歴代誌下33章
12節「彼は苦悩の中で自分の神、主に願い、先祖の神の前に深くへりくだり」(新共同訳)
マナセは55年という長期の在位であった(前696~642年)が、しかしその生涯の出来事は2~11節と12~18節の二つに見ることができる。彼は主の目に悪とされること数々行って主の怒りを招いた(2節)。彼が父ヒゼキヤとは正反対の治世を行い、取り壊したバアルの祭壇を築き、アシュラ像を造りこれにひれ伏し、神殿の中に異教の祭壇を築き、魔術や口寄せ、霊媒を用いたのである(3~5節)。それは祖父アハズの時のようにアッシリアの祭儀を取り入れて国の安定を計ったからである。主の目に悪とされる事を数々行ったと繰り返し記されている(6節)。並行記事の列王記下21章では、もっと詳細に記され、預言者の警告を聞かなかった。
11節「そこで主は、アッシリアの王の将軍たちに彼らを攻めさせられた。彼らはマナセを鉤で捕らえ、一対の青銅の足枷につないでバビロンに引いて行った」。マナセの生涯の前半は、厳しい主の審判によって裁かれることになったのである。
12節「彼は苦悩の中で自分の神、主に願い、先祖の神の前に深くへりくだり~」。祈り求めた時、神はその祈りを聞き入れ再びエルサレムに帰国した。そして異国のすべての偶像を投げ捨て、主の祭壇を築いて酬恩祭および感謝の犠牲をささげ、ユダの人々にイスラエルの神、主に仕えるよう命じたのである(13~16節)。しかし聖なる高台でいけにえは、献げていたとある(17節)。マナセの治世55年は、アッシリアに取り入って安定を計っても崩れることを思い知り、へりくだって神に立ち帰る時に真の平和があることを悟った生涯だったと見ることが出来よう。まるで放蕩息子のようである(ルカ福音書15章11~24節)
21節「アモンは二十二歳で王となり、二年間エルサレムで王位にあった」。彼の治世は僅か二年であった。しかし父マナセと同じ轍を踏んで主の目に悪とされることを行って偶像礼拝に陥ったが、マナセが謙って主に立ち帰ったようなことはなく、罪に罪を重ねた(22~23節)。そして家臣の謀反に遭い、宮殿で殺害された。しかし、「国の民」(アムハーレツ=地の民と呼ばれる)によって、この謀反を起こした者は粛清されている(25節)。
12節「彼は苦悩の中で自分の神、主に願い、先祖の神の前に深くへりくだり」(新共同訳)
マナセは55年という長期の在位であった(前696~642年)が、しかしその生涯の出来事は2~11節と12~18節の二つに見ることができる。彼は主の目に悪とされること数々行って主の怒りを招いた(2節)。彼が父ヒゼキヤとは正反対の治世を行い、取り壊したバアルの祭壇を築き、アシュラ像を造りこれにひれ伏し、神殿の中に異教の祭壇を築き、魔術や口寄せ、霊媒を用いたのである(3~5節)。それは祖父アハズの時のようにアッシリアの祭儀を取り入れて国の安定を計ったからである。主の目に悪とされる事を数々行ったと繰り返し記されている(6節)。並行記事の列王記下21章では、もっと詳細に記され、預言者の警告を聞かなかった。
11節「そこで主は、アッシリアの王の将軍たちに彼らを攻めさせられた。彼らはマナセを鉤で捕らえ、一対の青銅の足枷につないでバビロンに引いて行った」。マナセの生涯の前半は、厳しい主の審判によって裁かれることになったのである。
12節「彼は苦悩の中で自分の神、主に願い、先祖の神の前に深くへりくだり~」。祈り求めた時、神はその祈りを聞き入れ再びエルサレムに帰国した。そして異国のすべての偶像を投げ捨て、主の祭壇を築いて酬恩祭および感謝の犠牲をささげ、ユダの人々にイスラエルの神、主に仕えるよう命じたのである(13~16節)。しかし聖なる高台でいけにえは、献げていたとある(17節)。マナセの治世55年は、アッシリアに取り入って安定を計っても崩れることを思い知り、へりくだって神に立ち帰る時に真の平和があることを悟った生涯だったと見ることが出来よう。まるで放蕩息子のようである(ルカ福音書15章11~24節)
21節「アモンは二十二歳で王となり、二年間エルサレムで王位にあった」。彼の治世は僅か二年であった。しかし父マナセと同じ轍を踏んで主の目に悪とされることを行って偶像礼拝に陥ったが、マナセが謙って主に立ち帰ったようなことはなく、罪に罪を重ねた(22~23節)。そして家臣の謀反に遭い、宮殿で殺害された。しかし、「国の民」(アムハーレツ=地の民と呼ばれる)によって、この謀反を起こした者は粛清されている(25節)。