丸顔おばさんのブログ

すべての問題は「心」に通ず。
リンドウの花言葉は「悲しんでいるあなたを愛する」「正義」「誠実」

威厳:老いてもなお美しく生きる☆Dr.Yさん~自分が気持ちよくいることを許す=自由♡おばさん

2020-11-30 09:54:43 | Dr.Yさんの心のお話
明日から師走だ。早いね。一年が。
今年はコロナから始まり、ずいぶんとあいつらに振り回された1年であった。来年はパージが本格化し、激動になる予感。楽しみであると同時に自分自身も吹っ飛ばされないように、シートベルトをきっちり締めておきたい気分だ。

おばさん、昨日の記事を書いた後、久しぶりにまたあいつらのマイナスエネルギーにやられてしまった。
あいつらの悪のヒエラルキーが発覚したと同時に、あいつらの工作員の必死のウソ攻撃について書いたら、自分がちょっとつらくなった。

少しでもあいつらの欺瞞を見極められる方が増えてほしい。
おばさんのブログ見てくれた方は、あいつらに騙されないでほしい。
ご自分の心が「あいつら」に盗まれませんように。(つまり洗脳)

心を盗まれないようにすることは、実はカンタンだ。
自分が気持ちがいいとき、自分の心にしっかりいる。

心が他者に向いちゃっているか・自分自身に向いているか

この割合なんだ。

「あぁ、気持ちいいな。楽だなぁ」と感じているとき、心は自分自身にいる。
こんなふうに自分が中心になっているとき、他者にとらわれている割合が少なくなる。5:5から6:4、7:3、8:2というふうに自分にいる割合を増やしていくと幸せを感じられるようになっていくんだ!
他人にとらわれないで、自分の芯が強くなっていく。
力は抜けて、リラックスしてるんだけど、しなやかで強い。そんな感じ。

反対に我慢して、きつくても耐えなくちゃと頑張っていると、ダメだ。
このとき、自分自身にいない。他者の期待や要求、「~なければならない」という思考にとらわれて、自分を無くしていく。
他者が中心になっちゃってる。
早めに抜けないと、他者に支配された人生になってしまう。
この状態だと、人に騙されやすい。カンタンにあいつらの謀略にひっかかる。
あいつらの攻撃もすごく身にこたえてしまう。
苦あれば楽あり、という言葉も危険だと感じる。
この言葉はあいつらが作ったのではないだろうか。
そうやって苦しみに自ら入って耐えなければ幸せになれないと思い込んでいると、いつまでも幸せになれない。
自分がなくなり、他者、つまりあいつらに支配されていく。

だから、おばさんもがんばって「あいつら」の悪事を全部暴いてやるぜ!暴かなければ!と気合いを入れすぎるとかえってダメだ。
きつさを感じたら、すぐ楽で気持ちのいいことに切り替えるようにしている。
心の汚いヤツを見すぎてしまったら、心のきれいな人を見ればいいのさ。

最近、唯一ちゃんとした報道をしてくれている「大紀元」、よく見たら、エッセイなどいろいろおもしろい文章も載せてくれている。

泥より出づる芙蓉のように より転載。赤、おばさん追記。青、おばさんつぶやき。

上野・不忍池 の蓮(写真=大紀元)
 我が国最初の勅撰集である『古今和歌集』に、蓮を詠んだ一首「蓮葉(はちすば)のにごりに染まぬ心もてなにかは露を玉とあざむく」がある。

 歌意は、「蓮の葉は、泥水から生えて少しも濁りに染まらない清らかな心をもっているはずなのに、どうして葉の上に置く露を玉と見せかけて人を欺くのか」というもの。要するに、聖なる花である蓮が「人を欺く」というところに諧謔を込めたひねり歌なのであるが、技巧を求めて言葉遊びに流れた感もあり、あまり趣味の良い歌ではない。

〈おばつぶやき〉
要するに蓮にケンカ売ってるんだね。この作者は。w
ひねくれたヤツだったのかなぁ。

 作者は誰かと見てみると僧正遍照とある。なるほど平安六歌仙の一人、あの遍照(遍昭とも書く)かと思い当たれば、『古今和歌集』の序文の一つである仮名序を読んだことのある人であろう。

 万葉以来の著名な歌や歌人について述べた芸術論である『古今和歌集』仮名序では、僧正遍照の歌を「歌のさまは得たれども、まこと少なし」と評している。つまり、歌の体裁は整っているが心情が足らない、と仮名序の筆者である紀貫之は遍照になかなか手厳しいのだが、それも的を得ていよう。歌の技巧とはいえ、蓮が人を欺くことはない。ただ、泥水から生えてきた葉が全く汚れていない蓮に対して、古の日本人も神秘的な清らかさを感じていたことは確かだろう。

日本の平安時代より二百年ほど下った中国の北宋のころ、儒学者・周敦頤(しゅうとんい)が有名な「愛蓮説(あいれんせつ)」を記した。日本でもよく知られた文章なので引用には及ばないであろうが、大意だけを述べれば、「蓮は泥より出づるも染まらず」として蓮の孤高の美を称えるとともに、そのような蓮を自分は何よりも愛するという内容になっている。

 なかでも、菊は隠士、牡丹は富貴、蓮は君子であるとした上で、「陶淵明は菊を愛したが今はほとんど聞かない。唐以来、多くの人は牡丹を好む。ああ、私のように蓮を愛する者がどれほどいるだろう」と筆者は感嘆して言う。中国における牡丹中心の花の嗜好の中で、敢えて蓮を取り上げた筆者の特別な思いは意識して読み取ってよい。

 この120文字ほどの短い漢文の中で、蓮は文学的諧謔の対象では決してなく、修煉を積んだ人間だけが到達できる、筆者にとっての理想的な人格を表象している。つまり、筆者がここで語っているのは、もはや植物の蓮への好みではなく、いかに生きて我が身の次元を高めるかという、君子としての真摯な求道の覚悟なのだ。 

日本各地の蓮の名所では、これから花の見頃を迎える。蓮の花見は早朝が良いそうだ。時が経ち、昼過ぎともなれば花もしおれる。

 汚泥の世俗にあって我が身を清らかに保つのは、今も昔も容易なことではない。
(埼玉S)【ショート・エッセイ】より

〈おばつぶやき〉
そうかい。昔の人も蓮に孤高な君子のイメージを感じていたんだな。
おばさん思うけど、日本の文学って昔からけっこう自由だ。下ネタもスキャンダルもタブーなく書いちゃってそれが傑作みたいになっている。
源氏物語とかさ。
それに対して中国の文学はどうだろう。けっこう真面目な話が多いかな。孔子の論語とか、最近だと魯迅とか、中国のみなさんは、わりと哲学的なのが好きかな。
魯迅の人生の最後の6年間は、左派的な理念によって育まれた多くの人にとって突出した文化的英雄であった[3]。彼の死後、ほどなくして20巻からなる『魯迅全集』が出版されたが、これは現代中国文学界における空前の出来事であった[3]。中国現代作家の中で、このような栄誉に浴したのは魯迅以外にはいない。このような栄誉は、中国共産党により作り出されたものである[3]。国民党との奪権闘争を通じて、かれは中国共産党にとって人民に愛される反政府的な愛国主義を宣伝する代弁者として非常に利用価値の高い存在だったからである[3]。 
Wikipediayより

あぁ。やっぱり共産党に利用されちゃったんだ。ヤツラのイデオロギーの宣伝に。だから、真面目に~なければならないっていう生き方してると危険なのよ。
あいつらに利用されちゃうの。ちょっと脱力してるくらいがちょうどいいの。

自分が気持ちよくいるのが一番いいの。自分が楽なのが一番いいの。
どうせ、きつくやっても、そのうち崩壊して、楽なところに落ちつくし。
あいつらに利用されなくて済むし。

自分が気持ちよくいることを許す=自由、なのさ。

真面目な人は自分自身を許せない人が多いんだな。罪悪感が強かったりする。
罪悪感は不要だ!あいつらが過剰に罪悪感を植え付けているよ。「~なければならない」みたいなのをマスメディアやネット、書物、教育などで宣伝洗脳している。
まず親が洗脳されていて、そういうふうに子育てをしている。何世代かにわたってやってしまうと、家が大変なことになる。
そうやって家、ひいては国の衰退を目論んでいるヤカラが支配しているというわけだ。

本来もっと自由でいいの。
間違っちゃてもごめんねって言えばいいの。そして自分自身を許していくことのほうがよっぽど大事なのトラブルが起きたときというのはたいてい相手の領域を踏み越えてるときだ。そこだけ気を付けたり、相手に同意をとったりしてれば、あとは自由なの。

おばさんはどれだけ自由にいられるかに命かけてるのw

どんな環境にいようとできるんだ。今いる環境の中で、少しでも気持ちよくいようとするの。それが自由=あいつらに支配されない=もっとも強いってことだからw

日本文学、下ネタやスキャンダルや、おばちゃんの愚痴みたいなの脱力系が多いってことは、日本人、わりと自由の才能あるんじゃないかね?あるがままでいいじゃんって感覚だもんね。
あ、自然の描写も、ものすごいものがあると外国人は言う。
文学だけでなく、着物の柄とかもそうだ。四季折々の風景を衣服に細かく美しく描いて着ちゃうって日本ならではなんじゃないかね?
そういうのが好きなんだね。もともと。
諧謔、洒落も好きだね。そういうとんちをきかせたのも好きだね。

おばさんの好きなブログ↓
いつも美しい絵画と、ユーモアとウイットに富んだ文章をありがとうございます。
社会のマイナス面だって、きれいな絵画とユーモアで表現することができるんだね。
絵にはその方のまなざしが表れている。

おばさんはつい、バシッと「あいつら」を糾弾しにかかっちゃうけど、こんなふうにおしゃれにシャレを効かせてやさしく表現することだってできるんだ。

同じような事柄でも、人によって表現がいろいろだ。まさに芸術だ。

じつは誰もが自分を自由に表現してるだけで天才なんだ。

まず、表現することにも罪悪感を植え付けてくるだろう?最近のあいつらは。
でもやられてもまた表現すればいいと思うんだ。
それのなにがいけないの?って感じで。
ツイートだって芸術だなぁと、最近思う。みんなすばらしい。

あと、子どもの頃、自由にものを言うことを親に否定されてきたおばさんなどは、ただブログを書くことですらちょっとした挑戦であったりする。
でもいったいなにがいけないの?てゆうか、おばさんが子どもの時から感じてきた違和感こそが「あいつら」の謀略であったと、最近おばさんになってから気づいちゃったから、もう言うしかないなと思ってるのw
それで私と同じように感じている人の心が少しでも楽になればうれしい。
みなさんもたぶんそうだよ。自分の違和感は「あいつら」の謀略を解く手がかりだw

今の社会はきついものがあるけれど、「あいつら」がパージされ、解放が進むにつれて、多くの人にこんな自由な感覚が戻ってくるだろう♪


威厳に満ちた人になる:老いてもなお美しく生きる:威厳と謙虚さ

動画説明欄より転載。赤、リンク、おばさん追記。青、おばさんつぶやき*****************

威厳とは、堂々としていて厳かなことを指します。頑固者で他人の言葉に耳を傾けず、笑顔一つ見せずに威張っており、恐くて近寄り難いという意味合いではありません。尊敬に値するほど威風堂々としている「雰囲気」を意味しています。
周りの人にとっては、心から信頼できる存在であり、何か問題が起こった時には、この人なら何とかしてくれる、そんな心の拠り所となる人を、威厳のある人と呼びます。
  素敵な人という人物像は、年齢によって変わって参ります。幼児であれば、可愛らしくあどけないと、素敵なお子さんですね!と言われます。
若者であれば、健康と美しさを兼ね備え、エネルギッシュでパワフルな若者を、素敵な若者と称されます。
それでは、歳を重ねると、皺が増えて美貌も衰え、体力も落ちて、見すぼらしい老人となるしか無いのでしょうか? そのような事は決してありません。
年齢を重ねるとともに益々その美しさと技が光り輝く生き方をしている、燻銀のような人が私たちの周りには大勢います。そのような在り方を威厳と謙虚さと称するのです。
  若い頃はアイドルとして活躍し、壮年になるとアイドルを棄てて、魅力的な俳優女優として、活躍している人は大勢いらっしゃいます。 逆に、人気子役が成長してアイドルになり、さらに壮年になってもそのイメージを引きずって、若作りしてTVに出演する姿を目の当たりにすると、どうしても違和感を感じざるを得ません。歳を重ねたのであれば、それに相応しい魅力を築き上げる努力をしなければなりません。
〈おばつぶやき〉
そうなんだよなぁ。たしかに若いときはぴちぴちであった。でもあのときに戻りたいかって言われると、おばさんは二度とごめんなんだ。若いときはいろいろ分からなくて、大変だった。分からないから、生き方もめちゃくちゃであった。今にして思えば。だからあのときと比べればおりこうになった。これでも。
だからそれが今の自分の魅力なんだと思うことにする。
また時が過ぎれば、また変わるだろう。
肉体はもちろん衰えるけど、また少しおりこうになるかもしれない。
そうか。そうやって肉体のぴちぴち度と、おりこうレベルが反比例して年を重ねていければいいんだな。
年とともに肉体も精神もマイナスに行っちゃうと、苦しいからな。


  日本の伝統文化の中では、匠の技として、ベテランの威厳と卓越した技が持て囃されています。日本舞踊の世界では、長年の経験により磨き抜かれた「枯れた踊り」、「熟成した踊り」と評される、ベテランだからこそ醸し出すことのできる魅力があります。
〈おばつぶやき〉
おばさんこちらの京都の舞妓さんたちの踊りの先生、ときどきテレビで拝見して素敵だなと思っていた。



こんなすごい先生でも、先代のような枯れたおどりは、若いうちは難しかったとお話されていたのが印象に残っている。
「虫の音」 井上 八千代(井上 愛子)

メッセージ
 美しい国と申しましても、そこに住む人が何より大切だと思います。美しいと感じる心を持つ人々が、和み、集えるところこそ生命ある国であり、その時代にも次代を担う子供たちにも誇れる美しい国といえましょう。

さすがです!あべちゃんに聞かせてやりたいね!w
お話も、気さくなんだけど、一本筋が通っていて素敵なんだ!
京都の伝統芸能のみなさんは、門外漢からすると、厳かで近寄りがたい感じがするが、みなさん案外、ご自分のお心に正直で気さくだ。だからお話を聞くと温かい感じがする。
己の内面や感情の表現を大切に、研ぎ澄ましている。

【瓜生通信Webマガジン】井上八千代・蜷川美花対談  
本心からお話されているから気持ちがいい。

80歳を越えても、浮世絵から抜け出した娘を演じることのできる舞踊家がいらっしゃいます。皮膚の張りなど肉体的な色気は歳とともに衰えるにしても、表情や仕草の中に色気を感じさせる、その威厳と卓越した技に、観る者は胸を打たれるものです。
 歳を重ねるごとに円熟味を増す高齢者の魅力は、人間的には威厳と謙虚さ、技術的には匠の技ということになるのではないでしょうか。 

〈おばつぶやき〉
最近亡くなられたこちらの方だね。おばさん2年前に舞台を拝見したよ。
80代で、現役で舞っておられた。

一生青春!いいじゃないかw
やっぱり大物は、自分が気持ちよくいることを許す=自由♡を地で行っているなw
それこそが芸の肥やしなんだろうな。まじで。

よし、おばさんもがんばろう!

参考:


 素敵な高齢者の魅力の一つが、威厳ということであれば、どのようにしてそれを身につければ良いのでしょうか?
  本日は、老いてもなお美しく生きる技、威厳と謙虚さに満ちた人になる方法についてお話ししたいと思います。
  組織のトップには権力タイプと威厳タイプの2通りがあります。
  権力タイプのリーダーいうのは、権力を振り翳して、力尽くでスタッフを自分の思い通りに支配しようとするタイプのリーダーです。「お前らは、何も考えずに、俺の言うことを聞け!俺の言うことに従っていれば良いのだ!」というのが口癖です。
スタッフはトップを信頼し、トップの考え方に賛同してついて行くのではなく、命令に従わないと処罰されることを恐れて、仕方なく従っています
〈おばつぶやき〉
あ!おばさん、こういうヤツ知ってる!








このようなリーダーには、良い結果を残したいという思いはありますが、それは自分の業績を上げるのが目的であって、そこにスタッフの幸せや生き甲斐などの思いは見当たりません

  威厳タイプのリーダーというのは、スタッフが仕事に遣り甲斐を見出し、楽しく仕事ができるように、環境を整えてくれるタイプのリーダーです。
「君たちは、良いと思ったら思う存分やってみてください。何かあれば私が責任取るから、心配する必要はありません。何か不都合なことがあれば、できるだけ希望に沿えるよう努力しますので、何でも相談して下さい。」というのが口癖です。

良い結果を出したいという思いがあるのと同時に、スタッフの幸せや生き甲斐を大切にしようという思いがあります
このタイプのリーダーは、常に周りの人たちの幸せを願い、何をしたら周りの人たちが喜ぶのかということを考え、何か問題が発生すれば、すかさずそれを解決しようと必死に取り組んでくれます。
ですから、周りの人たちは、リーダーを信頼し、この人について行けば間違いは無い、何があっても何とかしてくれる。そう考えてついて行きます。
このようなリーダーの姿を威厳があると称し、その威厳があるが故に周りの人たちは信頼してついていきます。

  そのような威厳というものは1日にして身につくものではありません。「信頼を失うのは一瞬、取り戻すのは一生」という言葉は、一度信用を失うと信用を取り戻すには並々ならぬ努力が必要であるということを示しています。周りの人たちから信頼を得るためには、日々の努力の積み重ねが必要となります。
あのような危機的な状況に於いて、あの人は勇気ある行動をとって、皆んなを窮地から救ってくれた。どうしたら良いか分からず途方に暮れていた時に、あの人が進んで行動してくれたお陰で、上手く切り抜けることができた。このような様々な体験を通して、信頼関係というのは時間をかけて深く結ばれるものです。

  ですから、威厳を持つためには、心の中で周りの人たちの幸せを願うだけでなく、それを日々実践し続けることが必要なのです。そうすることで初めて、周りの人たちとの深い信頼関係を築くことができるのです。 
相手の幸せを願うということを、具体的な行動3パターンに置き換えてみましょう。①相手を笑わせたり喜ばせたりすること、
②相手に生き甲斐と遣り甲斐を持たせること、
③相手の不安を取り除き安心させること、
おおよそ3パターンに分けることができます。

  相手を喜ばせたいも思っても、ワンパターンで誰にでも同じように接すれば良いのではありません。人によって価値観が異なるため、何に幸せを感じられるのか?という事柄が人それぞれ異なっています。
幸せを願って施すその行為が、ある人にとっては喜びであったとしても、他の人にとっては全く価値の無いものである場合もあります。
〈おばつぶやき〉
おばさん思うけどね、やっぱり自分自身が気持ちよくいることを許していると、自然に、相手にも喜んでほしいなって気持ちになると思うね。
そのためにはまず、自分の感情をつねに感じている状態でいることがミソだ。

じゃないと、どうしたら気持ちいいか、わかんないからね。
思考優位で生きてるとそんなとこ、わかんなくなっちゃうんだ。
だから、思考を止めて、感情を感じる練習が必要だ。
最初はぼーっとした感じでこころもとないけど、そのくらいでちょうどいい。
だんだん大丈夫だとわかってくる。多くの人が思考しすぎなんだ。おばさんもそう。

自分の心を感じることを練習して、訓練して、はじめて他人の心も正確に感じられるようになる。
自分の心抑圧してる状態で、他人の心を理解しようといても、ムダだ。できてない。的外れだ。

だから、多くの大人はこどもの心が理解できない。自分もかつて子どもだったのにもかかわらず。
大人になったヤンキーたち♡ - 丸顔おばさんのブログ

それから、女心が理解できない男性たち、そういうことだ。
一般に、この状態の感情の解放された男性は少ない。相当レアだ。
どうしても男性は社会で感情など押し殺して理性でがんばってる方が多い。
こどものころからそのように育てられているしな。
「~なければならない」の思考でやさしくされてもおばさんはうれしくないぞ。
的外れで不器用で、ほほえましく見てはいるがな、

人間は自分に対する態度と他人に態度がいっしょだ。

だから上記画像の「あいつら」などは、自分自身を愛することなどできてないはずだ。
きつく戦うように生きてる。日々潰し合いでちっとも内面の幸せや豊かさがない。見ててわかるだろう?

シンゾーはこんなことしてるってことは、まだ人と愛し合うレベルまで達してないだろう!


あれ?おばさん、ついにアッキーの気持ちまで分かるようになっちゃったか?


  また、その人の願いを叶えて差し上げたくても、その願いを叶えてあげること自体が、その人の幸せに繋がらない場合もあります。 例えば、努力をせずに何かを得るという体験をしてしまうと、働く意欲が失せてしまうのが人間の弱さです。自力で乗り越えなければならない試練を、可哀想だからと言う理由で、周りの人が手助けしてしまうと、他人に依存して甘えてしまう人間になってしまいます。ですから、相手の幸せのためには、何かを与えることばかりでなく、してあげずに突き放すことが必要な場合もあるのです。甘えてくる人を甘やかして、その人を喜ばせることは、決して望ましいことではありません。
  相手の幸せのために努力すると言っても、利己的で狡い人に協力し、そのような人を喜ばすようなことは、決して望ましいことではありません。むしろ、理にかなわない行動をする人に対しては、毅然とした態度を取ることで、周りの人たちを守ることができるのです。
〈おばつぶやき〉
だから頭で考えて、威厳タイプの立派なリーダーにならなければっていうふうにするよりも、自分自身が気持ちよくいることを許していれば、こんなずるいヤツにはすぐ違和感を感じて気づく。おばさんなんて、ずるいヤツ、感じすぎちゃって大変よw
実は感情を感じていることは安全である。感情はすべてを知っている。センサーだ。
感情は、無意識層の声だと言われている。無意識はとっても頭がいいぞ。
おばさんは自分のそんな感覚を信頼している。テレビや本や偉い人の言うことよりも頼りになる。


  また、切羽詰まった緊張感溢れる状況では、肩の緊張を取るために、ユーモアで場の雰囲気を和らげます。 

 そして、遣り甲斐を見出せない人に対しては、生き甲斐や遣り甲斐を持たせるためには、今その人がやろうとしている事柄に価値を見いだすことができるように、創意工夫の仕方と、夢と希望の抱き方をアドバイスします。

  自信が持てずに、一歩踏み出せずにいる人に対しては、その人を勇気づけて、背中を叩いて差し上げます。 不安でどうして良いのか分からなくなり、途方に暮れている人に対しては、今できる最高の方法を共に考え、それを乗り越える勇気を与えます。  このように、周りの人たちの幸せを願い、共に寄り添うような気持ちで接することで、自分の役割をしっかりと果たす努力を積み重ねることで、いつの間にか、周りの人たちから信頼され、威厳が満ちた人であると称されるようになるのです。

  しかし、威厳が満ちた人が、全ての世界で受け入れられる訳ではありません。地球上には、魂のレベルの高い人から魂のレベルの低い人までが混在しています。魂のレベルの高い人たちというのは、利他的で他人の幸せを考えて生きる人たちであり、魂のレベルの低い人たちとは、利己的で本能の赴くままに生きる人たちであり、野獣に近い行動をとる人たちです。
〈おばつぶやき〉
要するに、自分自身が気持ちよくいることを許してると、他人にも喜んでほしいなという気持ちに自動的になる。
魂の高い状態に行くことは、実はカンタンだ。
厳しい修行に耐えなければ、魂のレベルは上がらないとか、悟れないとか、そういうのもウソだ。あいつらのプロパガンダだと思うんだけど。
あいつらは、人間の精神性が進化すると支配できなくなって困るから、逆のこと教えてる。
中国共産党の法輪功の弾圧もそういうことだろう。
法輪功のこと、おばさんよくは知らないけれど、毎日大紀元見てる限り、みなさんの姿勢はすばらしいぞ。正義のためにあいつらから独立して報道してるのは彼らだけだからな。ちゃんとDSについて報じているし。
ついにあいつらが弱体化してきて、善なる人たちが本領発揮しているように見える。
みんなが精神性を進化させると支配できなくなって困る。

それでシンゾーなんかも「あいつら」サラブレッドで、小さいときからマイナスパターンのほうを教わって信じて生きている。それを国民に対してやってくるわけだ。巻き込んでくるわけだ。ネトウヨとかいうヤツラ使ったりしてw

こんなふうに、じつは両方とも、人間が、自分が気持ちよくいることを許す=自由♡を妨害して、人間の進化をじゃましている。


 魂のレベルの低い人たちをまとめることができるのは、権力タイプのリーダーです。威厳タイプのリーダーは、魂のレベルの低い集団をまとめることはできず、むしろ力で排除されます。
〈おばつぶやき〉
今、本当にみんなの精神を高めることができる人とか、病気の根本的な原因を突き止めちゃった人とか、そういう素晴らしい人は「あいつら」が妨害してくる!
だからこいつらパージされたら、科学も精神性も進歩するぞ。

野獣がたむろしているジャングルでは、力の強い者が支配者となり、武器を持って威嚇する力が必要となります。

魂のレベルの低い人たちをまとめるためには、権力が必要であり、威厳は意味を成しません。
〈おばつぶやき〉
そうなんだよ。これを今、トランプさんがうまくやろうとがんばっているのが分かる。今は過渡期だ。魂低→高への。
それでまだ野獣が暴れて攻撃してくるわけだ。
全然話し合えなくて、武力で威嚇し侵略しようとしてくるヤツらだから、ある程度は自衛しなくちゃなんない。
そして、中東やアフガニスタンでまだドンパチやろうとしてるのはDSだろ?
それで、
そして、ケネディ元大統領の国家安全保障行動覚書57号↓
https://twitter.com/OSAISENMAN/status/1330737980458237952 より
【機密情報開示(#DECLAS)】 #JFK の国家安全保障行動覚書57号(#NSAM57) 1961年6月28日 ジョン・F・ケネディ大統領は、CIA長官に以下の勧告を承認した。大統領はCIAを迂回して指示を出せる。(CIAが戦争を遂行する能力を取り除くこととした #EndTheCIA) トランプ大統領 
http://maedafamily.com/ansatu/cia.htm
(中略)
中東の過激な人たちも「あいつら」がイスラム教徒になりすましてでっちあげてることが判明してるからな。イスラエルがやったなら、モサドとかCIAとかが戦争を起こそうと企んでいるかな?戦争起こして起死回生。今のあいつらがやりそうなことだ。
こんなのも、もし、CIAが関わっているなら、この覚書でCIAを抑止することができるわけだ。理論上は。
トランプ、やはり弔いなんだな?ケネディ家の。


こういうの発令して、DS戦争屋CIAを排除しようとしている。
守りを固めつつ、ちゃんとなるべく戦争にならないようにやっている。

それなのに、こういうことに触れないで、‟「トランプが」戦争に向かおうとしている”と言っているバイデンのサポーターがいる。
逆だろう?
現状も、具体的な解決策も、無視。
魂の低いヤツらの性質や行動パターンも無視。

今、作戦が奏功して、DSヒエラルキーの一番上が謝罪してきて丸く収まる可能性が出てきている。

それなのに、こんなこと言って、世論をトランプ批判に向けようとしてる。
口では「バイデンはもちろんダメだけど、トランプもあっち側だ」などと言って。
おまえ、「DSバイデンのサポーター」だとバレバレだ。
戦争を望んでいるのはトランプではなくておまえだろう。
バイデンは戦争屋だもんな。バイデンになったら、中国もCIAもモサドも大暴れ間違いなしだろう。

魂のレベルの高い人たちの中に於いて初めて威厳のある人が輝き、皆んなが安心して生活できるのです。
  幸いにして日本は、周辺諸国に比して、魂のレベルの低い人の頻度が少ない国です。私たちは、魂のレベルの高い人たちとお付き合いすることで、素敵な仲間を増やし、歳を重ねるとともに威厳と謙虚さを持てるように生きていくことができるとしたら、とても素晴らしいと思います。 
〈おばつぶやき〉
そうだ。べつにそんなのと付き合う必要ないからな。
気持ちよくないと感じたら離れることだ。
そいつはあなたを支配しにかかってるってことだ。
感情感じて、気持ちよくいることを許していれば、そういうセンサーが働くんだ。
この流れで行くと、これから悪いヤツはますます正体があらわになり、だれも相手にしなくなるだろう。
すでにそうなってきた。
だから今後、ステキな人たち同士でかたまっておつきあいするということがどんどんやりやすくなるぞ♪


本日は、老いてもなお美しく生きる技、威厳と謙虚さに満ちた人になる方法についてお話ししました。  また、皆様のお役に立てるようなお話しをしたいと思います。 Dr.Yでした。 #威厳 #威厳に満ちた生き方 #美しく老いる #リーダー

はい、先生のおかげで、おばさんまた元気になりました!
いつもありがとうございます♡
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