日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

喜びと賛美の歌

2012-09-08 | Weblog
  歴代誌下20章 

  22節「彼らが喜びと賛美の歌をうたい始めると、主はユダに攻め込んできたアンモン人、モアブ人、セイルの山の人々に伏兵を向けられたので、彼らは敗れた」(新共同訳)

  1節「その後、モアブ人とアンモン人が、メウニム人の一部と共にヨシャファトに戦いを挑んだ」。優れた国の治世であった敬虔王ヨシャファトの晩年に再び危機が到来した。連合軍の襲来を聞いたヨシャファトは、主を求めることを決意し、ユダの人々に断食して主に求める要請をし、神殿の庭に集まった(2~5節)。
  6節「…『わたしたちの先祖の神、主よ。あなたは天にいます神、異邦人の国をすべて支配しておられる方ではありませんか。御手には力と勢いがあり、あなたに立ち向かうことのできる者はいません』」。祈りは12節まで続く。それはカナン侵略に遡って、この地の先住民を追い払って、国を建設し、神殿を建て祈りを捧げてきたこと、しかし荒れ野時代にはモアブ人とアンモン人との対決を避けてきた。しかし今彼らは攻撃してユダの人々を追い払おうとしている。この大軍を迎え撃つ力はなく、何をすべきか分からず、あなたをただ仰ぐだけであると無力を告白する。
  13節「ユダのすべての人々がその幼子も、妻も、息子と共に主の御前に立っていた」。その会衆の中から、レビ人ヤハジエルが立って「ヨシャファト王よ、恐れるな。…これは神の戦いである」と告げた(14~15節)。彼らと戦う必要はない。主が救うのを見よ。重ねて「恐れるな、おじけるな。~主が共にいる」と告げた(17節)。これは、イスラエルがカナン侵入の時ヨシュアに告げられた戦勝の宣言と同じである(ヨシャア1章9節)。 
  18節「ヨシャファトは地にひれ伏し、すべてのユダとエルサレムの住民も主の御前に伏して、主を礼拝した」。主の勝利が告げられた後、それを先取りするように礼拝と賛美が続く。大声を張り上げてイスラエルの神、主を賛美した(19節)。無力の戦い、それは神の名を崇め讃美するところから始まる。「主の聖なる輝きをたたえる者たちを任命し…軍隊の先頭を進ませ」(20節)は口語訳「聖なる飾りを着けて軍勢の前に進ませ」とある。伏兵におびえ、同士討ちをして敵は自滅した(22~23節)。セイル山で勝敗は決し、ユダの軍隊は戦地に残された戦利品を携え、竪琴と琴を奏でラッパを吹き鳴らしながら、エルサレムに凱旋した(28節)。讃美で敵を攻撃し勝利した記録も、ヨシュア記6章エリコ攻略に出てくる。この後、諸国はイスラエルの神への恐れが伝わった(29節)。
  30節「ヨシャファトの王国は平穏で、神は、周囲の者たちから彼を守って、安らぎを与えられた」。31節後半は、ヨシャファトの治世のまとめであるが、彼の父アサの道を歩んだが、しかし聖なる高台は取り除かなかった。民は揺るぎない心を神に向けていなかったとある(33節)。17章6節と違っているのは何故か。35節のイスラエルの王アハズヤと協定を結んだことは、預言者エリエゼルに譴責されるという過ちを犯すことになっている(37節)。油断があったためであろう。

  讃美こそ神の力であることを知る聖書は旧約・ネヘミヤ8章10節、新約・使徒言行録16章25節にある。