紀野一義氏のyoutube講演メモです。
下書きをして書き直してそしてだんだんだんだん名文に仕上げていったというのは大体人の心をうたない。
日蓮という方は実際にその顔が見たくなるようなお坊さんであった。
日蓮上人の場合は悲しきに涙嬉しきにも涙、涙をこぼしっぱなしであった。反対に涙をこぼさなかったのは親鸞上人だがだからと言って情がなかったわけではない。
日?が彫刻した像を見ていると涙に洗われた目だと思います。
四条金吾にあてた手紙で実にこまごまと具体的に注意を促している。
男っぷりがいいし、弟子になってからの態度がすばらしい。
そんな馬鹿なことをしてはいかん。霊山浄土で釈迦に真っ先に報告する。
金吾が閉門中に主君の江間の四郎が病気になったとき金吾を呼びにきた。金吾は身延に馬を飛ばして助言を願った。懇切丁寧な手紙を送っている。
仕方がないと言う風にして主君のところに行きなさい。髪を濡らして閉門していたようにしていきなさい。それでも敵に狙われるぞ気をつけなさい。
金吾が薬を出して治った。そして金吾の勘気が解けた。
金吾が越後へ転地を命ぜられた。
おまえは越後へいってはならん、殿様よりも大事なものは日蓮上人と父母だと主君にいえと。
またあるときは頼基の主君への陳情を日蓮上人が代筆した。なるべく大勢の人が知るように騒ぎ立ててだせと。騒ぎが大きくなればなるほど身が安全になる。許さざるを得なくなる。
夜はどんなことがあっても外にでてはならん。腹巻鉢巻をして信頼のおける家で鉢巻を外してから行きなさい。
酒を勧められてもなんとか言って吞まないようにしなさい。夜遅くなって出仕するときは言を左右にして時間を変えろ。
弟たちには小遣いに不自由のないようにしなさい。弟たちは四条金吾が殺されるときは一緒に殺される人間だ、だから普段から情けをかけておくようにしなさい。
女たちが間違いごとをおかしても咎めてはならぬ。咎め立てすると油断が生じる。
などと自分の弟子に対して至れり尽くせりの注意を与えて気を配っている。四条金吾は実に忠実に守っている。
四条金吾は翌年に闇討ちに会う。そのときに暗いところに行くときは下人に探らせてから行ったので暗殺から逃れることができた。
四条金吾はいつでも自分の命を投げ出しても構わないと言う気持ちを持っていたらしい。
後に四条金吾が身延の日蓮上人にお会いしにやって来たことがある。身延から帰るとき無事に帰るか心配でしょうがない。向こうからやってくる人に尋ねている。
日蓮上人が61歳でお亡くなりになるとき金吾は52歳、出家し67歳で亡くなっている。
日蓮上人は弟子に情が深い、それこそ毎日お顔を見ていても飽きない人であったろうと。
<iframe style="width: 120px; height: 240px;" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=amazonasomasa-22&language=ja_JP&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=B0BHJB4W65&linkId=431198e753f635a31bf92649deab21de" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" sandbox="allow-popups allow-scripts allow-modals allow-forms allow-same-origin"></iframe>