白柴犬 愛のおてんば日記

私の成長日記、思い出日記です

残雪の国宝「足利氏ゆかりの鑁阿寺」に咲いた紅梅の花♪

2014-02-23 20:06:36 | Weblog

 

 今日も愛の日記にお越しいただき、ありがとうございます。

 

 今日の足利は晴れ。

最低気温マイナス4℃。最高気温9℃。

立春寒波も明日までらしいです。

ようやく足利が、暖かい陽射しになるようです。

 

栃木県の南西部にある足利市は、足利氏発祥の地として知られています。

足利氏ゆかりの氏寺、鑁阿寺は鎌倉時代に建立されました。

 

残雪の鑁阿寺も珍しいので、先週の日曜日に写真を撮ってきましたよ。

 

本堂に残る残雪

 

紅梅と残雪と鑁阿寺本堂

 

鑁阿寺、足利学校は市内中心部にあり、隣接しています。

足利にお越しの際、ぜひ、太平記館にもお立ち寄りくださいね。

 

残雪の太平記館

 

愛ちゃんは夕方、河原で走って今は寝ています。

 

 

まだまだコタツから出てきませんね。

 

 

厳しい寒さが続いた2月でした。

いよいよ今週で2月も終わりですね。

 

いよいよ、足利が「花のまち」になる準備を始めますよ。

愛が「愛ちゃんスマイル♪」全開で、「花のまち足利の風景」を伝える日ももうじき来ると思います。

 

愛ちゃんが暮らす町の風景を伝えたい・・・。

私達が暮らす、美しい故郷です。

 

 

拙い日記ですが、ご覧いただきありがとうございます。

 

 

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歴史と文化と花のまち 日本最古の学校がある 足利です

 

【鑁阿寺(ばんなじ)】

源姓足利氏2代目義兼が建久7年(1196年)邸内に持仏堂を建て、守り本尊として大日如来を祭ったのが始まりで、3代目義氏が堂塔伽藍(がらん) を建立し足利一門の氏寺としました。

寺伝によれば、義兼により開創され、開山は理真上人です。

周囲に土塁と堀をめぐらした寺域はほぼ正方形で、約40,000㎡あり鎌倉時代の武家屋敷( 平城) の面影を今に伝えており、 大正11年3月、「足利氏宅跡」として国の史跡に指定されています。

平成25年8月には鑁阿寺本堂が国宝指定されました。

[国指定]本堂(大御堂)、鐘楼、経堂(一切経堂)

[県指定]多宝塔、楼門、東門、西門、御霊屋、太鼓橋
、木造大日如来座像、木造金剛力士立像

 
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残雪と日本最古の学校「足利学校」

2014-02-23 12:01:12 | Weblog

 

今日も愛の日記にお越しいただき、ありがとうございます。 

 

今日の足利は晴れ。

風もなく、久しぶりに暖かく感じます。

 

数十年に一度という雪が降ったというので、雪の足利風景、たくさん撮りました。

大雪被害がわかる前、先週の愛ちゃんが暮らす町の風景です。

栃木県足利を多くの方に知って頂きたいので、紹介したいと思います。

足利は大雪被害にもくじけないで、元気でないといけません。 

 

これが、日本最古の総合大学と言われる「史跡足利学校」です。

 

長いこと日記を書いてますが、愛の日記では初登場だと思います。

愛ちゃんが入れないからです。 

残雪が残る足利学校の学校門。初登場ですよ。

愛ちゃんが暮らす町にある日本最古の学校です。

 

足利市昌平町にあるのですよ。

いかにも歴史ある町名でしょう。

 

先週の愛ちゃんとの散歩風景。

今日の日曜日、少しづつ雪は溶けてきているのですよ。

 

愛ちゃん、眩しそう。

 

桜の木の下で。

早く咲くといいね、愛ちゃん。

 

足利氏発祥の地として知られる栃木県足利市。

誇りと自覚をもって、困難にくじけず、この町の風景を伝えて行きたいと思います。

 

拙い日記ですが、ご覧いただきありがとうございます。

 

 

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歴史と文化と花のまち 日本最古の学校がある 足利市です

「東北」と一緒に頑張る「北関東」(群馬、栃木、茨城)です

日本最古の学校「足利学校の学校門」がある風景

           (栃木県足利市にて撮影)

 

【史跡足利学校】

 足利学校は、日本で最も古い学校として知られ、その遺跡は大正10年に国の史跡に指定されています。

 足利学校の創建については、奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義兼説などがありますが、歴史が明らかになるのは、室町時代の永享11年(1439)関東管領・上杉憲実(うえすぎのりざね)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、鎌倉円覚寺から僧・快元(かいげん)を招いて初代の庠主(しょうしゅ=校長)とし、足利学校の経営にあたらせるなどして学校を再興してからです。

 足利学校は、応仁の乱以後、引き続く戦乱の中、学問の灯を絶やすことなくともし続け、学徒三千といわれるほどに隆盛し、天文18年(1549)にはイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介されました。

 江戸時代の末期には「坂東の大学」の役割を終え、明治5年に幕をおろしましたが、廃校直後から有志による保存運動が展開されるなど、郷土のシンボル、心のよりどころとして足利学校の精神は市民の中に連綿として生き続け、平成2年の復原完成へとつながり、教育の原点、生涯学習の拠点として、新しい学びの心の灯をともしています。

 

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