まさおレポート

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紀野一義の研究25 観世音と観自在

2021-12-11 | 紀野一義 仏教研究含む

紀野一義氏のyoutube講演 観世音と観自在からの断片的メモです。


観世音と観自在について紀野一義氏は次のように話す。

音とは人が動くことだ。声が聞えるとは巡り合いがなければならない。観世音とは出会い、巡り合いでもある。

自分が自分を救うのではない、ほとけが自分に降りてきて救うのだという。自力も他力も根本のところでは差はないと言いたいのか。

自分の力ではないがしかし自分の力である。これを冥加とも言う。ほとけに背中を押されていることだと。


三獣渡河について。

ウサギ、馬、象の河の渡り方と業について述べている。

ウサギは浮いて泳ぐ。馬は体を沈めて泳ぐ。象は河の底に足をつけて渡る。(徹底はここからきている)

三乗をそれぞれ表すとの説明があるがそれには触れず業との関係を述べている。

ウサギは業が浅いのだが、業の軽い人は流されてしまうことがある。

業が重い人は先祖代々の業がのしかかっているので重い、だから足を河底につけて歩まねばならない。苦労は多いが着実に悟りの道へと進むという意味だろうか。(聴き返す必要あり) 

深い業は深い願いと深い縁で救済されるとも。深い縁、つまり人生での出会いの重要性を説く。


坂村真民さかむら・しんみんの詩を引きながら人間は追いつめられないと真剣勝負にならないという。

弟子もこれはと思うものには厳しく追いつめなければいけないという。

一方で

「親だからわかっていると思うと大間違いであり、子は親を憎むはずがないと考えているとだめだ」

このあたりの匙加減の難しさを説く。

氏の体験から本を書くときも追いつめられるときにいいものが書けると。「人間はね考えないと早く年取って早く死ぬんですよ」

氏は俺が書かなきゃ誰が書くかと思って書いている。だから苦しくても本当は楽しいとも。

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