不条理への復讐という普遍的な心情を描き最後に愛へ。
不条理にいらだつ人々はいつの世にも存在し、共感を呼び起こす。それが復讐を叫ぶならなおさらだ。
ドストエフスキーの小説の登場人物の抱えている欠点はときどき欠点と思えないこともあって、それで彼らの欠点に百パーセントの同情を注ぐことができなくなってしまうのだ。 P276「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」上巻
作者もおそらく . . . 本文を読む
エピグラフが小説の方向性を決める。
よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。(ヨハネによる福音書。第十二章二十四節)
登場人物のそれぞれが一粒の麦となり実を結んでいく。
①ゾシマの兄→ゾシマ→アリョーシャ
②アリョーシャの母、ゾシマ→アリョーシャ→ . . . 本文を読む
人として離れられない俗物性と聖性の両面を描く。
子どもが領主の大切な犬に石を投げて怪我させたことが領主の怒りを買い、翌早朝、寒い中でその子の母親を含めて領民を並ばせて見学させ、その前で子供を裸にして逃げろとけしかけ、領主が猟犬に追えと命令し、犬たちが子供をずたずたにして殺す。母親はその残虐な光景をただ見ているほかはない。イワンがアリョーシャに、領主は退役将軍で農奴制度廃止も意に介せずで領民の生死 . . . 本文を読む
読み終わっても多くの謎を残すテクニック。
一見意味不明の言葉や行動を読者にいろいろと考えさせる。さらりと読み飛ばすがよく考えてみると深い意味を持つ。現代の小説ではついてきてくれるかどうか不明の、大作家ならではの高度のテクニックかもしれない。
「大審問官」はイワンがアリョーシャに語って聞かせる彼の創作になる物語だ。舞台は15世紀、スペインに降臨したキリストに対して大審問官は捕えて火あぶりの刑を宣 . . . 本文を読む
イワンが発狂するまでの実に周到な準備。
イワンは最後に発狂しおそらく狂死する。高度の知能を持った無神論者、読者にもある種の説得性を持った無神論者の悲惨な死を描くために実に周到に話を紡ぐ。
「明日はいろんな人に頼んでお金を手に入れる。だが、若し、誰からも借りられなかったら、君に約束する。イワンが家を出ていきしだい、親父の家に出かけて行ってやつの頭をぶち割り、枕の下の金を手に入れてみせる。&hel . . . 本文を読む
バディ小説は人物を多面的に描くから面白い。
私生児であるかもしれないスメルジャコフを合わせると4人の兄弟の関係を描く。これは4人のバディ小説だ。バディ小説の面白さがふんだんに盛り込まれている。しかしバディ小説であるだけではない、以下のようなキリスト教圏では引き付けざるを得ないテーマが見事なテクニックで描かれている。だから面白いのだ。
そして登場人物を対のバディとして表現する。
アリョーシャ、 . . . 本文を読む
公正世界仮説は世の中は公正で安全で秩序のある世界だと信じたい人々の認知バイアスであり、人間の行いに対して公正な結果が返ってくるものであると考える思い込みだとの仮説だ。世の中が理不尽で不合理なものだと知るとそれを社会システムのせいと考えず被害者の落ち度だとあきらめる傾向がある。つまり人々は世界を予定調和だと考えたい傾向があるという。
カラマーゾフの兄弟でイワンは予定調和を否定する。これは公正世界仮 . . . 本文を読む
Netflixで見る映画に立て続けに二本も「選ばれし人」が登場した。そして「選ばれし人」は何をしても許されるというセリフが飛び出した。「ザ・ファミリー 大国に潜む原理主義」と「the chosen one 選ばれし人」だ。
脳裏にカラマゾフの兄弟の次男イワンが浮かんだ。イワンも同じセリフを吐いている。そしてドストエフスキーはイワンの狂死を暗示している。
キリスト教の原理主義の思想と危険性をドス . . . 本文を読む
松岡正剛の千夜千冊1300夜で梵漢和対照・現代語訳 法華経|上・下を取り上げ、その中で次のことを記している。長い間「ドストエフスキーが常不軽菩薩のことを知っていれば、すぐに大作の中核として書きこんだはず」と。
もしもドストエフスキー(950夜)やトーマス・マン(316夜)が常不軽菩薩のことを知っていれば、すぐに大作の中核として書きこんだはずである。そのくらい、断然に光る(なぜ日本文学はこの問題を . . . 本文を読む
かつて「カラマーゾフの兄弟」メモ その9 大審問官で以下のように書いた。しかし重大なことを見逃していたようだ。つまり「大審問官」で記されるキリストと大審問官はあくまでもイワンの考えるところのキリストと大審問官であり、ドストエフスキーの考えではないという事だ。
ここは大方の読者が迷うところなのではないか。(お前だけだ、そんな読み方をしたのはとの反論が聞こえてきそうだが)しかし狂死を示唆されるイワン . . . 本文を読む
https://blog.goo.ne.jp/kkaizo/c/195ba5f2ef5ae9401d60383c69148379を読んで浮かんだ疑問をメモして置く。しかしこのブログの筆者はなんと深くこの作品を読んでいるのだろうと感心する。
以下は頭に浮かんだ疑問で、このブログ作者に対する疑問でないのは言うまでもない。
「自由な知恵と、科学と人肉食の時代が、さらに何世紀か続く」ここで人肉食の時代 . . . 本文を読む
かつて拙ブログで
ゾシマ長老がドミトリーに拝跪するシーンがある。原罪意識をもつドミトリーに高貴な精神を見出すとともにその原罪意識故に凄まじい苦悩を予知して共感する複雑な思いがこの跪拝だろう。カラマーゾフの兄弟 3
と記した。凄まじい苦悩を予知して共感する複雑な思いと漠然とした感想を記しているのだがあるブログhttps://blog.goo.ne.jp/kkaizo/e/fb3a2dce85 . . . 本文を読む
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59240
近藤大介氏はカラマゾフの兄弟ゾシマ長老の悲観とユヴァル・ノア・ハラリの楽観を比較している。ハラリの楽観は「2010年には肥満とその関連病でおよそ300万人が亡くなったのに対して、テロリストに殺害された人は、世界で7697人」という数字に基づいている。戦争の恐れはあるが現実に戦争は起きていない。ゾシマ長老の悲 . . . 本文を読む
司馬遼太郎とドストエフスキー、あまりに異なる作風だが作品中には互いに交信しあっているように感じられる一文があった。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」では竜馬は以蔵に辻斬りされるがその理由を尋ねると、老父が死んだために江戸から一人で急遽戻ってきたという。竜馬はそれを聞き、
「ぜんぶで五十両ある。おれは幸い、金に不自由のない家に育った。これは天の運だ。天運は人に返さねばならぬという。おれのほうはあとで国 . . . 本文を読む
最終的にカラマーゾフ家の父フョードルは殺され、三兄弟の二人までが不幸な結末を迎え、三男アリョーシャのみが未来に向かって人生を歩みだす雰囲気をかもし出してこの長い物語りは終わる。長男ミーチャは父殺しの冤罪でシベリア送りに、次男イワンは頭が狂ってしまう。ひょっとして兄弟かもしれないスメルジャコフは首をくくって自殺する。まさに呪われた一族の物語なのだ。
作者ドストエフスキーはこの後編小説を準備して . . . 本文を読む