まさおレポート

新生児との生活 その2


視力 新生児は強度の近視で乱視だという。0.001位だとか、新生児に成り代わって見てきたような事が書いてある。言葉をしゃべれない新生児の視力をどうしたら調べられるのか。MRIで脳の働きを観察することによって調べることができるらしい。見えていると大脳の視覚を司るところが活性化する様が見えるらしい。しかし近視はそれで分かるとしても乱視はどうなのか。MRIでいったいどうやったら乱視が認識できるのか。ハードは大人並なのだがソフトが追いついていないとも言う。それなら乱視も納得だ。ソフトが十分でないとコンテンツもゆがんでしまうことはパソコンのソフトの連想で容易に分かります。

顔を近づけると新生児もその方向に目を向けるので、見えているのは分かる。しかもよく見ようとしてまぶたを開けて目をみはる。しかし少し離れると目で追えなくなる。日に日に目の動きが活発になってきている。こうしてソフトが完成していくのか。いや完成していくと言うより、ソフトの機能は元々あるのだが、現実の世界にソフトをあわせるべく、調整・チューニングしているといった方がふさわしいようだ。

臍の緒 この年になるまで出産直後に臍のところで切断するものとばかり思い込んでいた。切断する医師か助産婦さんの腕が悪いと出臍になるとばかり信じていた。しかし新生児の臍には臍の切れ端が三センチばかりくっついている。いったいこの黒っぽいものは何だ ???が頭の中を行列するようだ。臍の緒は出産に立ち会った看護師さんがガーゼに包んで手渡された。そうするとこの黒っぽいものはどうしてくっついているの? おそるおそる看護師さんに聞いてみるとこの黒っぽいのは自然に獲れるのだという。その通りで退院後3日したらぽろりととれた。

32年前の長女の時には臍の切れ端を見るチャンスはなかったらしい。そのためにこんな基本的な事を改めて学習することになった。犬や猫、その他ほ乳類の臍も母親が臍の部分をかみ切るものとばかり思いこんでおり、それにしても寸分違わずかみ切ることに何の疑いをも持たなかったとは。(知らないのはおまえだけだとの声が聞こえてきそうですが)

沐浴 大人が風呂にはいることを入浴といい、新生児は沐浴という。いったいいつからこんな使い分けができたのだろう。沐浴は本来宗教的な意味で体を清める事をさす事は、インドのベナレス河での「沐浴」などでよく知っている。新生児も沐浴の言葉の響きは大変ふさわしいと思うのだが、入浴でもよかったのになぜでしょうか。新生児に「沐浴」をさせてみるとこの沐浴の語を使う意味が分かった気になりました。

新生児を湯につけてガーゼで体を洗ってやりますが、同時に頭もガーゼで湯を浸して洗ってやります。頭を湯であらう事が沐浴の沐の意味だそうです。ちなみに浴は体を浸して清めることだそうです。たしかに大人は風呂の湯の中では頭を洗う人は少ないですね。私は自宅の風呂ではシャンプーを使わないので湯船で頭も洗いますが、これは入浴と言うより沐浴と言うべきなのでしょうね。
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