歴代誌下27章
6節「ヨタムは主なる神の御前をたゆまず歩き続けたので、勢力を増すことができた」(新共同訳)。
1節「ヨタムは二十五歳で王となり、十六年間エルサレムで王位にあった。その母は名をエルシャといい、ツァドクの娘であった」。この並行記事は列王記下15章32~38節である。ウジヤが死んだ年預言者イザヤが召命を受けたことは知る必要がある(イザヤ6章1節)。ウジヤが重い皮膚病で実際に王の務ができなかった期間は不明だが、その晩年の約14年間、北イスラエルは激しく政権が変わっている(列王記下15章 ゼカルヤ・シャルム・メナヒム・ペカフヤ・ペカ)。そして二度のアッシリヤ攻撃を受けている。この時、南ユダが堅固な国政を取り得たのは「神の驚くべき助け」があったからだ(26章15節see)。ヨタムは「父ウジヤが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行った。ただ主の神殿に入ることだけはしなかった。民は依然として堕落していた」とある(2節)。主の神殿に入らなかった理由はウジヤと同じ轍を踏まないことを心掛けたからであろう。彼は主の神殿の上の門を建て、オフェルの城壁に多くの工事を施し、ユダの山地に町を築き、森の中に城砦や塔を築いた。アンモン人との戦いで勝利し、貢ぎ物を納めさせた(3~5節)。
6節「ヨタムは主なる神の御前をたゆまず歩き続けたので、勢力を増すことができた」。列王記下の並行記事にある北のペカがアラムと同盟を組んでユダを攻めてきた出来事は、アハズ王の時代になっている(28章5~8節)。ヨタムの時代、表面問題がなかったように見えるが、実際は決してそうでなかったことは、イザヤ1章~5章を読むと判る。
特にイザヤ5章1~7節「ぶどう畑の歌」が示される。主は公平と正義の実を待っておられた方である。
6節「ヨタムは主なる神の御前をたゆまず歩き続けたので、勢力を増すことができた」(新共同訳)。
1節「ヨタムは二十五歳で王となり、十六年間エルサレムで王位にあった。その母は名をエルシャといい、ツァドクの娘であった」。この並行記事は列王記下15章32~38節である。ウジヤが死んだ年預言者イザヤが召命を受けたことは知る必要がある(イザヤ6章1節)。ウジヤが重い皮膚病で実際に王の務ができなかった期間は不明だが、その晩年の約14年間、北イスラエルは激しく政権が変わっている(列王記下15章 ゼカルヤ・シャルム・メナヒム・ペカフヤ・ペカ)。そして二度のアッシリヤ攻撃を受けている。この時、南ユダが堅固な国政を取り得たのは「神の驚くべき助け」があったからだ(26章15節see)。ヨタムは「父ウジヤが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行った。ただ主の神殿に入ることだけはしなかった。民は依然として堕落していた」とある(2節)。主の神殿に入らなかった理由はウジヤと同じ轍を踏まないことを心掛けたからであろう。彼は主の神殿の上の門を建て、オフェルの城壁に多くの工事を施し、ユダの山地に町を築き、森の中に城砦や塔を築いた。アンモン人との戦いで勝利し、貢ぎ物を納めさせた(3~5節)。
6節「ヨタムは主なる神の御前をたゆまず歩き続けたので、勢力を増すことができた」。列王記下の並行記事にある北のペカがアラムと同盟を組んでユダを攻めてきた出来事は、アハズ王の時代になっている(28章5~8節)。ヨタムの時代、表面問題がなかったように見えるが、実際は決してそうでなかったことは、イザヤ1章~5章を読むと判る。
特にイザヤ5章1~7節「ぶどう畑の歌」が示される。主は公平と正義の実を待っておられた方である。