
ナショナル・モールの北側にある、アルベルト・アインシュタイン像から
リンカーン・メモリアルを通り越し、更に南側にあるこちらの記念碑まで
やってきました。
ここはマーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King ,Jr)
のメモリアルです。
1929年1月15日、アメリカ南部ジョージア州アトランタでバプテスト派
牧師マイケル・ルーサー・キングの息子として生まれました。
彼も父親と同様に、プロテスタントバプテスト派の牧師でした。
「キング牧師」の名で知られ、アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導
者として活動していました。

1963年8月28日人種差別廃止を訴え「ワシントン大行進」が行われました。
その時の群衆は、約20万人以上が集まったと言われます。
リンカーン・メモリアルの前で行われた演説は、「I have a dream」
(私には夢がある)から始まり、アメリカを代表する名演説として有名です。

彼は1964年に、ノーベル平和賞を受賞しています。
アメリカ合衆国の人種差別(特にアフリカ系アメリカ人に対する差別)の
歴史を語る上で重要な人物の一人でもあります。

キング牧師の提唱した活動の特徴は、徹底した「非暴力主義」でした。
インド独立の父マハトマ・ガンディーに啓蒙され、自身の牧師としての素養
も手伝って一切抵抗しない非暴力を貫きました。
一見非暴力主義は無抵抗で弱腰の姿勢と勘違いされがちですが、キング
牧師のそれは「非暴力抵抗を大衆市民不服従に発展させる。
そして支配者達が「黒人は現状に満足している」と言いふらしてきた事が、
嘘であることを全世界中にハッキリと見せる」という、決して単なる弱腰姿
勢ではありませんでした。

キング牧師が先頭になり積極的に行われた公民権運動の結果、1964年に
公民権法が施行され法の上の人種差別に終わりを告げることになりました。
しかし、その4年後の1968年に遊説活動中のテネシー州メンフィスにある
メイソン・テンプルで、白人男性から銃口向けられることになります。
この時キング牧師は、まだ39歳の若さでした。
多くの功績を残したキング牧師を称え、ロナルド・レーガン政権下の1986年より
キングの誕生日(1月15日)に近い、毎年1月第3月曜日を「キング牧師記念日」
(Martin Luther King, Jr. Day)としてアメリカ合衆国の祝日としています。
場所(グーグルマップ)はこちら ⇒
リンカーン・メモリアルを通り越し、更に南側にあるこちらの記念碑まで
やってきました。
ここはマーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King ,Jr)
のメモリアルです。
1929年1月15日、アメリカ南部ジョージア州アトランタでバプテスト派
牧師マイケル・ルーサー・キングの息子として生まれました。
彼も父親と同様に、プロテスタントバプテスト派の牧師でした。
「キング牧師」の名で知られ、アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導
者として活動していました。

1963年8月28日人種差別廃止を訴え「ワシントン大行進」が行われました。
その時の群衆は、約20万人以上が集まったと言われます。
リンカーン・メモリアルの前で行われた演説は、「I have a dream」
(私には夢がある)から始まり、アメリカを代表する名演説として有名です。

彼は1964年に、ノーベル平和賞を受賞しています。
アメリカ合衆国の人種差別(特にアフリカ系アメリカ人に対する差別)の
歴史を語る上で重要な人物の一人でもあります。

キング牧師の提唱した活動の特徴は、徹底した「非暴力主義」でした。
インド独立の父マハトマ・ガンディーに啓蒙され、自身の牧師としての素養
も手伝って一切抵抗しない非暴力を貫きました。
一見非暴力主義は無抵抗で弱腰の姿勢と勘違いされがちですが、キング
牧師のそれは「非暴力抵抗を大衆市民不服従に発展させる。
そして支配者達が「黒人は現状に満足している」と言いふらしてきた事が、
嘘であることを全世界中にハッキリと見せる」という、決して単なる弱腰姿
勢ではありませんでした。

キング牧師が先頭になり積極的に行われた公民権運動の結果、1964年に
公民権法が施行され法の上の人種差別に終わりを告げることになりました。
しかし、その4年後の1968年に遊説活動中のテネシー州メンフィスにある
メイソン・テンプルで、白人男性から銃口向けられることになります。
この時キング牧師は、まだ39歳の若さでした。
多くの功績を残したキング牧師を称え、ロナルド・レーガン政権下の1986年より
キングの誕生日(1月15日)に近い、毎年1月第3月曜日を「キング牧師記念日」
(Martin Luther King, Jr. Day)としてアメリカ合衆国の祝日としています。
場所(グーグルマップ)はこちら ⇒

その歴史的にとても意味のある行動を快く思わない方もいるのでしょうが
人種を問わず誇るべき英雄と考える方も多いと想像します。
そんなアメリカ国民の思いがこの像の大きさに繋がる気がします。
大事にされていることがよくわかります。
アメリカ人でなくとも感慨深くおもわたことでしょう。
Ihaveapen……と 歌えませんね(笑)
全て英語記載で、偉業などが書いてあります。堪能なら理解も可能でしょう。
黒人への偏見は少なくなっているでしょうが、未だゼロだは無いかもしれませんね。
そんなモールを数時間掛け、特に有名な方だけですが拝見しました。