ、技術的には匠の技ということになるのではないでしょうか。
先生は能がお好きで、日本舞踊をやられるのですね。
いつもびしっと芯がとおっていて、それでいてみなさんにおやさしいわけが、ちょっとわかりました😊
それにしてもお若いころに、幽玄の世界を探求されていたなんて素敵です。
おばさん、若いときは、日本の文化より海外にばかり目が向いていました。
年を重ねてからです。日本もいいもんだなぁと思えたのは。
きっと若いときは煩わしかったのね。おとなりさんを察する日本文化が。
開放的な海外に逃げたかったのね。。。
日本人の美意識から生まれた、気品ある仕草や間の取り方は、日常生活のおもてなしの中でも生かされています。おもてなしというのは、何もお客様に対してだけではありません。職場の同僚や家族の中でも、是非とも心がけなければならないことであると思います。
〈おばつぶやき〉
じつは特別に和の文化をたしなむことがなくとも、普段の人との関わりを、このような意識状態でやっていたりする。ちっとも特別なことではないんだ。
DrYが診察室で患者さんを診察している時に、クラークさんが数人分のカルテを運んできて、机の脇に置いて下さいます。 パートで入職したばかりの若いクラークさんは、カーテンをバサっと開けて、ツカツカと歩いて入って来たかと思えば、ドサッとカルテを置き、やれやれという顔をして、さっと帰って行きます。しかも、カルテは不揃いで、手を伸ばさないと届かないような場所に無造作に置いて行きます。指示された通りに「カルテを診察室に置いて来るという業務を遂行した」ということには間違いありませんが、そこには「思い」というものがありません。
まるで日本舞踊の初心者のようで、手順は間違えていないけれど、全く気持ちが込められておらず、所作がガサツであり、無味乾燥な印象を受けるのです。
ところが人生経験豊かなベテランのクラークさんの場合にはまず、ちらっとカーテンを開けて、今入ってご迷惑にならないか?診察室の気配を感じとります。問題無いと察したら、そーっとカーテンを開けて、机の近くまでそっと足を進めて立ち止まります。間を置いてさっとカルテを置くのですが、物音一つさせずにそっと置いていきます。置いた瞬間に手を離すのではなく、一呼吸置いて、さっと手を離します。手を引く仕草も美しく蝶が舞うような印象を受けます。
私は患者さんと話をし、電子カルテのキーボードを叩いていますが、クラークさんの所作の一部始終を肌で感じ取っています。「診察お疲れ様です、頑張ってくださいね!」という気持ちを込めて、軽く会釈して帰って行くその後ろ姿に、思わずこちらも「ありがとうございます」と心で感謝の言葉を呟き、頭を下げてしまいます。
〈おばつぶやき〉
あぁ、やはりベテランの方は感じている。感じ取っている。察している。これだね。これを文化や道に昇華させたのが茶道などの日本の文化なのかもしれない。
先生もまたお感じになっている。
Dr.Yは、入院患者さんを平均30~40人ほど、受け持っています。受け持つ病棟スタッフに対して、何か患者さんの状態に変化があった時に、スタッフが戸惑わないように、指示表を明確に書き記し、家族への説明内容もカルテに明記してあります。自分が病棟に居ない時にでも、緊急時には直ぐに連絡が取れるようにしてあります。「スタッフが仕事をやり易いように、自分に何ができるのか?」これが私なりの心遣いです。スタッフも、私が早朝回診する時には、病棟に立ち寄った時に、私が直ぐにカルテを見ることができるように、予め電子カルテを立ち上げておいて下さいます。
このようなさり気ない思い遣りに支えられて、気持ち良く仕事をさせて頂いています。このように職場のスタッフ同士が、お互いに思い遣りを持って接する習慣が身についていると、お客様に対しても当たり前のように、心のこもったおもてなしができるのだと思います。
〈おばつぶやき〉
ステキだね。感じているからわかるんだ。お互いに。
おばさんが気になるのはね、最近なんでもデジタルでしょう?スーパーのレジも無人になってきたし、携帯の機種変でも契約の内容も手続きも煩雑で、そしてデジタル。紙を省いてデジタルデジタル。
こういう感じだと、人間もロボットみたいになると思うの。とくにそういう所で働いていると。
スピードと効率の追求でさ。
こうなると、思考中心で感情を感じることがなくなっていくの。
すると、ちょっと問題があっても感じ取れないの。最近のシステムトラブルなどの問題は、いろいろ原因があると思うけど、そういうところにもあると思うの。
で、起きると、煩雑なうえに、生活のいろんなところがデジタルで繋がっているから、問題が大きくなる。
そして、ロボット人間ばかりの職場は支配者が多いだろう。殺伐としたものだろう。
先生のおっしゃるさりげない思いやりで、みんなが通じ合ってる状態の真逆の状態になってしまいがちだ。
だから感情をゆったり感じるってとても大事なんだ。幸せにいたいなら。
私たちは、周りの人たちに、心のこもったおもてなしのできるような人間にならなければなりませんし、逆に、そのようなおもてなしを受けた時に、相手の思いを感じ取り、心の底から感謝の気持ちを持てるようになりたいものです。
日本には「おもてなし」という文化がある、だから優れた民族であると慢心するのではなく、「本来の日本人のおもてなしとは何か?」ということを振り返り、さり気なくお相手様の個性を尊重しつつ、相手を満たして差し上げるような素敵な日本人になれるよう、日々成長しなければなりません。
〈おばつぶやき〉
なにか、日本人はとくにこういうのが好きで得意なんだよね。
オノヨーコさんが言ってたっけ。日本人は仕事してるとき、瞑想していると。
外国暮らしが長い人にはそう見えるのかもしれないね。
ここのところ、大事にしたいね。けっしてお金で買い占めることのできない部分さ。
これさえ忘れなければ、あいつらが滅びたときに、すぐまた豊かな状態に戻る。
まえよりもっとよくなる。
いいようにとらえれば、いまの、あいつらに買い占められた状態は、こういうことを思い出させてくれているのかもしれない。
日本のよさ、忘れちゃっていいんですかー?って。
本日は、おもてなしとはどのようなものなのか?ということに関してお話ししました。 また、皆様のお役に立てるようなお話しをしたいと思います。 Dr.Yでした。
〈おばつぶやき〉
先生、むずかしい部分を言葉にしていただき、ありがとうございました!
いつも動画、楽しみにしております。
ところで、Dr.Yさんはお医者様のお仕事に役立つ動画も配信されていますので、リンクを貼らせていただきます。
電子カルテの記入法(外来)①何を書くのか?②どこに書くのか?
電子カルテのキーボードテクニック(外来)③どのようして入力するか:3文字入力・テナント入力・主訴入力セット
電子カルテの操作法:マルチビューアを使いこなす
電子カルテを打ちながら、患者さんとコミュニケーションをとる、というのはお医者さんも大変なのではないだろうか。
「紙を省いてデジタルデジタル」とさっき書いた。
こんなすてきなDr.Yさんだって職場では例外ではないんだ。
そんななかで、うまくやる方法を工夫され、みなさんにシェアされているんだ。
そしてこんなお心のこもった動画も。
先生、ありがとうございます。
そしてみなさんの心がデジタルやコロナ禍やNWOにやられず、豊かで平和にいられますように♡
新型コロナウイルスの院内感染防止に成功した漢方薬、荊芥連翹湯(けいがいれんぎょうとう)を広めております。先生の論文も出ております↓
あいつらに関しましては、「あいつら(裏側から見る社会のシステム)」のブログ記事一覧-丸顔おばさんのブログ、古い順をクリックのうえ、初期の記事よりご覧ください。