歴代誌下15章
16節「…アサ王は母マアカがアシェラの憎むべき像を造ったので、彼女を太后の位から退けた。アサはその憎むべき像を切り倒して砕き、キドロンの谷で焼き捨てた」(新共同訳)
1節「オデドの子アザルヤに神の霊が臨んだ」。レハブアムの時は、預言者シェマヤが王に神の託宣を伝えているが(12章5節)、アビヤの時には無かった。そしてアサの治世では、預言者アザルヤが主の言葉を伝えている。前章に記された10年間(13章23節see)の治世では、彼が直接主の名を呼んでいる(14章10節)。しかしこの平穏な中で、主なる神はアザルヤによって、アサに釘を刺して忠告をした。「耳を傾け、主と共にいるなら、主も共にいる。…そうでなければ主は捨て去られる」とは主信頼の基本である(2節)。「長い間、イスラエルには真の神もなく云々」は過去にあった混乱の時代を回顧し、これは士師記の時代を思わせる(3~6節)。アサ王は預言者の言葉を聴き、不徹底だった宗教改革の完成を実行した。
8節「アサはこの言葉と預言者オデドの預言を聞いて、勇気を得、ユダとベニヤミンの全土から、またエフライムの山地で攻め取った町々から、忌むべき偶像を除き去り、主の前廊の前にある主の祭壇を新しくした」。ユダとベニアヤミンの全住民、寄留者、その後北イスラエルから投降した者らと治世十五年第三の月、五旬祭(七週の祭)を守り、主を求めない者は死罪という契約を結んだ(12~13節)。その祭りに参加した全住民は大声で叫び、ラッパと角笛を吹き、誓いを喜び合った(14~15節) 。
16節「更にアサ王は母マアカがアシェラの憎むべき像を造ったので、彼女を太后の位から退けた。アサはその憎むべき像を切り倒して砕き、キドロンの谷で焼き捨てた」。11章21~22節、13章23節によると、マアカは母でなく祖母になる。預言者の言葉に勇気づけられたアサが、最後に断行したのは、マアカを退け偶像を切り倒しキドロンの谷に焼き捨てたことである。一説によれば、若年で即位したアサはマアカの権威に抗しえなかったという。「アサの心はその生涯を通して主と一つであった」とある(17節)。口語訳「正しかった」、新改訳「完全であった」、原文はシャロームで、主なる神から平和が与えられたことを指す。その後治世35年まで戦争のない時代であった(19節)。
主イエスも肉親の情に流されなかったことが、マルコ福音書3章31~34節に記されている。信仰の決断は「血肉に相談せず」である(ガラテヤ1章16節)。
日本人は、信仰を情緒的に受けとめて、家族両親の理解を求めようとする。とりわけ12~18歳の世代の入信に対して牧師や教会指導者がそうである。多分に経済的自立を問うことからであろうと思うが、それは大きな間違いである。
16節「…アサ王は母マアカがアシェラの憎むべき像を造ったので、彼女を太后の位から退けた。アサはその憎むべき像を切り倒して砕き、キドロンの谷で焼き捨てた」(新共同訳)
1節「オデドの子アザルヤに神の霊が臨んだ」。レハブアムの時は、預言者シェマヤが王に神の託宣を伝えているが(12章5節)、アビヤの時には無かった。そしてアサの治世では、預言者アザルヤが主の言葉を伝えている。前章に記された10年間(13章23節see)の治世では、彼が直接主の名を呼んでいる(14章10節)。しかしこの平穏な中で、主なる神はアザルヤによって、アサに釘を刺して忠告をした。「耳を傾け、主と共にいるなら、主も共にいる。…そうでなければ主は捨て去られる」とは主信頼の基本である(2節)。「長い間、イスラエルには真の神もなく云々」は過去にあった混乱の時代を回顧し、これは士師記の時代を思わせる(3~6節)。アサ王は預言者の言葉を聴き、不徹底だった宗教改革の完成を実行した。
8節「アサはこの言葉と預言者オデドの預言を聞いて、勇気を得、ユダとベニヤミンの全土から、またエフライムの山地で攻め取った町々から、忌むべき偶像を除き去り、主の前廊の前にある主の祭壇を新しくした」。ユダとベニアヤミンの全住民、寄留者、その後北イスラエルから投降した者らと治世十五年第三の月、五旬祭(七週の祭)を守り、主を求めない者は死罪という契約を結んだ(12~13節)。その祭りに参加した全住民は大声で叫び、ラッパと角笛を吹き、誓いを喜び合った(14~15節) 。
16節「更にアサ王は母マアカがアシェラの憎むべき像を造ったので、彼女を太后の位から退けた。アサはその憎むべき像を切り倒して砕き、キドロンの谷で焼き捨てた」。11章21~22節、13章23節によると、マアカは母でなく祖母になる。預言者の言葉に勇気づけられたアサが、最後に断行したのは、マアカを退け偶像を切り倒しキドロンの谷に焼き捨てたことである。一説によれば、若年で即位したアサはマアカの権威に抗しえなかったという。「アサの心はその生涯を通して主と一つであった」とある(17節)。口語訳「正しかった」、新改訳「完全であった」、原文はシャロームで、主なる神から平和が与えられたことを指す。その後治世35年まで戦争のない時代であった(19節)。
主イエスも肉親の情に流されなかったことが、マルコ福音書3章31~34節に記されている。信仰の決断は「血肉に相談せず」である(ガラテヤ1章16節)。
日本人は、信仰を情緒的に受けとめて、家族両親の理解を求めようとする。とりわけ12~18歳の世代の入信に対して牧師や教会指導者がそうである。多分に経済的自立を問うことからであろうと思うが、それは大きな間違いである。