丸顔おばさんのブログ

すべての問題は「心」に通ず。
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児玉誉士夫(後編)

2020-09-05 10:59:01 | あいつら(裏側から見る社会のシステム)
昨日の記事で児玉の話が出てきたからな。

この続編を書こうと思う。

前編の復習:
出自不明の右翼少年の児玉が北一輝の思想に影響され、ファシストになっていく。戦時中は笹川良一の仲介で海軍航空本部の山縣正郷を紹介され、上海に渡り特務機関「児玉機関」を設立 。ここでヘロインを中国にばら撒き、航空機を作るための資材を中国全土からかき集めた。タングステンやラジウム、コバルト、ニッケルなどの戦略物資を買い上げ、海軍航空本部に納入する独占契約をもらっていた。児玉はこの仕事でダイヤモンドやプラチナなど、1億7500万ドル相当の資金を有するに至った。このときに培った地下人脈とおクスリビジネスの関係で、裏社会に顔がきき、中国の海軍にまでにらみを利かす ことができるようになり、東久邇宮内閣では、内閣参与事務嘱託に任命された。 

こんな感じだった。しかしその後、'46年1月には、児玉はA級戦犯容疑者として巣鴨プリズンに収監される。







最後の「フィクサー」児玉誉士夫とは何者だったのか(週刊現代) @gendai_biz より転載。赤、リンク、おばさん追記。青、おばさんつぶやき。************************

小俣 '46年1月には、児玉はA級戦犯容疑者として巣鴨プリズンに収監される。これが大きな転機となります。戦時中は鬼畜米英を叫び、愛国者として生きていたはずが、収監を経て「親米愛国」という生き方を選んだ。岸信介や読売の正力松太郎らと同様、CIAの協力者になり、戦前とは180度変わりました。
佐高 A級戦犯として裁かれることを免れるため、アメリカに身を売ったということでしょう。
〈おばさんつぶやき〉
いや、もともと「あいつら」の犬として働いていたんだよ。その出自と、児玉機関やってる間の「なにか大きな力」によって守られている様子と、おクスリさばいてお金儲けしていた様子からして。
その思想もあいつらとぴったり合致する。隠れ共産主義、全体主義、表向きは過激な右翼っていうスタイル。(前編参照)


アメリカは巣鴨プリズンでの取り調べの中で岸と児玉を押さえ、自分たちの手先として二人を使おうとした。児玉は根っからの仲裁屋で、敵味方どちらにも転ぶ可能性があり、岸も「両岸」と呼ばれるほど思想が変化する。しかも能力もある。思想や主義に殉じるのではなく、機に応じて、実利的に物事を判断する姿が見て取れます
〈おばつぶやき〉
あ!こういうヤツは、現在もいるね。なんか、保守の意見を言いつつ、最後の最後、巧妙に反対に転じる議員とか。いわゆる似非右翼ってやつだけど。

工作員も。極左の中国側にいたかと思えば、いつのまにか右側の朝鮮側に移籍していたり。簡単にポリシーを変える。

言動に一貫性がなく、コロコロ思想が変化して、ずっと見てると結局なにが正しいのかよく分からなくなってきて、最後までついていくと必ず騙される、あいつらの売国的目的達成に利用される、というオチになる。
しかし、彼らに共通しているのは、日本をダメにするというミッションのもとに働いているということだ。そこはちゃんと一貫している。
そういうヤツがいるという視点で世の中や歴史を見なければだめなんだ。


髙山 児玉の「機を見るに敏」なところは、笹川良一との関係にも表れていると思います。児玉は笹川に大きな恩義を感じており、自著のなかでも、笹川のことだけはずっと「先生」を付けて呼んでいます。
しかし、巣鴨プリズンでの取り調べでは、笹川が陸軍の軍務局からカネをもらっていたことを暴露し、笹川を売っているのです。笹川は断じて受け取っていないと否定しており、こちらのほうが真実のようですが。

力の源泉は「金と暴力」

小俣 髙山さんの『宿命の子』を読むと、笹川自身は、「児玉が俺を刺したということだが、それは違うのではないか」と好意的に捉えていたという話が出てきますね。
髙山 それは「笹川先生は陸軍に自分の作った飛行場を献納した謝礼としてカネをもらったと理解している」と、児玉が言っていたからです。つまり、「ビジネスの報酬だった」として、助け舟を出している。ただ、尋問の中で笹川を売ったことは間違いない
〈おばつぶやき〉
児玉と笹川は同じ朝鮮ーディープステートあいつらとして働いていたことは間違いないと思うけど、この二人はタイプが違うなぁとおばさんは見てて思う。
笹川はお金持ちでいつも余裕があるの。
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生い立ち[編集]
1899年(明治32年)5月4日、大阪府三島郡豊川村小野原(のちの箕面市小野原)に、造り酒屋の長男として生まれる。笹川家は代々庄屋を務めた旧家で苗字帯刀を許されており、父:鶴吉は笹川家10代目当主[7]。
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こんな感じだし、競艇に目を付けて国会にまで働きかけて法律まで作って、最終的に競艇主宰の主導権を自分が握ってさ、
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日本船舶振興会(のちに正式名称は日本財団に)を創設し、会長などを務めた。そして、特殊法人化に距離を置く運輸官僚らに要職を用意したり、運輸省関連団体に寄付行為を行うなどして運輸省による監督権限強化論を押さえることで、競艇ビジネスが笹川一族の同族経営の色が深まることになった。
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儲けた金は慈善事業に使ってますとアピールしながら、売国行為をする。
貴族的で愛人もたくさんいたようだ。
そういうキャラだな。
巣鴨プリズンでもなんか、余裕があるの。こいつだけ。
他の戦犯を励ましたりしてさ。

笹川自身は、「児玉が俺を刺したということだが、それは違うのではないか」と好意的に捉えていた」という一節もヤツらしい余裕が感じられる。
べつに部下の児玉のそんなことは意に介していない。ほっほっほ。そんな感じ?w


だから、タイプが全然児玉と違っている。正反対だと感じる。
児玉みたいな、底辺からはい上がってのしあがって、信頼した人物には仁義を尽くしたいってタイプ(前編参照)から見たら、笹川はなんか、鼻につくかもしれないな。
そして、上司と部下みたいな関係だったらしいから。児玉、「笹川先生」って呼んでたらしい。仲間だけど支配関係だな。
まぁ、笹川が軍から報酬もらってたくらいのことは言ってもいいだろうと思ったのかもしれないな。そういうビジネスしてたわけだし。
児玉自身のCIAのしもべとしての今後の信頼も高めることができるし。



小俣 なるほど。
髙山 しかも、その尋問の後、「まだ話したいことがある」と検察官に話しかけていますが、なんとそこから先のことは記録に残っていないのです。これらを考え合わせると児玉がアメリカに対する情報屋として存在していたと断じざるをえません。
〈おばつぶやき〉
あぁ、やっぱり信頼を高めようとしているな。たくましいな。やっぱ児玉は。したたかだ。序列で考えれば、アメリカのほうが笹川先生より上なわけだから、こっちに忠誠を尽くすことを優先、と考えたな。さすがだ。ほかの戦犯が死刑の可能性に怯えていた中で、したたかに生き延びることを冷静に考えてやっている。
さすがは裏社会のフィクサーになる男だ。肝っ玉がすわっている。


小俣 そしてその後、児玉は政界のフィクサーとしての地位を固めていきます。鳩山一郎が自由党を作ったときも、現在に換算すれば数十億円にもなる結党資金7000万円を提供しています。児玉機関時代に余ったカネだそうで、児玉自身も認めている公知の事実です。
〈おばつぶやき〉
そうそう。そういう金で自由党(自民党の前身)は結党された。
児玉がおクスリで中国から搾取した金で結成された党がいまだに日本を支配しているというわけだ。だから党員も児玉みたいな似非右翼やT一教会べったりのヤカラが多いのは、当たり前であるともいえる。
この時代の延長上に現在があるのだ。このときから浄化されたことなど一度もないわけだ。



佐高 鳩山は岸と結託していたわけだから、実質的に児玉が近づいていたのは岸で、やはり岸-児玉のラインが強い。
髙山 60年安保の際には、その岸の意向を受けて、安保反対運動を抑えるための「アイク歓迎実行対策委員会」(アイゼンハワー米大統領を安全に迎え入れる)に、稲川会など暴力団を動員していたといわれています。
児玉の力の源泉のひとつは、このような戦中戦後に培った人脈によってつくられた「暴力装置」にありました。一時、日乃丸青年隊、松葉会、住吉一家といった任侠の大同団結構想をもくろんでいたほどですから。
〈おばつぶやき〉
この記事にて1951年に、吉田茂が平和条約にもぐり込まされていた 旧安保条約 に一人でこっそり署名しちゃった件を書いた。その後、岸信介によって改定の交渉が行われ、1960年1月に岸首相以下全権団が訪米、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領と会談し、新安保条約に調印した。それから大統領の訪日も決まったんだけど、岸が帰国後、左派の抵抗にあい、激しく紛糾することになる。
国会もだけど、民衆も激しく抵抗し、それに共産主義も混ざって大変な騒ぎになるわけだ。
(このときソ連の工作員も暗躍していたということだから、いつだって政権への批判が高まり民衆の反対運動がさかんになると、共産主義の工作員が影で扇動するというパターンは、今のコロナ下で起きているANTIFAデモも同じだ!)

それで、学生運動なんかも激化していくわけだが、

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その結果、「民主主義の破壊である」として、一般市民の間にも反対の運動が高まり、国会議事堂の周囲をデモ隊が連日取り囲み、闘争も次第に激化の一途をたどる。反安保闘争は次第に反政府・反米闘争の色合いを濃くしていった。これに対して首相岸信介は、警察と右翼の支援団体だけではデモ隊を抑えられないと判断し、児玉誉士夫を頼り自民党内のアイク歓迎実行委員会委員長の橋本登美三郎を使者に立て、暴力団関係者の会合に派遣した。松葉会の藤田卯一郎会長、錦政会の稲川角二会長、住吉会の磧上義光会長、「新宿マーケット」のリーダーで関東尾津組の尾津喜之助組長ら全員がデモ隊を抑えるために手を貸すことに合意した。
さらに右翼と暴力団で構成された全日本愛国者団体会議、戦時中の超国家主義者もいる日本郷友会、岸首相自身が1958年に組織し木村篤太郎が率いる新日本協議会、以上3つの右翼連合組織にも行動部隊になるよう要請した。当時の「ファー・イースタン・エコノミック・レビュー」には「博徒、暴力団、恐喝屋、テキヤ、暗黒街のリーダー達を説得し、アイゼンハワーの安全を守るため『効果的な反対勢力』を組織した。最終計画によると1万8000人の博徒、1万人のテキヤ、1万人の旧軍人と右翼宗教団体会員の動員が必要であった。そこで岸首相は創価学会の会長に就任したばかりの池田大作に対し、大阪事件の裁判で無罪を言い渡すという交換条件を示して協力を依頼したが、これは断られたという[5]。彼らは政府提供のヘリコプター、小型機、トラック、車両、食料、司令部や救急隊の支援を受け、さらに約8億円(約230万ドル)の『活動資金』が支給されていた」と書かれている。
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いやー、激しいね。首相がじきじきに児玉にお願いしたんだね。
創価学会の池田先生まで出てきちゃったw
T一教会とS学会はいつだって表と裏の関係だからな。


佐高 たしかに児玉の暴力装置には恐ろしいものがありました。'71年に竹森久朝さんが『ブラック・マネー』という本で児玉のことを書きましたが、販売直前に児玉の手下が乗り込んできて、販売中止に追い込まれた。当時はまだ声を出して児玉について語れる時代ではなかったのです。恐ろしい、闇の存在でした。
〈おばつぶやき〉
妨害って昔からあったんだろうけど、このころは手下が乗り込んでくるんだから激しいね!
最近も日本会議の暴露本が販売差し止めの妨害にあったりしてるけど、「申し入れ書」が出版社に届いたってことだから文書が来ただけのようだ。
当時は、893さんが直接乗り込んできたんだもんね。
すべてにおいて、現在よりも体温高めって感じ!w


しかし一方で、先ほども言った通り、周囲が恐ろしいと思い込むことを利用し、その虚像を膨らませていた節もある。
小俣 児玉を師とする右翼団体・青年思想研究会の高橋義人が、「児玉のことをフィクサーと呼ぶけれど、児玉は自らフィクサーになったわけじゃない。片づかないトラブルを『片づけて欲しい』と頼みにきた人間が、児玉をフィクサーにしたんだ」と言っています。言い得て妙だと思います。
髙山 カネを遣うのがうまかったのも才覚ですね。
小俣 児玉は現在に換算すると何十億円という単位でカネをかき集めたかと思うと、自分で使うところは使い、余ったお金は気前よく仲間に分け与えていたのでしょう。それがいずれ自分の利益になるという計算もあったと思います。
これは、田中角栄と同じ構造です。余剰金を配って自らの地位を高めていき、それでまた集金力をつける彼らを褒めたたえるのは、みんなその恩恵に与った人たちだと思っています。
髙山 ロッキード事件の起訴状によると、児玉は総額十数億円のコンサルタント料をロッキード社から受け取っています。それを知った笹川良一は、「児玉君、君は何億円もロッキード社からもらっているそうじゃないか。それを秘書のせいにするなんて世間には通用せんぞ」と怒鳴りつけたそうです。やはりほかの右翼とは違う「実利の人」の匂いがします。
佐高 そのロッキード事件によって彼がアメリカの手先だと発覚しました。
〈おばつぶやき〉
ロッキード事件は、田中角栄氏があいつらに金を握らされて失脚させれた事件。
なぜハメられたかというと、あいつらの意向を無視して中国と国交を結んでしまったから、それから、あいつらを忖度しなかった石油政策と理解している。
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そんな時だ。中東からの帰途、米国務長官、キッシンジャーが日本にやってくる。11月15日。午前11時から行われた角栄との会談ではまさに「息が詰まるようなギリギリのやり取り」だった。
「国務長官ご就任おめでとうございます」。和やかだったのは冒頭だけ。キッシンジャーはすぐに切り込んできた。「米国と一緒にイスラエルの味方をしてくれとまでは言わない。ただ、アラブの友好国となりアラブの味方をするのはやめて欲しい」
しかし、角栄がひるむことはなかった。そしてピシャリ。「日本は石油資源の99%を輸入、その80%を中東から輸入している。もし輸入がストップしたらそれを米国が肩代わりをしてくれますか」――。キッシンジャーが一瞬黙る。すかさず角栄が「そうでしょう」。
そのうえで畳みかけた。「アラブにある程度、歩み寄った対応をせざるを得ない、日本の立場を説明するためアラブ主要国に特使を派遣する準備を進めている」。日本はこれまで通り同盟国である米国との友好関係を維持しながら、石油資源については独自の外交を展開せざるを得ないことを毅然として説明したのだった。
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角栄、かっこいいな。
最近、改心してトランプ外交を影で支えているなんていう噂を聞いたが、どうかな?グアンタナモ刑務所に入りたくないんだろうなw
こんなふうに日本の国益のために、あいつらにたてつくと、すかさず罠にハメられることとなる。
そこで、児玉登場。
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さらにその後公聴会において、ロッキード副会長アーチボルド・コーチャン(英語版)と元東京駐在事務所代表ジョン・ウイリアム・クラッター(John William Clutter)が、日本においてロッキード社の裏の代理人的役割をしていた児玉に対し1972年(昭和47年)10月に「(全日空へL-1011 トライスターを売り込むための)コンサルタント料」として700万ドル(日本円で21億円あまり)を渡したこと、次いで児玉から、小佐野やロッキード社の日本における販売代理店の丸紅などを通じ、当時の首相である田中に対して5億円が密かに渡されたことを証言した
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まずは、あいつら、児玉に金を渡し、その後何人かの人物を介して、最終的に角栄さんに金がいくように罠を仕掛けた。

この証言によって、児玉がCIAの犬であったことが日本中に知れ渡る。

そして、あいつら、なんと、自分たちが田中首相をハメたと認めている。
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ロッキード事件はアメリカ当局が仕掛けた陰謀だ、という説がある。 ホワイトハウス在住記者ジュリー・ムーン(文明子)がヘンリー・キッシンジャー国務長官に「ロッキード事件はあなたが起こしたんじゃないんですか?」と問いただしたところ、キッシンジャーは「オフ・コース(もちろんだ)」と答えている 

中曽根康弘は自著で、事件当時のジェラルド・フォード政権の国務長官であったヘンリー・キッシンジャーが東京に来た際、『ロッキード事件をあのように取り上げたのは間違いだった』と中曽根に語り、「キッシンジャーはこういうことはやるべきでなかったと反対したらしい」と記述している。さらに同著では「ロッキード事件の原点は角栄の石油政策にある」とも述べている 
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中曽根康弘のような日本の大物あいつらは、さすが、本の中でさりげなく、あいつらをかばっている。反対したらしい、と。

だから、ロッキード事件はあいつらの謀略であったことは確定だ。


小俣 児玉を取り調べた東京地検の松田昇検事は当初、児玉はロッキード社からカネをもらっていることを否定するだろうと考えていたそうです。山本五十六連合艦隊司令長官を太平洋で撃ち落としたのはロッキード社の作った戦闘機。
「海軍の大西門下だった児玉がカネをもらったことを明らかにするはずがない」と思っていた。でも児玉はあっさりと認めたんです。驚いたと言っていました。
〈おばつぶやき〉
終戦後、特攻産みの親、大西中将 が自決するとき、児玉も一緒に死のうとした。(前編参照)
しかしそれは、日本に対して申し訳ない、などという罪の償いの気持ちからでは絶対なかっただろうとおばさんは思っている。
あいつらに忠義を尽くすためにはどんな悪でもやってやる。そのために自決しなければならない結果になったならばそれも本望。仲間が逝くなら自分も逝く。
そういう感じではないだろうか?
(この大西中将は本当はどういう人物なのか、非常に興味がある。)

だから、あいつらから金をもらったことをあっさり認めた。
ええ、売国奴ですから。そんな開き直りの気分か?
それとも笹川先生に言われたから?「秘書のせいにするなんて世間には通用せんぞ」と怒鳴りつけた」らしいから。

とにかく
自分がやったと児玉はあっさり認め、キッシンジャーもあっさり認めた、と。

手下が自白しちゃったから、親分のキッシンジャーも認めることにしたのかな?


本当に児玉というのは矛盾を抱えた不思議な人です。一番驚いたのは、愛国者で右翼でありながら、「天皇に戦争責任がある」と大森実さんのインタビューに明確に答えていることです。
佐高 矛盾といえば、『橋のない川』を書き、解放運動に積極的だった作家の住井すゑの護衛を買って出たこともありました。普通、解放運動といえば左翼のものというイメージがありますが、児玉は運動に共鳴したんでしょう。住井が「いらない」と断っても、押しかけて警護をしていた。
〈おばつぶやき〉
現在も、あいつらと解放同盟の方たちは協力関係にある。
参考:

矛盾でもなんでもない。
児玉のルーツや抱えている思いをおもんばかってやれば、すぐに納得だ。

もともと天皇のことも大切になど思っていないだろう。
若いころ、北一輝の思想に影響されていたのも(前編参照)、あいつらのやりたいファシズムとして使えると思ったからではないだろうか?


小俣 日韓正常化のとき、かつて朝鮮人に歯を折られたことを恨んで彼らに冷淡だった大野伴睦に「関東大震災の時には日本人が大量に朝鮮人を虐殺している。歯ぐらい気にするな」と言っている。これも意外ですよね。
〈おばつぶやき〉
意外でもなんでもない。児玉の本心だろう。彼は日本人ではありえない。日本を恨んでいると感じる。それが、彼の一生をとおしてしてきたことに貫徹されていると思うのだが?


佐高 ロッキード事件発覚によって、「黒幕」として膨れ上がっていた児玉のイメージも剥がれていきます。同年に、前出の竹森さんが『見えざる政府 児玉誉士夫とその黒の人脈』という書籍を出しましたが、児玉側から目立った妨害はなかった。事件によって、児玉がタブーの位置から引きずり降ろされたわけです。
小俣 それを契機として、暴力装置を持って企業や政治に影響を与える存在は消えていきます。それをフィクサーと呼ぶのなら、児玉誉士夫は「最後のフィクサー」だったのではないでしょうか。

〈おばつぶやき〉
いや、フィクサーはまだいるでも児玉に比べたら、だいぶ小物だ。
それも時代だな。これでもすこーしずつ浄化がされてきたんだ。

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児玉へ
おばさん、おまえのことを調べていて、おまえの闇の部分にどんどん引き込まれていったよ。
まったく、おそろしく肝がすわっている。
闇そのものなのに、仕事ができる。情に篤いが情に流されないしたたかさと判断力。それでいて仁義を貫く。
そんなやつだな?おまえ。
一度、本物に会ってみたかったよ。
今回は、ざっとおまえさんの一生を書いてみたけど、いまだにおまえの舎弟たちが各界でご活躍中だな?
今度その方たちにもフォーカスしてみたいと思う。
最近死んじゃったこの人↓もあんたの運転手してたんだって?
まったくおまえさんの弟子はみんな体温高めだな!w


児玉、おまえ、死ぬとき、なにを思っていたんだ?
悔いはないか?日本に対して、おもいっきりやってやったか?気はすんだか?

笹川先生がおまえさんの通夜に駆けつけてきてくれたってな。

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その日は故郷を思わせる雪が降り、東京は雪原に変わっていた。
 1984年1月17日に72歳で亡くなった児玉氏の通夜は等々力の自宅で執り行われた。自宅前では児玉氏を慕う若者たちが道の両脇に整然と並び、弔問客を迎えていた。
笹川氏の友情
 不思議なことに親交ある政治家の姿は一人としていなかったが、源田実氏の姿だけは印象に残った。笹川良一氏はこの時、棺の中の児玉を覗き込み、周囲に響き渡る声でこう言い放った。
 「見たまえ、児玉君。君の潔白は見事に証明された。あたり一面、真っ白な雪だ」  笹川氏は、いつも児玉氏に対し「児玉君」と呼んでいた。
 笹川氏を芝居がかっていると言ってしまえば、それまでだが、ロッキード事件で検察の手が真綿で首を絞めるように迫る中、忸怩たる思いで冥界へと旅立った児玉氏の心情を思えば、あの世で児玉氏は笹川氏の友情を有難く思ったであろうことは想像に難くない。何よりやるせない思いの親族に対する大いなる励ましになった。
 私も参列者として、武道大学理事の大平光洋氏と一緒にこの現場に立ち会った1人だ。応接間に通された私は、源田氏や右翼の大物が陣取る中、部屋の片隅で立ったまま見守っていた。また、棺の中の児玉氏の胸の上に短刀が置かれていたのを覚えている。
岸首相を全力で支える
 児玉氏のことを、「右翼を口実にして汚い金を貯め込んだ腐った外道の大物」という輩がいるが、田中角栄氏同様、金を政治のために使った一側面しか見ていない者達の言い草だ。
 例えば、安保改定を控えた岸信介首相を児玉氏は、全力で支えている。この時、岸首相を追い詰め、協力を拒むばかりか、政権を投げ出させようと迫っていた河野一郎氏や大野伴睦氏に児玉氏は眉をひそめている。児玉氏は河野・大野氏のパトロンでありながらだ。
 それはひとえに、児玉氏が権力掌握だけの政治的野望より、国家の安泰を優先すべきだと腹を決めていたからに他ならない。安保改定こそは自主防衛がかかった国家の大事だった。
 こうした覚悟は終戦時、神風特別攻撃隊の創始者・大西瀧二郎の割腹自殺に児玉氏が駆けつけた時、その腹に据えられたような気が私にはしてならない。
大西瀧二郎の割腹自殺
 大西氏は児玉氏に「君がくれた刀がなまくらだから、死に切れなかった」と冗談を言い、一緒に死のうとした児玉氏に「若い人は生きなきゃならん。生きて新しい国を作るんだ」と諭した。それが大西氏の児玉氏に対する遺言状だった。
 大西は特攻隊を送り出し、多くの若者を死なせた全責任を取り割腹自決したが、生前語っていた「死ぬ時はできるだけ苦しんで死ぬ」との言葉どおり、介錯無しの割腹自殺を遂げ、15時間あまり苦しんで死亡した。
 児玉氏は戦後、鳩山一郎が自由党を作る時、政治資金として1000万円をポンと出したり、政治フィクサーとして政界の裏役を務めるが、政商といった次元の人物でなかったことだけは確かだ。
 児玉氏の弔いの日、人は黒装束で臨んだが、天は白衣で臨んだ。それを読み取った笹川良一氏の眼力の鋭さには頭が下がるが、何より児玉氏と心情を一にするものがあったからこそできたことだ。
【プロフィール】
下地常雄 しもじ つねお
 沖縄出身で歴代米大統領に最も接近した国際人。1944年沖縄宮古島生まれ。77年に日本経営者同友会設立。93年ASEAN協会代表理事に就任。レーガン大統領からオバマ大統領までの米国歴代大統領やブータン王国首相、北マリアナ諸島サイパン知事やテニアン市長などとも親交が深い沖縄出身の国際人。テニアン経営顧問、レーガン大統領記念館の国際委員も務める。また、2009年モンゴル政府から友好勲章(ナイラムダルメダル)を受章。東南アジア諸国の首脳とも幅広い人脈を持ち活躍している。

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