おばさんは幸せだ。
真夜中に目を覚まし、ゆっくりお茶を入れて、ゆっくり味わいながら、自分の心を感じるままに、ブログを書く。
これができるってことが幸せだ。
自分の心にいるってことが案外むずかしいんだ。
例えば、体の状態がよくないと、体が不快で、気分も不快で、なんとなく自分の心にゆったりいられないこともある。
また忙しくて、そんな時間も余裕もないこともある。
また、内面の問題。世の中がひどくなると、ネット上でもあいつらの手下が暴れ回る。人々が争う。支配するものとされるものが激しくやりあう。
そんなのを見て頭にくると、わたしもうっかり戦いモードにスイッチが入ってしまうことがある。
頭の後頭部のやや下のほうに脳幹という場所がある。爬虫類脳とも言われる。そこにスイッチが入ってしまうんだ。
頭に来たり、むかっとしたとき。人は誰でも。
こうして戦いモードにスイッチが入ると、もうダメなの。
例えば人と話していて、この状態になったら、もう平和的な結論に至るのはムリだから、いったんやめることが大切だ。後日改めて話せばいいんだ。
戦いのスイッチ入っちゃうともう破滅に向かうし、能力がうまく発揮できない。
戦いモードだと緊張状態になる。ゆったりリラックスして、脳全体をバランスよく使っていないと、物事を立体的に実感して適切に捉えるなんてこともできなくなっちゃうんだ。
参考:
6月9日ワクチン副反応検討部会/ツイッターデモなんかも、あいつらの謀略なのね~ - 丸顔おばさんのブログ ノーベル賞受賞者の先生の脳内についてちょっと書いた。
逆にいえば、ハッピーでリラックスしてれば、物事を実感することができて、立体的に捉えられるのね。
争って思考優位で緊張状態だったり、自分の中にマイナス感情の割合が多いと、平面的な脳の使い方になってしまう。
だから、地球人の脳は平べったい。だからろくに見えていない。
宇宙人はそう思っているのではないだろうか。
だからカンタンにあいつらに洗脳され、争う。だから凶暴だ。
そういうわけだから、マイナス感情をどう扱うかがミソだ。怒り、不安、恨み、悲しみ、憎しみ。。
これが溜まるほど、どんどん脳が平べったくなって、全体が見えない、感じられない人になってしまうの。
(だから子どもの方が案外いろんなことをわかっている。素直な心で感じているから。お年寄りになればなるほど、言ってあげてもわからない場合が多くなっていく。それは対処しなければ、こういうのが溜まっていく一方だから)
コツがあるの。
むかっとしたり、戦いモードになって、脳幹にスイッチ入ったなと思ったら、そこをオフにすると意識するんだ。スイッチを切る。また、対象の相手がいれば、物理的にそいつから離れる。部屋に行っちゃうとか。トイレに行っちゃうとか。
そして、眉間、目と目の間らへんの奥、そこらへんの力を抜く。そこらへんが感情のありかだ。ここをゆったりリラックスさせ、思考を止める。
思考しすぎると、感情を感じるのがおろそかになる。バランスの問題なの。だから思考を減らすことが大事なの。思考を止めて、感じている。自分の感情、気持ち。
お茶の味。木や土の匂い。音楽のしらべ。風の音などの五感。
道を歩いていても、考え事してると、道端の花や緑などは目に入っていない。これは思考ばかりで感情や五感を感じていない状態だ。
ふだんは思考をしないほうがいい。しないと決めても少しはするから。
だから思考しないと決めてるくらいでちょうどいい。
おばさんはフィーリングで生きている。ふだん、頭を使わない。
ブログも書き始めはフィーリングで書く。
でもそれだと人が読んだ時に意味がわからなかったり、日本語がへんだったりするのねw
だから最後、意味がわかるように、少し思考を使って、整える。
その程度だ。だから成り行き任せでどんな内容になるか、いつも書き終わるまでわかんないのw。これもなかなかおもしろかったりするの♪
最初から思考をフル稼働させていいこと書きましょうなんてやっちゃうと、ダメなんだわ。
思考では一面しかとらえることができないの。
実感すると、立体でとらえることができるの。
しみじみ感じている状態のほうが、人はおりこうさんなんだ。結果的に、よくわかる。いろんなことが。
だからおばさん、しみじみあいつらの記事などを読んで、「あ~、まーたやってんだな」って感じたことをそのままブログに書くようにしているの。
思考でデジタルに読んじゃったらフェイクニュースにだまされちゃうのね。そういう読み方だと。
脱力して、酒でも飲みながら読んだほうがいいんだわ。
だからブログもわざと、記事をコピペして、勝手気ままに〈おばつぶやき〉を挿入するスタイルにしちゃったの。しちゃったとゆうか、そのスタイルに自然に落ち着いたのね。
人は思考してると、戦うの。この状態だと他人ばかり見ているの。緊張状態ね。
自分の心にいないの。だから肝心なことが見えてないのね。
思考ばっかしてるのが堅実で安全なような気になっているだけで。
工作員たちがそうだ。右翼左翼でネット上で毎日やっている。
思考してると「~べきだ」「~なければならない」、とかそんなことばかり言って敵対者を責めるのね。
で肝心のあいつらのたくらみが見えてないから結果、あいつらの走狗をやることになっちゃうの。
ワナにはまって地雷を踏んで走狗をやめられないのもいる。脅されてな。
戦うからさ。
心のセンサーを感じながら、安全に戦わないとダメなんだ。
また、思考中心の人は、プロパガンダにもだまされやすい。
「人に感染させないためにワクチンを打たなければならない」とか「マスクしなければならない」というプロパガンダふきこまれると、そうだと思ってしまう。
自分が打つ打たないの判断も誤るだろうし、お医者さんなど人から意見を求められる人はなおさらだ。
あいつらからカネをもらってるDSの医者もいるけれど、本気で洗脳されている方も多いと思われる。
猛勉強して国家試験に合格された頭のいい方たちはどうしても思考中心になる。
感情を感じることの意味を知って、意識してバランスをとる必要があるだろう。
実際、この世界の「~なければならない」は人間がつくりだした幻なの。
そこに気づかないと、左脳型全体主義に行ってしまうよ。
先の戦争のときは脳幹型全体主義であった。お国のために戦って命を投げ出す、というマッチョな全体主義だ。脳幹が暴走するとそうなるだろう。
今は左脳が暴走している。インチキエビデンスと「~なければならない」思考が結びついたプロパガンダだな。
両方とも脳の使い方が偏ると支配に陥って破滅することを証明している。
本当は、すべてはただの現象なの。
人間がバカなことをやるのも、あいつらが暴れ回るのも、現象なの。
それで人々がいろんなことを感じるのも現象なの。
それをいい・悪いと決めても(べつに自由だからいいけど)あんまり意味がないの。
それよりもどんな現象が起きているかを丁寧に見て、解き明かす。
そして苦しい部分、不調和の部分を、うまくほぐして楽にしてあげるの。
それだけで、起きてる現象が、いい方向にいくの。
そしたら自分が楽になるし、改善できてうれしいなとなるから、幸せなの。
で、そうやって自分を救うことができると、やっと人のことも救うことができるの。
自分救えないと、相手救うのもムリなの。
どんなにやせ我慢して、自己犠牲やったって、かえって自滅するの。そして他人も巻き込む。
我慢が多くて自分に嘘ついてる部分が多い方、要注意だ。
あるいは相手を悪いヤツだと糾弾、攻撃しても、やり返されたりして、自分も周りもダメージを受ける。
やめちゃっていいの。戦いも思考も。で、リラックスしてればいいの。
こういうの、ことばで説明するの、けっこうむずかしいのね。感覚的なことだから。感覚を掴んで、自分になじませないとね。
ことばで表現すようとすると、どうしても平面的で思考っぽく、理屈っぽくなる。
そういえば、
Dr.Yさんが配信してくださった動画を見ていてね、おばさんの心のセンサーが反応する部分があったんだ。
胸を張って生きる:宇宙に向かって宣言する生き方:天網恢恢疎にして漏らさず若い頃のDr.Yは、正義感に溢れ、理不尽なことがあると許せない人間でした。
感情的になって、相手を責めてしまい、結果的に幸せから遠ざかるような行動を選択することもありました。
僕は正しい、相手が間違っている。間違っている人間は許せない。
正義を貫くことが大切だ!と考えていました。
当に、正義感に溢れた、杓子定規の嫌な奴でした。
歳を重ねて、様々な失敗を繰り返して、次第に謙虚さを身につけ、冷静に物事を判断することができるようになりました。
赤の部分だ。
若いころの、過去のご自分についてのお言葉。
「理不尽なことがあると許せない人間でした」
でもそんな気持ちになる、なにかがあったはずだ。過去のDr.Yさんに。
その結果許せない気持ちになったわけだ。これは自然現象だ。
そんな気持ちになったことを責めることはないんだ。
それどころか、そのときの感情がマイナスであっても、すべては愛が変化したものだ。それを否定していると、愛から遠のく。
自分の心は全部自然そのもの、愛そのもの、宇宙そのものだ。
これはおばさんが、長年にわたって自分の心を旅して確認してきたから間違いない。旅しすぎて前世まで行ってきてしまった、そしてさらに確信した。
だから自分をいじめないでね♡
単に、そんな状況で、そんなお気持ちになったときの対処法を、そのときの自分はご存じなかったというだけだ。
対処法をご存じないやつは、嫌なヤツか?
おばさんはそうは思わない。
だって、ほとんどの人が対処法を知らないよ?教わったことないんだもん。
理不尽なめにあったときの対処法。この世は理不尽だらけなのに。
全員嫌なヤツということになっちゃうw
過去の自分を責めていることは、ないか?
責める必要は、まったくないんだ。バカなことやっちゃったとしても。
そうしてしまったのには、必ず理由がある。丁寧に見れば、ぜったいわかるんだ。
(本当は希望者には全員見てあげたい、おせっかいなんだ、おばさんは)
だから「責める」ということ自体、本当は不要なんだ。自分のことも、他人のことも。
自分を責める人は他人も責める。他人を責める人は自分も責める。
人に対する態度と自分に対する態度は同じだ。
(だから自分に厳しいのはダメなの。自分にやさしくしないと人のこともいじめるの。結局は)
責めるともうダメなの。破滅、崩壊に行っちゃうの。楽にならないの。円満解決に行かないの。
責める気持ちになることはしかたない。それだけのこと、やられてれば当たり前だから。ただ「あぁ、そんな気持ちになってるんだね」って自覚してあげるだけだ。
それで少し落ち着いたら、客観的に、いったいなにが起きていたのかを見極めることだ。
おばさん自身は長年にわたって精神的な問題を抱えながら生きてきた。
今はすっかり解決してしまったけど。子どもの頃から青春時代にかけては精神不安定で、写真を見ると、死んだ魚のような眼をしている。
もうこれ以上一歩も進めないというところまで行って、覚悟を決めて、自分の内面の湧き出る感情をありのままに感じる、受け止めるということを始めたんだ。
毎日。
もう仕事なんてできないよ。精神が重たすぎて、感情が出てきたら、ちょっと横にならないと耐えられないくらい。そのくらいエネルギーとして、たしかに「ある」んだ。感情というものは。だから扱いが適切でないと、年をとるほどに大変なことになってしまう。その感情が現実をつくるからだ。
どんな感情がたまっているのか。
例えば、支配的な上司や友人に支配されるがままやられて、許せなかった思いとか、仕事で悪魔のような顧客にあたって、精神的な虐待を受けたときの思い、親、、、親が一番根深い。なぜなら、親子関係がひな形となって、その後の人生の、その他の人間との関係性がほぼ決まるからだ。
たいていの人の親子関係は支配関係だ。だから、本当は根底で憎しみの感情がある。でもそれを自覚すると都合がわるいわけだ。親を憎んでいるなんて。
だからみんなそれを感じないようにして生きている。無意識層に押し込めて見ないようにしている。
憎しみだけならいいけれど、やっかいなことに愛してもいるわけだ。親だから。一番愛してほしかった相手でもあるわけだ。
だから根深くやっかいなんだ。親子関係は。
人生で起きたいろんなトラブルを心理面から紐解いていくと、最後親子関係に行きつくんだ。
でもこんなのも全部覚悟して、感じてあげる。湧き出るがままに。
「そうかそうか。そうなんだ。つらかったんだ。当たり前だよ」と言ってあげる。自分自身に。
感じてあげて「そうかそうか」と言ってあげる。この「そうかそうか」がけっこう効くんだ。
やることはこれだけだ。
まるで泣きじゃくる子どもを慰めるように。本当に子どもの時の自分の凍結された感情が出てくることもある。(インナーチャイルドなどという)
多くの人がこれを見ないように、そんな感情をダメなんだと否定している。
これは、自分を虐待しているのといっしょだ、自分を無視しているのといっしょだ。
これだとどんどん性格が悪くなるぞ。だっていじめてるんだから。自分が自分を。
(だから意地悪な人、性格が悪い人というのは、自分自身をいじめている人なんだ。自分に冷たいんだ。それだけだ。自分の感情を見ないで、否定して、年を重ねれば、人は相当いじわるになるw)
「そうかそうか」と感じ切ってあげることを始めると、
はじめは、わりと最近の経験から、まず思い出すと思う。
そしてその感情を全部感じ切ってあげると落ち着く。楽になる。
すると、さらに前の経験を思い出し、また感情が出てくる。。。というふうにだんだん過去の自分が出てくるの。木の年輪みたいになっている。一番外側がきれいになると、次の層というように。
こんなふうにして、過去の自分を救ってあげることができるんだ。
(おばさんは2歳、3歳までさかのぼって、ついに前世まで行ってしまったんだ。。。多くの人が前世を覚えてる状態で生まれてきてるんだと思うの。物心つく頃に忘れるというだけで)
感じてあげるだけなんだけど、それ以外にも、今の自分が「じゃああのとき具体的にどうすればよかったのか」分かっていることも超大切だ。
「今だったらこういうふうに対処できる。もうあいつにこてんぱんにやられないで済む。対処して自分を守れる!。争うこともなく、適切に、はっきり言える。離れられる。だからもう大丈夫なんだよ」、と。
じゃないと、過去の自分は安心しないの。またやられるんじゃないかって怯えて。警戒して。いつまでも怒りと不安から解放されないの。
例えばね、おばさんの例でいえば、学生時代に、正論をいいながら、私のやることにいちいち口出ししてくる友人というのがいた。
そいつはみんなをまとめるリーダー的立ち位置にいたいタイプで、人より勝っていないとイヤというヤツだった。
今にして思えば、マウンティングというやつだな。
おばさんの私生活や研究のテーマから論文の進捗状況から、将来の進路、服装に至るまで、ありとあらゆることをダメだしして優位に立とうとするのね~。
他の人にもやってて嫌がられていたけれど、なぜかそいつ権力があった。同級生なのに不思議だけど。それだけそいつにくっついていたい犠牲者意識のしもべが多かったんだわ。今にして思えば。そういうヤツラが支配者を支えているんだ。
つまり支配者だな。支配者とは、一見正しいことをいいながら、支配してくる。
おばさんは自由人なので、発言も自由そのものだ。するとそいつが正論もどきを振りかざして、いちいち否定してくる。(あ!最近のワクチン工作員も同じだなwだいたい人間がやりがちな愚かなパターンというのは決まってるんだ。これらは左脳のしわざだ)
だからつきあいたくないんだけど、少人数のゼミでは、そいつとの関わりを避けられないという状況だ。先生まで味方につけてさ。で、やっかいなのは一見、そいつが正しそうだからだ。おばさんが悪いヤツとされてしまう。
今の自分だったら、「あたしはこうするわ」と言っておしまいだw(あっさり)
なぜなら知ってしまったからだ。
相手の領域、自分の領域というものがあるんだ。
その人が決めて、その人が責任をとるならば、それはその人の自由なんだ。
あれこれ口出しすると、トラブルになるんだ。
(中略)例えばおせっかいな親。おせっかいな妻。あれこれうるさい上から目線の同僚、先輩。
これは、愛ではない。愛と似て非なるもの。おまえのためを思って、というけれど、それは支配なんだ。
また、逆に、私の視点で。
他人がずかずか侵入してきたら、どうする?
私は、まずは「いやだ」という感情を感じる。これを否定してはならない。多少顔に出てもいい。
そして離れる。ひとこということもある。
正論で来られると、それが支配であっても言うこと聞かなきゃならないような気がするのね。でも実は相手が不当にわたしの自由に侵入してるの。
だから、「あたしはこうします」っていったらおしまいなの。
それでもっと大事なのは私自身が心の中で、「相手が不当なんだ」と自覚していることだ。
相手が正しくて自分が間違っているのではないか?と少しでも思っていると、もうダメなのね。この状態だと、すでに相手の支配を受け入れちゃってるだろ?心理的に。
もう心の自由を奪われているわけだ。こう感じている時点で。
やつに支配されているということだ。
でもこんな状況に置かれたら、こういうことを↑知らないと、自分を責めてしまってヤツの罠にはまるのね。
だから知るということはとっても大きなことだ。「これは相手が不当だな」って。
それだけで自分自身を守れる。
今の自分も過去の自分も救ってあげられる。こうすればよかったんだよと。
もうわかって、できるようになったから、安心だからねと。
おばさんは全面的に自分の心を信じている。この法則↑にそって、人はマイナス感情になるということが分かったからだ。心がマイナスになったとき、もれなく支配が起きている。それだけなんだ。
だから、すべてはただの現象なの。
いい・悪い、ではないの。
この支配を切りくずすにはどうしようかな、ってだけだ。
だから私はいつも自分自身の味方だし、自分の心が感じることを信頼している。
否定したり責めることはひとつもないとわかったからだ。そして同時に、人の心もまたそうなんだと分かった。
そういうわけで、こんなに強気なんだw
ある意味、感情はセンサーだ。なにか、感じたならば、なにかが起きている。それはたぶん支配。そこを丁寧に見るんだ。
そして、不当な支配にあってもかわし方を知っている。だから安心していられる。
自分の救い方、まとめ
①全部覚悟して、感情を感じてあげる。湧き出るがままに。
「そうかそうか。そうなんだ。つらかったんだ。当たり前だね」と言ってあげる。
責めない!
②それで少し落ち着いたら、客観的に、いったいなにが起きていたのかを見極める。
私が相手の自由の領域に入ったのか、相手が入ったのか、
③対処する
・離れる
・自分の気持ちを言う
・「あたしはこうします」と言う
・必要な働きかけをする
などなど
だから、他人がそのようなめにあっていたら、教えてあげられる。
こういうわけなのさと。あなたがそういう気持ちになるのは当然なんだよと。
そこに自分や相手を責める要素はひとつもない。
また、マウンティングしてくる、上記おばさんの友人のようなやつも、知らないわけだ。こういうことを。(親に支配されて育っているはずだ。それでこうなっている。劣等感が異常に強く、つねに人と比較して、勝ち負けを争っている。親も支配者なんだから当然こういうことは知らない)
自分がなにしてるか、わかってないんだ。
知ったら、はずかしくなったり、自分責めたり、大変だろう。
(だから自分と向き合う準備ができていない人は、これを教えてあげると激しく反発したり怒り出したりするので注意だ。まだその人はその時期ではないということだ)
しかしな、程度の差こそあれ、だれでもこんなようなことをやっている。
そういうわけで、すべてはただ知らないがために起こる「現象」だといいたいんだ。
今のおばさんなら、相手がなにをいってきても「あたしはこうします」って言って終わりだ。
相手がその後、ワーワーいっても、心の中でにやにやしながらほっとくだろう。
そして、私を思い通りにコントロールできなくて地団駄を踏む相手を見て、快感を覚えるだろうw(か弱い乙女からサディストになってしまったんだ・・・)
でも昔はできなかったのね。知らなかったから、そういうことをやられても、表面的にはしらんぷりはしてたけど、心の中では相当にゆさぶられていたわけだ。
そのときの不当な罪悪感やら怒りやらのマイナス感情が残ってたの。
それはね、相手への恨みであると同時に、自分自身への怒りでもあったよ。なんで相手が不当なのに自分を信じなかったんだ!っていう。
(だから感情には主語がないんだろうと思うの。よく無意識には主語がないという。感情=無意識の声だ。自分も他人もいっしょなんだろう)
こんなふうに閉じ込めた過去の感情って、ちゃんと残ってるの。
それが悪さして、現在うまくいかないことの原因になっていたりするの。
で、心を感じる作業をすると、いっぱい出てくるの。そういうのが。心のおそうじだ。
ちゃんと自分を守れるようになると、過去の自分は安心して感情を出してこられるのね。
守れるようになって、「感情を出していいよ」と自分自身に言った途端、過去の自分が毎日毎日大挙して押し寄せるようになちゃったのよ。
これ、ふとした瞬間に、なにかのきっかけで、いきなり出てくるからね。
いつ出てくるかわかんないのw
出てきたときにちょっと手を休めて、感じてあげることが大切だ。
だから私は精神のバランスを崩してから何年か、そういうことに取り組んでいた時期があったの。
長い人生のなかでは、ときに仕事などを辞めて、腰を据えて取り組まざるを得ないときもあるのね、こういうことに。
学生時代のトラブルはまだ個人だからいいんだけど、仕事するようになると、チームの問題になってくるし、社会の理不尽がもっと襲い掛かってくる。
だから、こんなのを↑知ってできるようになっていないと、もう飲み込まれるがままになるだろうし、正しい間違ってるで、人とやりあうことが出てくるのも当然だと思うんだ。
仕事の場合は、「業務の責任」に焦点を当てて見ることだ。
でもシンプルなのね。基本は、
すこしずつできるところから、自分の欲求、感情を優先する、不快なら一言いう、離れる、これを実践するだけだ。
これだけなの。どんな言葉で言うと相手に楽にいえるかな~って妄想しながら練習するの。自分が楽な言葉が一番、相手にも通じるの。
だんだん上手になっちゃう。支配者から離れるのが。そうすると楽しくなっちゃう。自由になっちゃって。相手がどんなやつでも自由にいられる自分♪
すると、だんだんわざわざそういう人と一緒にいる必要ないな~と思い始めたりもする。
そして人間関係が変わって、もっとプラスの関わりができる人とご縁ができたりするんだ。職場なんかもね。トラブルで追い込まれて逃げるように退職するよりも、こんなふうに適切に対処できた!という経験をしていくうちに、しだいにいい所にたどり着けるのが理想かもね。
でも苦しくてしかたない場合は、いったん辞める。そしておばさんがやったみたいに、とことん自分と向き合う時間が必要な方も大勢いらっしゃるだろう。これは心が怪我している状態だ。そこまで行っちゃうと回復するには愛と時間が必要なんだ。
でもそうしたいならやったほうがいい。それが自分の無意識の声だ。助けてくれと言っているんだ。ちゃんと愛と時間をかけて取り組めば回復するの。
何年かかってもいいの。動けない時期があってもいいの。それもちゃんと意味があるの。
こういうのも自分自身が計画していたりするんだ。深いところで、人生のいつごろの時期に、こんな経験をして、、、って生まれてから死ぬまでのことを決めていたりするから、大丈夫なの。あとでわかるから。これがこうなって、こんなふうにつながるのか~と。苦しかったあのときは、清算するタイミングだったんだって、あとでわかるから。
聡明だから料理が上手くなる訳じゃない。
— 山田詠美 (@AmyYamada_love) June 18, 2021
聡明でない自分を認めることが出来てこそ、
料理は上手くなるのだ
そうなの。おりこうに生きなければならない、なんて思わなくていいの。
今の感情でOKなの。OKというよりも現象だから、その感情こそが答えなの。
意味があってそう感じていて、カンペキなの。感情のほうが。思考よりも。
そこを見てあげる。「そうかそうか」と感じてあげる。そして、どう対処したらいいか、自分に教えてあげる。
だから、突然話がかわるけど、
今のコロナワクチンの問題も、今、起きている現象を見る。実際の被害や現象を。
すると、エビデンスや報道(思考)と一致していないところがわかるわけだ。
みんな、心でおかしいと感じる。(感情)
同じだ。
だから感情からの素直な声は正確なんだ。
陰謀論知らなくても、死亡者数の報道くらいは目にするだろう。そしたら感じるはずなんだ。
たまに、恐れが強すぎて、感じられなくなっている方もいらっしゃる。
恐れも、人それぞれいろいろだけど、これまでの人生で、そういった恐れやマイナスの感情を見てあげていたかどうか。
それを解消するために、どんな発想をして、どう行動していたか。
医者やなにかにすがるだけで(つまり依存)、解消法を自分で見つける習慣がなかった人は、いきなり自立して問題を解決するなんて芸当はできないんだね。
ふだんからの自分の言動パターンが自分を救うんだ。
つまり、いつも自分の感情を核に、大切にして、対処していれば、安全だということだ。どんなプロパガンダがばら撒かれようと。流されない。
感情を無視してきた人ほど、派手な崩壊をする。当たり前だ。
感情を見ないと、わからないもん。なにが起きているか。
それでもね、いつか気付くまで、自分で自分を救うことができるようになるまで、そのパターンをやりつづけるんだ。その人は。何度でも。
途中で、崩壊を経験したりしながら。私自身もそうだ。みんなそうなんだ。
時間をかけて取り組みたいのかもしれないんだ。その人は。破滅を経験したいのかもしれないんだ。
感情を見て感じることが愛だ。
自分を愛することができると解決していくから、それに気づくまで、苦しい経験をしつづけるんだ。
そういうカラクリだ。
でも自分を愛するやり方や意味がわかれば、解決して終わる。単純だ。
そこに他人責めることはなにもないのね。途中で責めたくなる出来事はたくさん起こるんだけど。自分自身が対処できればクリアだから。他人がバカでもさ。
だから他人を変えようとするより、自分が感情を感じてあげて、言ったり、離れたりできるようになれば、もう問題はほとんど起きない。
それはものすごく自分自身にやさしい。そして人に対しては、あっさりさっぱりしている。相手の自由を認めて、入らないであげる感覚だから。
(支配に生きてる人は依存するから、べったりくっついて争いあってる)
それでいて、相手の心は適切に感じられるから、心地よいんだ。
だから自分に厳しいのはダメなの。
ましてロボットみたいに感情なくしたら、もうトラブルを自力で解決することができない。感情がセンサーであり、ヒントだから。
参考:
スパルタなんかの厳しいのも全然ダメなのw
支配者と犠牲者と、SM愛好者を養成してるようなもんだw
運動部の体罰とか、厳しいのもヤバいんだ。
昨日親と日大アメフト部の井上コーチの話題になって「相手に殺人タックルをするよう指示しただけじゃなくて井上コーチ自身にもある疑惑が・・・」って言いかけたところでマッマから「知ってる。AV、ホモビデオに出てたんでしょ?変態だよ」って返答があってたまげました。
— ろくろーべる (@greenblue6960) May 23, 2018
部活で人生を狂わされるケースは、多々あります。
— aoi🔴⚪️ (@aoi88423219) December 2, 2018
・顧問からのセクハラ、パワハラ
・先輩や同級生からのいじめ
・おかしな部内規則
・土日休みなし
・朝練あり、放課後もずっと練習
精神をやられたり、怪我や熱中症の後遺症で苦しんだり、最悪死ぬこともあります。
ねえ、部活って本当に必要?
こんなのも脳の仕組みから見ると、なっとくなんだ。
脳幹が暴走すれば体罰もセクハラも変態も、なっとくなんだ。
マイナスに暴走すると、肉体的に暴力などで支配しちゃうから。
セクハラや変態にいくこともあるだろう。
(プラスの働きももちろんある。プラスに使って活躍されている方もたくさんいる)
そろそろ歯をくいしばって厳しいのに耐えて、言うこと聞かなければならないっていうのをやっても、立派な人になるどころか、反対になることに気づくときが来ていると思うんだよね。
気づいて、脳幹のスイッチを切ることだ。戦いから降りることだ。
このタイプのマッチョな脳幹タイプの人はマイナスに陥ると暴力に走るけど、本当は愛をものすごく求めている人が多い。
だから気が付いて、脳幹のスイッチを切って、感情を感じることを始めたら、ものすごく愛にあふれた方になる可能性が高いんだ。少し、人と離れた感覚に慣れてね。人との距離が近い人が多いから。相手に入らないであげるって感覚ね。
暴力&変態へ行くか、愛に行くか。
まったく正反対の人生だ。
あいつらに関しましては、「あいつら(裏側から見る社会のシステム)」のブログ記事一覧-丸顔おばさんのブログ、古い順をクリックのうえ、初期の記事よりご覧ください。
あ、あいつらは残虐であると同時に変態でもある。
それも脳の仕組みから説明がつく。爬虫類脳、脳幹の暴走してるときの現象。
あ、待てよ。あいつらは爬虫類・・・。
イギリス王室、エリザベス女王は子供を食っている。その姿を目撃したダイアナ妃は王室の精神科医に相談。近いうちに私は殺されると親族に手紙を残した。エリザベスとはEL lizard birth(トカゲの神の誕生)。心してこの動画を見よ。裸の若い男の子がバッキンガム宮殿から必死に逃げ出そうとしている。 pic.twitter.com/cij3NTWHTx
— 黒戌仁ॐ9′s∴クロ戌∵ (@kuroinutarot) April 30, 2020
私が知ってる陰謀論
— 玉鬘 (@_vivet_) January 20, 2021
・エリザベス女王レプティリアン説
・古代核戦争
・ヴァチカン悪魔崇拝者説
・天皇家vsヴァチカン説
・プーチン不老不死説
あらら~、人間であれば、なんとか改心するかもしれないけど、
人間でない方に関しては、おばさんもちょっとどうなのか、わかんないですw