歴代誌下17章
6節「そこで彼は主の道に心を励まし、さらに高き所とアシラ像とをユダから除いた」(口語訳)
1節「アサに代わってその子ヨシャファトが王となり、イスラエルに対抗して勢力を増強した」。ユダの王位を継承したのはヨシャファトの事績は17~20章まで記されている。二五年間の在位であったが、その時彼は35歳であった(20章31節)。並行記事は列王記上22章41~51節である。列王記上では、アサが死にヨシャファト王となった後は、北イスラエルの歴史が綴られ、アハブの時の預言者の活躍が記されている(15章25節~22章40節)。
3節「主はヨシャファトと共におられた。父祖ダビデがかつて歩んだ道を彼も歩み、バアルを求めず~」。彼は先祖の神を求め、その戒めに従って歩んだとある(4節)。主は彼と共にあって、王国を堅固なものとされた(5節)。これまで取り除かれなかった「聖なる高台」を彼は取り除いたとある(6節・15章17節see)。「ヨシャファトの心は主の道にとどまって高められ」たとある(6節)。口語訳では「彼は主の道に心を励まし」とある。
7節「彼はその治世第三年に、高官たちベン・ハイル、オバドヤ、ゼカルヤ、ネタンエル、ミカヤを遣わして、ユダの町々で教育を行わせた」。五人の高官たちとこれに同行した九人のレビ人と、祭司エリシャマ、ヨラムらが、律法の書を携え、全ての町々に行き、人々に律法教育を行ったのである(8~9節)。この時代、敵との交戦はなく、ペリシテ人のもとから和解の貢物が届いた。好戦的なアラビア人からは雄羊と雄山羊がそれぞれ七千七百匹届けられた(10~11節)。また平和を維持するための勇士、兵士総勢116万人と(その中には武装兵も含まれた)、隊長や指揮に当たる勇士が選任されている(12~18節)。文武両道である。
父アサの不徹底だった姿勢を正すことになった(15章17節see)。
ただこの一時に努める one thing I do! 姿勢が欲しい(フィリピ3章13節)
6節「そこで彼は主の道に心を励まし、さらに高き所とアシラ像とをユダから除いた」(口語訳)
1節「アサに代わってその子ヨシャファトが王となり、イスラエルに対抗して勢力を増強した」。ユダの王位を継承したのはヨシャファトの事績は17~20章まで記されている。二五年間の在位であったが、その時彼は35歳であった(20章31節)。並行記事は列王記上22章41~51節である。列王記上では、アサが死にヨシャファト王となった後は、北イスラエルの歴史が綴られ、アハブの時の預言者の活躍が記されている(15章25節~22章40節)。
3節「主はヨシャファトと共におられた。父祖ダビデがかつて歩んだ道を彼も歩み、バアルを求めず~」。彼は先祖の神を求め、その戒めに従って歩んだとある(4節)。主は彼と共にあって、王国を堅固なものとされた(5節)。これまで取り除かれなかった「聖なる高台」を彼は取り除いたとある(6節・15章17節see)。「ヨシャファトの心は主の道にとどまって高められ」たとある(6節)。口語訳では「彼は主の道に心を励まし」とある。
7節「彼はその治世第三年に、高官たちベン・ハイル、オバドヤ、ゼカルヤ、ネタンエル、ミカヤを遣わして、ユダの町々で教育を行わせた」。五人の高官たちとこれに同行した九人のレビ人と、祭司エリシャマ、ヨラムらが、律法の書を携え、全ての町々に行き、人々に律法教育を行ったのである(8~9節)。この時代、敵との交戦はなく、ペリシテ人のもとから和解の貢物が届いた。好戦的なアラビア人からは雄羊と雄山羊がそれぞれ七千七百匹届けられた(10~11節)。また平和を維持するための勇士、兵士総勢116万人と(その中には武装兵も含まれた)、隊長や指揮に当たる勇士が選任されている(12~18節)。文武両道である。
父アサの不徹底だった姿勢を正すことになった(15章17節see)。
ただこの一時に努める one thing I do! 姿勢が欲しい(フィリピ3章13節)