歴代誌下21章
7節「しかし主は、ダビデと結んだ契約のゆえに、ダビデの家を滅ぼそうとはされなかった。主は、ダビデとその子孫に絶えずともし火を与えると約束されたからである」(新共同訳)
1節「ヨシャファトは先祖と共に眠りにつき、先祖と共にダビデの町に葬られた。その子ヨラムがヨシャファトに代わって王となった」。この並行記事は、列王記下8章16~24節で、簡潔なものである。アサ、ヨシャファトと続いたダビデ王朝に陰りを見せたのがヨラムである。ヨラムが背反と堕落に至ったのは、ヨシャファトに遠因があったといえなくは無い。彼に7人の王子がいたが、それぞれにユダの砦の町と金銀など高価な品々を遺産として与えたが、ヨラムは長子だったので、王位を彼に与えた(2~3節)。長男ヨラムは兄弟より優れていた訳ではなかった(13節see)。父の国を支配下に置いて勢力を増すと兄弟をすべて殺し、ユダの高官をも剣にかけて殺す愚行を行った。それは王の権力と権勢欲を手に入れたということである(4節)。三二歳で王位に就き在位は八年間だった(5節)。
6節「彼はアハブの娘を妻としていたので、アハブの家が行ったように、イスラエルの王たちの道を歩み、主の目に悪とされることを行った」。これは父ヨシャパテの時になされた時と同様の政略結婚であった(18章1節)。ヨラムはアハブの家が行ったように、イスラエルの王たちの道を歩み、主に対する背反と堕落(偶像礼拝)の罪を犯した。列王記下に示される「ヤロブアムの罪」である=列王記下9章9節、10章29節。しかし主はダビデと結んだ契約のゆえに、その子孫に絶えず与えると約束された灯火を消されなかった(7節)。
8節「ヨラムの治世に、エドムがユダに反旗を翻してその支配から脱し、自分たちの王を立てた」。ヨラムの背反との結果は、ユダにエドムが反旗を翻し、続いてエドムとリブナも反旗を翻してその支配から脱することになる(9~10節)。ヨラムがユダの山々に高台を造り、住民に淫行を行わせ、ユダの人々を堕落させたことを受けて預言者エリヤから一通の手紙が届く。それは彼が父ヨシャファトの道を歩まず、民に淫行(偶像礼拝)を行わせ、兄弟を殺したゆえに、大いなる災いをもって民と、妻と子たち、すべての財産を打ち、悪質の病にかかり、日々重くなるというものであった(11~15節)。その予言は現実のものとなり、ペリシテ人とアラム人もヨラムに敵意を抱いてユダを攻め王宮の財宝と共に、王子と王妃も奪い去ったのである。そしてひとりヨアハズが残された(16~17節)。そして彼は内臓の重い病気に罹り、来る日も来る日も苦しみ、二年間苦しんで死んだのである(18~19節)。彼の葬送は悲惨で、惜しまれることなく、世を去ったとある(20節)。新改訳「人々に愛されることなく世を去った」とある。
ガラテヤの信徒への手紙に厳しい言葉があり、それがここで示される。
「気をつけるがよい。もし互にかみ合い、食い合っている(共食い)なら、あなたがたは互に滅ぼされてしまうだろう」(口語訳5章15節)。
7節「しかし主は、ダビデと結んだ契約のゆえに、ダビデの家を滅ぼそうとはされなかった。主は、ダビデとその子孫に絶えずともし火を与えると約束されたからである」(新共同訳)
1節「ヨシャファトは先祖と共に眠りにつき、先祖と共にダビデの町に葬られた。その子ヨラムがヨシャファトに代わって王となった」。この並行記事は、列王記下8章16~24節で、簡潔なものである。アサ、ヨシャファトと続いたダビデ王朝に陰りを見せたのがヨラムである。ヨラムが背反と堕落に至ったのは、ヨシャファトに遠因があったといえなくは無い。彼に7人の王子がいたが、それぞれにユダの砦の町と金銀など高価な品々を遺産として与えたが、ヨラムは長子だったので、王位を彼に与えた(2~3節)。長男ヨラムは兄弟より優れていた訳ではなかった(13節see)。父の国を支配下に置いて勢力を増すと兄弟をすべて殺し、ユダの高官をも剣にかけて殺す愚行を行った。それは王の権力と権勢欲を手に入れたということである(4節)。三二歳で王位に就き在位は八年間だった(5節)。
6節「彼はアハブの娘を妻としていたので、アハブの家が行ったように、イスラエルの王たちの道を歩み、主の目に悪とされることを行った」。これは父ヨシャパテの時になされた時と同様の政略結婚であった(18章1節)。ヨラムはアハブの家が行ったように、イスラエルの王たちの道を歩み、主に対する背反と堕落(偶像礼拝)の罪を犯した。列王記下に示される「ヤロブアムの罪」である=列王記下9章9節、10章29節。しかし主はダビデと結んだ契約のゆえに、その子孫に絶えず与えると約束された灯火を消されなかった(7節)。
8節「ヨラムの治世に、エドムがユダに反旗を翻してその支配から脱し、自分たちの王を立てた」。ヨラムの背反との結果は、ユダにエドムが反旗を翻し、続いてエドムとリブナも反旗を翻してその支配から脱することになる(9~10節)。ヨラムがユダの山々に高台を造り、住民に淫行を行わせ、ユダの人々を堕落させたことを受けて預言者エリヤから一通の手紙が届く。それは彼が父ヨシャファトの道を歩まず、民に淫行(偶像礼拝)を行わせ、兄弟を殺したゆえに、大いなる災いをもって民と、妻と子たち、すべての財産を打ち、悪質の病にかかり、日々重くなるというものであった(11~15節)。その予言は現実のものとなり、ペリシテ人とアラム人もヨラムに敵意を抱いてユダを攻め王宮の財宝と共に、王子と王妃も奪い去ったのである。そしてひとりヨアハズが残された(16~17節)。そして彼は内臓の重い病気に罹り、来る日も来る日も苦しみ、二年間苦しんで死んだのである(18~19節)。彼の葬送は悲惨で、惜しまれることなく、世を去ったとある(20節)。新改訳「人々に愛されることなく世を去った」とある。
ガラテヤの信徒への手紙に厳しい言葉があり、それがここで示される。
「気をつけるがよい。もし互にかみ合い、食い合っている(共食い)なら、あなたがたは互に滅ぼされてしまうだろう」(口語訳5章15節)。